素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

カイヅカイブキの剪定

2022年04月25日 | 日記
 ここに引っ越しをして来てからほぼ30年になる。門を入った所に植えられたカイヅカイブキ、当初は私の背丈より少し低かったのだが、忙しさを口実にこまめに剪定をしてこなかった結果、今や私の身長の2倍強、4m弱の高さになってしまった。

 「大きくなる☛剪定が面倒になる」の悪循環になってしまった。今年に入ってさすがに「これはひどい!」と思うようになってきた。カイブツイブキの様相を呈してきたのだ。とにもかくにもはみ出してきている枝や葉を刈り込まないことには話にならないと一番条件のよい今日の作業となった。

 今までなかなかできなかったのだが、はみ出す原因になっている太い枝を6本ほどのこぎりで思い切って切りとった。後は、刈り込みバサミとマジックジグソーではの刈り込みをしていった。コマーシャルのようにはいかないなと思いつつ刈り取られた葉を浴びながら何とか最低限の見られる状態にできた。
 気温が27℃を超える中での作業は苛酷だった。刈る作業以上に大変なのが刈り取られた葉の始末。熱中症と腰痛、肩痛にならないように休み休みストレッチも入れながら1時間余りで何とか片付けることができた。

 今は、「秋口にさらに剪定をして整えよう」と思っているが、どうなることやら。1mぐらいは背丈を低くできないかを思案している。秋から冷凍庫の隅に入ったままになっていたシャーベット、カチコチに凍っていたが作業で火照った体には格別であった。

 カイヅカイブキを調べた時、漢字では「貝塚伊吹」と書くことを知った。ヒノキ科ビャクシン属の常緑高木で、海辺などに自生するイブキ(伊吹)、 別名ビャクシン(柏槇)という木の園芸品種(あるいは変種)とされる。大阪の「貝塚」で作られた、あるいは樹形が巻貝のようになることから、カイヅカイブキと命名された。とあった。

 ほったらかしにしないで年2回ぐらいはお付き合いしていかないと高齢になったら手に負えなくなると言いきかせた。
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「クレマチスですか?テッセンですか?」

2022年04月24日 | 日記
 玄関前に花を出しているので犬の散歩やウォーキングで通る人が時々声をかけてくれる。とは言っても育てているのは妻で、私は水やり専門で大した知識も無い。

 先日も水をやっていると老夫婦が通りがかった。「いつもきれいですね」と立ち止まった。「これはテッセンですかね?」と婦人が尋ねてきた。「妻はそう言っていますが」と答えると旦那さんが「よく似た花でクレマチスがありますね」と言われたが「私は詳しくないのでまた妻に聞いときます」と返したが、ご夫婦で「テッセン?」と「クレマチス?」で迷っていた。


 二人が立ち去った後、何となく気になったので調べてみた。旦那さんの言っていた通り2つはよく似ていると書いてあった。アヤメ、カキツバタ、ショウブと同じだなと思った。

 クレマチスはキンポウゲ科のつる性の植物で、北半球に温帯に多く分布していて、その種類は250から300種類ほどあり、日本にも20種類ほど分布していると言われている。その特徴は大きな花を咲かせるところで、品種によって様々な花の形が楽しめる。とあった。

 テッセン(鉄線)は中国原産のキンポウゲ科のつる性の植物で、茎が細長く質が堅いところから名づけられた。室町時代には日本に中国から渡来し、日本では、昔から親しまれている花として人気を集めている。丈夫なツタは1mから3mほど伸び、春になると6枚の花弁をつけた大きな花とギザギザとしたたくさんの切れ込みの入った葉をつける。とあった。

 テッセンはクレマチスの一種なのでなかなか見分けがつかないが、見分けるためのポイントは「花弁の色」と「雄しべの形」にある。という。

 「花弁の色」☛テッセンは白や紫を基本としている。品種改良によってピンクや赤の花弁のものも増えてきているが、一般的に流通しているも       
        のには白が多い。それに対してクレマチスは青や紫のものが多く、ほかにも種類によっては幅広いカラーバリエーションがあ   
        る。

 {雄しべの形」☛テッセンのは花弁化しているので外側に複数の雄しべが広がっている。それに対して、花弁が6枚付いている。     
         クレマチスはテッセンのように特徴的な形をしているわけではなく、一般的な花のように雄しべと雌しべがしっかり区別でき    
         るのが特徴。

  クレマチスとテッセンを見分ける際には、花弁の色よりも雄しべの形で見分けた方がわかりやすいようだ。

  その結果、今、我が家に咲いている花は「クレマチス」と呼ぶべきだと私は思った。
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サツキツツジ

2022年04月23日 | 日記
 ツツジは剪定のタイミングが難しい。夏に枝の先につぼみが作られるので遅くに枝を切るとつぼみを切ってしまうことになる。ベテランの人のアドバイスは「剪定をするなら、花の季節が完全に終わる前、”もう少し花を楽しめるだろう”と思う頃に、勇気を出してしなければいけない」である。

