素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

英虞湾・巡行船の思い出

2022年04月28日 | 日記
 理不尽極まりない知床遊覧船の事故のニュースで、遊覧船・KAZU Ⅰの映像を見ていると、小学生の頃父の実家のある浜島に行く時によく乗っていた巡行船と同じ作りだと思い出す。

 中学校3年までは乗り物酔いが酷く、どこに行くにしても地獄の苦しみが伴った。特にバスはだめで、動き出す前にエンジンのにおいを嗅いだだけで気分が悪くなっていた。浜島までの道路は今と違って未舗装で、海岸線に沿ってカーブの多い最悪の条件だった。

 そこで、浜島へ行く時は賢島から出ていた巡行船で行くことにしていた。電車は座席に座らずに先頭に立つと大丈夫だったし、鵜方と賢島間は神明の一駅をはさむだけなので酔う間もない。今は和具へ行く便しかないみたいだが、当時は御座を経由して浜島へ行くルートもあった。

 英虞湾はリアス式海岸として有名で湾内の深さはおおむね20m前後である。真珠養殖も盛んで奈良時代から阿古屋貝から採れる真珠を出荷していた。明治時代半ばに阿古屋貝による真円真珠の養殖技術が確立されると、真珠養殖発祥の地としても知られるようになり、昭和初期には「真珠湾」とも呼ばれていたみたいだ。
 普段は穏やかな海で、船の舳先に立って大小の島々や真珠イカダなどを眺めながら船長気分でいた。不思議なことに船酔いだけはしなかった。

 しかし、一度だけ太平洋上を台風が北上している時に乗船したことがある。御座と浜島を結ぶ湾口の外は太平洋の外海。そこからうねりをともなった大波がきていつもとはまったく違う顔を見せていた。船は波の周期に合わせてエレベーターのように上下した。沈み込んだ時は船窓が海の中に入り水槽を覗くような感じだったことを鮮明に覚えている。

 知床遊覧船の事故当時の様子をニュースで知ると「あの時も結構やばかったな!」と肝が冷える。当時は恐怖よりも奇妙にテンションが上がっていただけであった。豹変した海の姿はしっかりと体に残っている

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