先週後半から2冊の本を読み始めた。落語家の立川談春さんの書いた『赤めだか』と元都立高校長の渡部謙一さんの『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』である。両方ともちょうど半分ぐらいまで読み進んできた。
前著は17歳で立川談志に入門した談春さんの修行時代を綴ったもの。後著は教頭、校長として東京都の教育改革と向き合ってきた渡部さんのもの。両者の立つ位置は異なるが、“教える”“学ぶ”とは?ということに関しては共通のものがある。
渡部さんは、教育という営みの本質を次のように書いている。
『授業が学びの場であるためには教室が自由な空間になっていなければならない。“間違わない所”ではなく、“間違ってもいいんだよ”という、何でも思ったことを自由に発言できる場でなくてはならない。一人の生徒の思いもかけない発言が生徒間に問いを投げかけ、互いに考え合い、学びをつくっていく。そこから私もいつも学ばされてきた。それと同じように、この職員会議の教育論議を通してこそ個々の教師の教育観、教育に対する姿勢、実践をも知る場であったはずである。』
『間違いをおかす人間』をどうとらえるかということで、物事の見方、対処の仕方は大きく違ってくるように思える。
談春さんは、中学卒業間近に上野鈴本で聴いた談志の高座での話を書いている。
『あのネ、君達にはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。・・・(中略)・・・人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェョ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。“落語とは人間の業(ごう)の肯定である”。よく覚えときな。・・・』
“『間違いをおかす人間』『人間の業』を肯定すること”が根底にない“厳しさ”は人を伸ばすことはできないと思う。かといって肯定し過ぎて“甘やかす”ばかりでも人は育たない。このあたりの匙加減のむずかしさが「教育には正解がない」ということになるのだと思う。
若い時出会った詩に「教室はまちがうところだ」(まきたしんじ・作)というのがある。新聞、雑誌などで時々取り上げられているのでよく知られていると思うが、2冊の本を読んでいてなつかしく思い出したので
教室は まちがうところだ
みんな どしどし 手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言い合うなかで
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ
いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことが こわくてこわくて
手もあげないで 小さくなって
黙りこくって 時間がすぎる
しかたがないから 先生だけが
勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
神様でさえ まちがう世のなか
まして これから人間になろうとしている僕らが
まちがったってなにがおかしい
あたりまえじやないか
うつむき うつむき
そうっとあげた手 はじめてあげた手
先生が さした
どきりと胸が 大きくなって
どきっどきっと 体が燃えて
立ったとたんに 忘れてしまった。
なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
なにを言ったか ちんぷんかんぷん
私は ことりと座ってしまった
体が すうっと涼しくなって
ああ言やあよかった こう言やあよかった
あとでいいこと 浮かんでくるのに
それでいいのだ いくどもいくども
おんなじことを くりかえすうちに
それから だんだん どきりがやんで
言いたいことが 言えてくるのだ
はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
はじめから 答えが当たるはずないんだ
なんどもなんども 言ってるうちに
まちがううちに
言いたいことの半分くらいは
どうやら こうやら 言えてくるのだ
そして たまには 答えも当たる
まちがいだらけの 僕らの教室
おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
安心して 手をあげろ
安心して まちがえや
まちがったって ワラッたり
ばかにしたり おこったり
そんなものは おりゃあせん
まちがったって 誰かがよ
なおしてくれる 教えてくれる
困ったときには先生が
ない知恵しぼって 教えるで
そんな教室 つくろうやあ
おまえ へんだと 言われたって
あんた ちがうと 言われたって
そう思うだから しょうがない
だれかが かりにも ワラッたら
まちがうことが なぜわるい
まちがってること わかればよ
人が言おうが 言うまいが
おらあ 自分であらためる
わからなけりゃあ そのかわり
誰が言おうと こづこうと
おらあ 根性曲げねえだ
そんな教室 つくろうやあ
若い時は、教室に掲示したり、学級通信に載せたりしていた。しかし、30も半ばぐらいになった時に、この詩を紹介することをやめてしまった。そういう教室、授業をつくりえていない自分に対する恥ずかしさからである。“詩の言葉”だけを教えても意味がない。日常の生活、授業を通して“詩の心”を感得させるために実践しなければいけない。という思いに強くとらわれた。
