素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

鴎と花の街~その2~ 

2022年04月20日 | 日記
 NHK-FM「音楽遊覧飛行」を聴きながらの礼状配達、♪鴎♪という曲に出会ったのはラッキーだった。ちょうど番組の終わる10時の8分前に歯科医院に到着した。最後の2曲の紹介があった。フランクシナトラで「80日間世界一周/around the world」と「ひなたの道/on the sunny side of the street」の2曲。「ひなたの道」は朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を貫いたキーソングで体に染みついてしまった感があるのでシナトラの歌を聴きたいと思ったが、ここは歯の治療を優先。

 12月中旬に始まった歯の治療、次々にむし歯が見つかり4か月余り続いている、いまだ見通しはたたない。治療の後近くのフレンドタウン交野で買い物を済ませた。番組は「弾き語りフォーユー」になっていた。ピアニスト小原 孝さんが、クラシック、歌謡曲、J-POP、洋楽から民謡や童謡まで、幅広いジャンルの音楽を自在にアレンジして演奏。音楽の味付けの仕方が楽しめる。リスナーからのお便りの紹介や様々なエピソードを優しく語りてくれるが、春をテーマにしていた。ビバルディの四季より「春」の後♪花の街♪を特集した。この曲は中学の教科書で初めて出合ってすごくインパクトを受け、今でも時々口ずさむ。

 小原さんの話で、この明るい歌の背景には「戦争」があったことを知り家に着いてから色々調べた。
作詞されたのは昭和22年頃。昭和24年1月4日開始のNHKラジオ番組「私の本棚」のテーマ曲として発表された。
花の街
作詞:江間章子
七色の谷のを越えて 
流れてくる 風のリボン
輪になって 輪になって 
駆けていったよ
歌いながら 駆けていったよ

美しい海を見たよ 
溢れていた 花の街よ
輪になって 輪になって 
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で 
泣いていたよ 町の角で
輪になって 輪になって 
春の夕暮れ
独り寂しく 泣いていたよ

花の街 江間章子作詞・團伊玖磨作曲 テノール 井原義則 ピアノ 舘 美里


「花の街」を作詞した江間章子さんの解説があった。
● 「花の街」はわたしの幻想の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立って私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が空中に浮かんでいる「平和」という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ、町の角で」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。この詩が後になって、いっそう私の幻想の世界は広がり果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。
中学1年生用の音楽教科書『中学生の音楽1』(教育芸術社、平成9年)より

● 昭和22年の東京は空襲の残骸と戦後の混乱で、瓦礫と闇市に埃が濛々としていた。
江間章子はNHK「婦人の時間」の委嘱で”今に東京にも花咲く街になってほしい”という、夢と希望を託して、この詞を書き上げた。”荒れ果てた当時の日本を見ていた私は、私の心に抱いていた幻の理想の街、神戸を頭に思い浮かべて書いた。神戸へは行ったことはなかったが、乙女心に神戸というエキゾチックな街に憧れていたのですよ”と述懐している。(日本抒情歌全集1の解説より)

●【花の無い焦土の花の街】
 江間章子著『<夏の思い出>その想いのゆくえ』(宝文館出版、昭和62年)所収の一節「<花の街>のまちを想う」の抜粋。
 NHKのTVの名曲アルバムの時間で「花の街」が流れてきたときに、それは“作者のイメージとは違いすぎて意外で”、“まず現れる南房総辺の菜の花が咲く風景では困るのである。<花の街>だから、当然<花>がなければおかしいのだが、じつは、その花は手が届くところにあってはこまるのである。”
 “詩<花の街>は、私には幻想の街、夢のまちであった。戦争が終って、平和が訪れたという地上は瓦礫の山、いちめんの焼土に立って、思う存分肺いっぱい吸い込んだ<平和>という名の空気が私に見させてくれた夢が<花の街>であった。”
 “<花の街>の詩のなかで、「泣いていたよ/街の窓で・・・・」という一行も、焼土に佇つ、戦いに敗れた国の庶民の、住む家も、仕事も失った、途方にくれた悲しみの姿を映しているのだと、作者自身、当時を振り返って想う。
 <花の街>の詩には、そうした秘密が隠れている筈である”
 “これを若き日の、まだ少年らしさが漂っていられた團伊玖磨氏が作曲された。・・・(中略)・・この曲は、まさしく、私の幻想を拡げ、羽ばたかせてくださったものである。”