 頭ではわかっていても決断力がいる。特に、花を長く楽しみたい、枝を切るのが好きでない妻とは必ずもめる。結果は1年後にしかわからないので年中行事だと思って決断している。

 今年は、剪定が遅れた去年より花付きが良くホッとしている。2階の部屋から見える隣のサツキツツジは目を引く。
  

 大階段の桜はすっかり葉桜となり青々と初夏の趣きを演出している。主役はサツキツツジ。花の階段となる。日当たりの良い側は7分咲きだが日当たりの悪い側はまだつぼみ。コントラスが面白い。両側がそろうのはゴールデンウイーク中か。
 

大階段の上からは気持ちよさそうに泳ぐ広場の鯉のぼりを見下ろすことができる。ベストな風だ。
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寝屋川公園はシャクナゲとハナミズキが満開

2022年04月22日 | 日記
 ランニングを始めた頃は寝屋川公園の4kmの周回コースを走っていた。それから4つのコースを作って変化をつけていったが、うち2つは寝屋川公園を含んでいるのでホームパークと言ってよい存在だ。

 そのことをよく知っているジムの知人から時々公園の花木の様子を尋ねられる。先日も、シャクナゲの咲き具合を訊かれた。しかし、今年に入ってから外ランをほとんどしていないので寝屋川公園とはご無沙汰している。

 買い物に行く時に車からハナミズキの花が満開であるのは分かっていたが、シャクナゲとなると管理事務所横の木陰にあるので皆目分からない。
  

 尋ねられると何となく「わからない」では済ませられないという気持ちになり、帰りに遠回りしてシャクナゲの様子を見てきた。予想通りの満開で見るなら今週中だろうと知人には知らせておいた。
  

 中国では牡丹が「花王」、シャクナゲは「花木の女王」と呼ばれている。知人のおかげで昨日の「花王」に続いて「女王」とも対面できた。

 本来は、標高800m~1000mの高山に生育する植物で、ネパールの「国花」である。「ヒマラヤの花」「深山に咲く花」などとも言われているが西洋シャクナゲが普及してきて寝屋川公園のように身近な場所でも楽しめるようになってきた。
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ご近所の牡丹艶やかなり

2022年04月21日 | 日記
 大階段を下りたところのKさん宅の牡丹が咲き誇っている。毎年、春の牡丹と秋の菊が見頃になると門の所に置いて通る人の目を楽しませてくれている。去年の秋は天候不順がたたり、菊がまったく成長せずとても口惜しがっていた。

 春も季節外れの暑さがあったりして気温がジェットコースターのように変化したのでどうかなと思っていたら今週の始めごろに例年以上の艶やかな姿のお披露目があった。
  西洋の「花の王」は薔薇、それに対して東洋では牡丹。中国では「花王(かおう)」と呼ばれ、この花ととり合わせの動物は百獣の王ライオン(獅子)しかないとなったみたいだが、私の青春時代の日本では♪・・・背なで 泣いてる~唐獅子牡丹♪や「緋牡丹のお竜」のイメージが強すぎる。

ということを、考えていたら「花王石鹸って、何か関係ある?」という疑問が湧いた。
そこで「花王株式会社」のホームページ(https://www.kao.co.jp/white/history/02/)を見ると次のような歴史が書かれてあった。

「花王石鹸」のはじまり
花王石鹸は、1890年(明治23)に生まれました。この頃の石鹸は、高価な贅沢品であった舶来物か、廉価で手に入りやすいが品質の劣る国産のどちらかしかありませんでした。この状況をなんとか変えたいとの使命に燃えたのが、当時東京・馬喰町で洋小間物商を開業したばかりの長瀬富郎でした。友人の職人や研究者らと力を合わせ、また自らも調合技術を学んで半年にわたる試行錯誤の結果、ついに完成。ひとつひとつ、ろう紙で包んだ上に能書と証明書を巻き、桐の箱に収めるという、中身も包装も高品質を追求した純国産石鹸が誕生したのです。

 顔あらい=花王石鹸
長瀬が目指したのは外国産にまけない日本の石鹸の「銘柄」を確立することでもありました。彼は当時一般に使われていた「顔石鹸」という呼称からこれを発想、顔を洗える高品質な石鹸として「香王」「華王」と経て、分かりやすく読みやすい「花王」に決定しました。また、日本国内だけでなく東洋一のブランドをとの思いから、能書には桜ではなく、東洋で花の王として愛されている牡丹を描きました。美と清潔のシンボルとして月をモチーフにしたおなじみのマークの原形も同時に誕生、「月のマークの花王石鹸」の歴史がここに始まりました。

 「読んでガッテン!
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