素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

久々の外ラン

2022年04月15日 | 日記
 今年に入ってからは数えるほどしか外を走っていない。2年間ランニング距離にこだわって自分にとっては限界に近い走りを続けたため心身にずい分疲労が蓄積していると実感したので今年はこれを取り除く1年だと思っている。

 昨日、搬入を無事にすませたこともあり気分転換に久保池の八重桜の下を走ってみようと思い立った。気温の方も1週間ほど続いた初夏の暑さからやっと平年並みにもどり体感的には涼しくランニングには最適である。

 併走者と話ができるスローペースだが、一人なのであれこれと浮かんでくることを考えながらの走りになった。昨日の「余録」にあった徳川家康の言葉とされる「天下の政(あつりごと)は重箱を擂粉木(すりこぎ)にて洗い候がよろしき」が浮かんできた。重箱の隅をつつく政治では民も息が詰まる。太い擂粉木では隅に汚れが残るが、大目に見る寛容さがあった方が天下は治まりやすい。という意味合いのものだが、言うは易し行うは難しだと思った。

 集団をまとめていくには規律が必要なことは否定できない。一糸乱れぬ厳格さを求めすぎると硬直した集団となり一人一人の持ち味が生かされず脆さを抱えた集団となる。かといって自由放任に走れば烏合の衆となり集団としての力が発揮できない。引き締めと緩めるバランスがとても難しく、古今東西のリーダーにとっては永遠の課題かもしれない。

 初めて担任をした時、先輩からのアドバイスが浮かんできた。生徒を指導していく時熱心にやればやるほど自分と同じクローン人間を作り出す危険性が増えるということを自覚しておかないといけない。という主旨だった。

 何かの場面に出くわした時、「自分だったらこうする」という思いは当然ある。その時、自分の意に反する言動に対しては嫌悪感を覚え、生徒指導という名のもとに注意をするが、自分とは違う価値観もあるということを心の片隅に置く余裕が必要だと強調された。

 近頃政治、スポーツ、会社などで、リーダーの決断が取りざたされることが多い。100%自分が正しいとばかりに服従を強いるリーダーは私は苦手だが、それを求める声があることも事実。そんなこんなを考えながら30分余りのランニングが終了。

 心身にいい刺激となった。
コメント
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