 私が中学の時から60年近く持ち続けていた♪花の街♪のイメージは、江間さんの解説の上のようなもの。
 そして、今は下のような深層が加わった。

花の街 - 江間章子 - 團伊玖磨 - Hananomachi - We love Japan


 昨日は、たまたま耳にしたラジオから深く考えさせられたことが多かった。一日では消化しきれなかったので2日に分けた。

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鷗と花の街~その1~

2022年04月19日 | 日記
 少し離れた3人に春の山野草展の礼状を届けることを頼まれた。10時から歯医者の予約が入っていたので手前の中途半端な時間帯にドライブがてら回った。NHK-FMを聞きながらの運転。ちょうど♪音楽遊覧飛行♪だった。榊原 広子さんがDJで~ふるさとのうた 心の旅・世界に響け、祈りの歌~と題して、サイモンとガーファンクルのスカボローフェア/詠唱や明日に架ける橋、ジョンレノンのイマジンなど懐かしい曲が流れた後カウンターテナーの藤木大地さんの歌声で三好達治の詩に木下牧子さんが曲を付けた♪鴎♪が紹介された。

 その中で榊原さんが、この詩が生まれた背景を話してくれた。

 三好達治(1900~1964)がこの詩を発表したのは、終戦直後の昭和 21 年。戦争中は誰もがそうであったように、彼も不本意にも戦争を賛美し戦意高揚の詩を書いていた。また、戦場に出陣する学徒へ餞(はなむけ)の講演をしたりしていた。
 戦争が終わり、彼はそのことを後悔し苦悩したという。三好はこれから生きていく若者には自由に生きて欲しいという願いと多くの戦死した若者の魂を自由に乱舞するカモメの姿に重ねて詩を作ったという。

 ウクライナ問題で否が応でも戦争をリアルに感じる今、強く惹かれた。しかし、運転しながらだったので詩の内容をしっかり聞き取る余裕がなかった。そこで帰ってから調べてみた。

「鴎(かもめ)」 三好達治 詩 
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ

三好達治 著 詩集「砂の砦」より、引用


 カモメは、学徒出陣前の学生たちの白い制服からのイメージだったようだ。「彼ら」とは、戦争で命を落とした学生たちの魂を指していて、「ついに自由は彼らのものだ」とは、戦争が終わり戦死者の魂が自由に躍動しているさまを、カモメの姿に託して表現した。
 
 そう考えると「ついに」の意味がよくわかる。戦争中の若者には自由なんてなかった。死んでしまってから「ついに」掴んだ自由。 12 回も凝り返されるこのフレーズには、深い鎮魂の意味が込められている。
 紺青の海、そして、抜けるような青空の間を自由に群舞する白い鴎、そこに映える夕焼け、朝焼けの赤に学徒出陣で亡くなった学生の魂が漂っている。木下牧子さんがこの詩にメロディーが付けたのは平成 15 年で、詩が作られてから実に 57 年、三好達治が亡くなってからでも 39 年も経っていた。今また、悲劇が繰り返されていることが残念でならない。(続きは明日)※NHKらじるらじるの聴き逃し配信で4月26日までこの番組を聴くことができる。

【テレコーラス】「鴎」木下牧子/三好達治 混声合唱団 蕾(Chor Tsubomi)
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40年ほど眠っていた鯉のぼり見つかる

2022年04月18日 | 日記
 妻が会長をしている枚方山草会の「春の山野草展」の最終日だった昨日、娘と孫も午後から見に来た。孫の方は山野草よりも2Fの鯉のぼりの展示や会場前の園庭にある張子の虎や遊具広場に興味関心があったみたいで何度も見に行っていた。池を巡る周遊路もほど良い距離で喜んで走っていた。途中にあるカラフルな鳥?に「?????」私が行くと「何て書いてあるの?」と説明版を指さした。
「名前はアマセミ」とここで私が?????、続けて読んでいく。「鏡伝池に棲み付いた昨年のアマビエが池のアイドルである翡翠(かわせみ)に取りついた・・・」孫には何のことかわからない。「もういいわ」と走っていったが、アマセミが口に鯉のぼりをくわえていたことが衝撃だったみたいだ。
 
 15過ぎに帰ったが、駐車場に見送りに行くと充分楽しんだはずの孫が不機嫌な顔をして後ろの席ですねていた。夜、娘から拗ねていた理由がわかったと電話があった。隣の家に保育園の同じ組の男の子がいて仲良しにしているのだが、先週鯉のぼりを飾ったそうだ。それがうらやましくて仕方なかったところ今日、たくさんの鯉のぼりの展示を見てますますその思いが強くなり「何で自分の家にはないのだ!」と無性に腹が立ってたそうだ。「女の子はお雛様、男の子は鯉のぼり」と言っても納得しない。「困ったもんだ」と娘。「今の時代、男も女もないからな」と私。電話の後,息子のために買った小さな鯉のぼりセットがあったことを思い出した。もう40年余り昔だが処分をしないで引越しの時に運んできた記憶がある。あるとすれば屋根裏の物置。引っ越してきた荷物が30年余りそのまま置いてある中にあるはず。
 20日(水)は園への迎えを頼まれているので探してみることにした。片付けないといけないと思いつつ細長い狭い空間にびっしり荷物が詰まっているので延ばし延ばして30年である。
  
