素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

公務災害による死亡の認定

2015年03月03日 | 日記
 ニュースで、2011年に26歳の堺市立中学校の男性教諭の死亡ガ」公務災害によると認定されたとあった。採用されて2年目で2年生の担任と理科の授業を受け持ち、女子バレーボール部の顧問でもあったという。

 2011年の6月、出勤前に倒れ急激な心機能の低下で亡くなった。国が定める過労務認定基準である「2ヶ月以上にわたって月平均80時間以上」とい残業時間には61~71時間と達していなかったが、これはあくまでも校内におけるものであった。部員とのクラブノートや授業準備の資料を基に自宅での残業も相当あったと加味されての認定だった。

 そのニュースを聞いて、20年ほど前に現職で亡くなったM先生のことを思い、ずいぶん中学校の労働実態に理解が深まってきたと感慨深いものがあった。当時、1年生の担任をしていたM先生の学年ではいじめ問題が複数あったり、生活指導で夜遅くまで動かなければならないことが連日あった。クラブ活動も熱心に指導されていたM先生は心身ともに疲労困憊されていた。という。

 私は、その学年が2年生になった時に転勤して受け持ったので実態については直接は知らないが、1年時の担任が全員持ち上がらず、副担であった2名以外はすべて転勤者で学年を受け持ったということからもその学年の持つ困難さと、 M先生とは村野中で同勤したこともあり、その人となりから弱音を吐かず、誠実に対処していたことは容易に推察できた。

 M先生は学年の途中に、自宅で脳内出血を起こされかえらぬ人となった。労災を申請したが認定されなかったので再度、職員の証言を含め嘆願書もつけて申請したが認定の壁は厚かった。そのことを報告するS校長先生の苦渋に満ちた表情は忘れることができない。

 26歳の男性教諭はバレーボールの競技経験がなかったので地域の教室に通い、自宅でも練習していたと姉さんが話していた。学級通信、授業プリントなどの作成もずいぶん時間がかかるものである。せめてクラブ指導の重荷がなければと思ってしまう。

 「公務災害による死亡の認定」などの話題がない現場にしていかなければいけない。忘れかけていたものを思い出させてくれたニュースであった。
コメント
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