素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

鷗と花の街~その1~

2022年04月19日 | 日記
 少し離れた3人に春の山野草展の礼状を届けることを頼まれた。10時から歯医者の予約が入っていたので手前の中途半端な時間帯にドライブがてら回った。NHK-FMを聞きながらの運転。ちょうど♪音楽遊覧飛行♪だった。榊原 広子さんがDJで~ふるさとのうた 心の旅・世界に響け、祈りの歌~と題して、サイモンとガーファンクルのスカボローフェア/詠唱や明日に架ける橋、ジョンレノンのイマジンなど懐かしい曲が流れた後カウンターテナーの藤木大地さんの歌声で三好達治の詩に木下牧子さんが曲を付けた♪鴎♪が紹介された。

 その中で榊原さんが、この詩が生まれた背景を話してくれた。

 三好達治(1900~1964)がこの詩を発表したのは、終戦直後の昭和 21 年。戦争中は誰もがそうであったように、彼も不本意にも戦争を賛美し戦意高揚の詩を書いていた。また、戦場に出陣する学徒へ餞(はなむけ)の講演をしたりしていた。
 戦争が終わり、彼はそのことを後悔し苦悩したという。三好はこれから生きていく若者には自由に生きて欲しいという願いと多くの戦死した若者の魂を自由に乱舞するカモメの姿に重ねて詩を作ったという。

 ウクライナ問題で否が応でも戦争をリアルに感じる今、強く惹かれた。しかし、運転しながらだったので詩の内容をしっかり聞き取る余裕がなかった。そこで帰ってから調べてみた。

「鴎(かもめ)」 三好達治 詩 
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだ

ついに自由は彼らのものだ
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ

三好達治 著 詩集「砂の砦」より、引用


 カモメは、学徒出陣前の学生たちの白い制服からのイメージだったようだ。「彼ら」とは、戦争で命を落とした学生たちの魂を指していて、「ついに自由は彼らのものだ」とは、戦争が終わり戦死者の魂が自由に躍動しているさまを、カモメの姿に託して表現した。
 
 そう考えると「ついに」の意味がよくわかる。戦争中の若者には自由なんてなかった。死んでしまってから「ついに」掴んだ自由。 12 回も凝り返されるこのフレーズには、深い鎮魂の意味が込められている。
 紺青の海、そして、抜けるような青空の間を自由に群舞する白い鴎、そこに映える夕焼け、朝焼けの赤に学徒出陣で亡くなった学生の魂が漂っている。木下牧子さんがこの詩にメロディーが付けたのは平成 15 年で、詩が作られてから実に 57 年、三好達治が亡くなってからでも 39 年も経っていた。今また、悲劇が繰り返されていることが残念でならない。(続きは明日)※NHKらじるらじるの聴き逃し配信で4月26日までこの番組を聴くことができる。

【テレコーラス】「鴎」木下牧子/三好達治 混声合唱団 蕾(Chor Tsubomi)
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