四つん這いの姿勢で、荷物を脇に寄せながら奥に奥にと進んで行った。奥の方に見覚えのある青い箱が見えた時はホッとした。腰痛が起きる一歩手前だった。
見つかった鯉のぼりを廊下に並べてみた。記憶の中では真鯉が90cmぐらいの長さしかないというイメージだったが、実際は180cm余りもあった。人間の記憶はあいまいなものだとあらためて思った。これで孫も満足するだろう。
 時の流れの早さも同時に感じた。
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枚方山草会・2022年春の山野草展無事終了

2022年04月17日 | 日記
 3日間の展示会が終わり、主役の鉢たちを無事家に連れてくることができた。搬入、搬出とも新たな課題がいくつかあったが、クリアでき自分としては100点満点。礼状作りも私の仕事。「これにて一件落着!」とキメぜりふを言ったのは午後10時過ぎ。

 先日は、枚方山草会の『春の山野草展』にはるばるお越しくださいまして、ありがとうございました。
おかげさまで下の会員だよりにもありますように、3日間とも好天気に恵まれ、たくさんの方が来てくださいました。
 これからも皆様から寄せられた声を参考、励みにして会員一同活動していきますのでご支援よろしくお願いします。
 
                                                  
枚方山草会       春の山野草展を終えて PartⅠ          2022.4.17
(1)2022年春の山野草展
 新型コロナの「まん延防止等緊急事態措置」も解除され、みんなの心も弾んでくる中、好天にも恵まれ大成功に終わることが出来ました。
①出展者14名☛久恒、倉橋、古畑、阪本、芝田、多田、西中、西本、本多、三木、森﨑、山本、山﨑、森
➁出展鉢数☛194鉢+大3鉢 トータル197鉢
➂中央の展示☛阪本さん(イッサイフジ、ミツバツツジ、ウンゼンツツジ)
➃壁面の展示☛金谷さん(押し花 “ブライダル”6点)
       本多さん(写真9点)   森さん(写真3点)
       倉橋さん(絵画1点)
       枚方環境ネットワーク会議(写真5点)
⑤来場者☛15日(金)178名・16日(土)192名・17日(日)246名    合計 616 名
⑥元会員の秋田さん、久恒さん、松本さん、山口さん、永江さん、浜田さん、西村さん、岡崎さん、大野さん、奥田さんの観覧がありました。
⑦枚方市長、秘書課の方の来訪もありました。
⑧感想文より
*(中学生より)小さい容器にいろんな花が飾ってあってかわいいと思いました。花の名前や何科が書いてあるのでスマホで調べやすいから良いと思いました。
*市民の森での山野草展は1つの季節のメリットです。草花を愛する人の作品を眺めると非常に楽しいです。いつまでも続いていくことを願っています。
*春の花がちょうど咲いてたくさんの花を楽しませて頂きました。小さい花と花をひきたてる器もすてきです。このタイミングに咲かせるお世話がしのばれます。
*とても見ごたえがあり一つ一つ愛情を込め、ていねいに育てていらっしゃることに感動しました。ありがとうございました。


 市民の森では緑化フェアが開催されていた。2Fの展示室では鯉のぼりの展示もあり、!Fの山野草展と一緒に楽しめた。脇役の壁面飾りを手伝っている。準備の時はバタバタして余裕がない。最終日にじっくり見るひと時がすごくいい。
枚方山草会・2022年春の山野草展
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体チェック

2022年04月16日 | 日記
 ジムでは3ヶ月ごとに「Look in Body」という器具を使って体の組成を測る機会がある。ただしそれは有料で500円かかる。最初の3年ほどはきちきちと測定していたがだんだんもったいないという気持ちが強くなり年に1回ぐらいにしてきた。

 何日ぶりかにジムへ行ったら見慣れない測定器具があった。スタッフに尋ねると「Look in Body」より簡便な体の組成を測るものだという答。「無料ですからやってみますか?」と言われた。無料ならばと測定してもらった。

 ランニングが激減した今年、3か月余り過ごしてきた今の身体の状態を数値でチェックしておくのもいいかと思った。

 測定の結果は、
 体重77.3kg  体脂肪率22.9%  皮下脂肪率15.8%  骨格筋率31.7%  内臓脂肪レベル10.0 基礎代謝1719cal 体年齢57歳 BMI23.3
 となった。

 数字を見てもピンとこないものもあるが、体重は2kgぐらい増えている。摂取カロリーと消費カロリーの差が鍵だから今年に入って摂取カロリーはほぼ同じだが消費カロリーはランニング回数が減った分少なっているのははっきりしている。2kg増は妥当な値。1ヶ月後に1kg減できるように工夫してみよう。

 同じ器具で、ある程度定期的に測定していかないと数字の持つ意味がわかあらないので無料ならば毎月定期的にチェックしてみよう。

 「数字で見えぬものがある。数字でしかわからぬものもある」と呪文を唱えて遊び心で器具に乗っていこうかな。
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