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「武」が日本文化の中の最大の輸出品目・・・

2008年09月10日 | Weblog
「代表的日本人」齋藤孝著より。

まずは、嘉納治五郎という名前を聞いてすぐに、日本の柔道の創始者だとわかる人はどれほどいるだろうか。かつていろいろな種類の柔術があったが、それを一つの柔道という形式としてまとめ上げ講堂館柔道を創設した人物だった。

しかし嘉納は単に柔道を広めただけではなくむしろ日本を代表する教育者だった。そして文武両道を狙いとした教育の一環として柔道を教えていたのだ。教育が先にあって次に柔道がきていたということになる。

今では日本から世界の柔道になっている。むしろ日本より世界での方が盛んではないだろうか。五輪でも日本は容易には勝てなくなってしまったし。嘉納が世界に広めたスポーツが五輪の正式種目になるとはすごいことでもあるな。

小さい頃から英語とドイツ語も勉強していたという。嘉納自身は東京大学(東京帝国大学)を出た国家的エリートだった。そして若い頃から学習院で教えながら自分で道場を運営していた。また東京高等師範学校の校長を27年間も務めていた。ここは教員養成の総本山だった。

ついでながら、夏目漱石が松山に行って教鞭をとったのも、嘉納に言われたのがきっかけだった。もし行かなければ「名作『坊ちゃん』も当然生まれてなかった。それは漱石が松山で教師をした経験が作品の元になっているからだ。

さらには、講堂館の道場開きの際には勝海舟も来て、その素晴らしい道場に感動して揮毫までしていた。いろいろな歴史上の人物とも交流があった嘉納が、学校の教科書にも出てきてはいないのが不思議なくらいだ。