それ以来、この詩は“自分の心の中”に掲げてきた。柱の1つとしてずい分支えてもらった。
前著は17歳で立川談志に入門した談春さんの修行時代を綴ったもの。後著は教頭、校長として東京都の教育改革と向き合ってきた渡部さんのもの。両者の立つ位置は異なるが、“教える”“学ぶ”とは?ということに関しては共通のものがある。
渡部さんは、教育という営みの本質を次のように書いている。
『授業が学びの場であるためには教室が自由な空間になっていなければならない。“間違わない所”ではなく、“間違ってもいいんだよ”という、何でも思ったことを自由に発言できる場でなくてはならない。一人の生徒の思いもかけない発言が生徒間に問いを投げかけ、互いに考え合い、学びをつくっていく。そこから私もいつも学ばされてきた。それと同じように、この職員会議の教育論議を通してこそ個々の教師の教育観、教育に対する姿勢、実践をも知る場であったはずである。』
『間違いをおかす人間』をどうとらえるかということで、物事の見方、対処の仕方は大きく違ってくるように思える。
談春さんは、中学卒業間近に上野鈴本で聴いた談志の高座での話を書いている。
『あのネ、君達にはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。・・・(中略)・・・人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェョ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。“落語とは人間の業(ごう)の肯定である”。よく覚えときな。・・・』
“『間違いをおかす人間』『人間の業』を肯定すること”が根底にない“厳しさ”は人を伸ばすことはできないと思う。かといって肯定し過ぎて“甘やかす”ばかりでも人は育たない。このあたりの匙加減のむずかしさが「教育には正解がない」ということになるのだと思う。
若い時出会った詩に「教室はまちがうところだ」(まきたしんじ・作)というのがある。新聞、雑誌などで時々取り上げられているのでよく知られていると思うが、2冊の本を読んでいてなつかしく思い出したので
教室は まちがうところだ
みんな どしどし 手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言い合うなかで
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ
いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことが こわくてこわくて
手もあげないで 小さくなって
黙りこくって 時間がすぎる
しかたがないから 先生だけが
勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
神様でさえ まちがう世のなか
まして これから人間になろうとしている僕らが
まちがったってなにがおかしい
あたりまえじやないか
うつむき うつむき
そうっとあげた手 はじめてあげた手
先生が さした
どきりと胸が 大きくなって
どきっどきっと 体が燃えて
立ったとたんに 忘れてしまった。
なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
なにを言ったか ちんぷんかんぷん
私は ことりと座ってしまった
体が すうっと涼しくなって
ああ言やあよかった こう言やあよかった
あとでいいこと 浮かんでくるのに
それでいいのだ いくどもいくども
おんなじことを くりかえすうちに
それから だんだん どきりがやんで
言いたいことが 言えてくるのだ
はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
はじめから 答えが当たるはずないんだ
なんどもなんども 言ってるうちに
まちがううちに
言いたいことの半分くらいは
どうやら こうやら 言えてくるのだ
そして たまには 答えも当たる
まちがいだらけの 僕らの教室
おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
安心して 手をあげろ
安心して まちがえや
まちがったって ワラッたり
ばかにしたり おこったり
そんなものは おりゃあせん
まちがったって 誰かがよ
なおしてくれる 教えてくれる
困ったときには先生が
ない知恵しぼって 教えるで
そんな教室 つくろうやあ
おまえ へんだと 言われたって
あんた ちがうと 言われたって
そう思うだから しょうがない
だれかが かりにも ワラッたら
まちがうことが なぜわるい
まちがってること わかればよ
人が言おうが 言うまいが
おらあ 自分であらためる
わからなけりゃあ そのかわり
誰が言おうと こづこうと
おらあ 根性曲げねえだ
そんな教室 つくろうやあ
若い時は、教室に掲示したり、学級通信に載せたりしていた。しかし、30も半ばぐらいになった時に、この詩を紹介することをやめてしまった。そういう教室、授業をつくりえていない自分に対する恥ずかしさからである。“詩の言葉”だけを教えても意味がない。日常の生活、授業を通して“詩の心”を感得させるために実践しなければいけない。という思いに強くとらわれた。
それ以来、この詩は“自分の心の中”に掲げてきた。柱の1つとしてずい分支えてもらった。
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