素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

JR新ダイヤに!消える夜行、その思い出

2015年03月14日 | 日記
 今日からJRは新ダイヤになった。何といっても北陸新幹線の運行開始が目玉である。朝から夜まで「かがやき」である。その裏でトワイライトエクスプレスや北斗星などの夜行列車の定期運行が消えていった。これも時代の流れ。これからは夜行を楽しみたければ豪華寝台列車の「ななつ星in九州」のような列車だろう。

 私にとって夜行列車は青春の思い出につながる。初めての夜行列車は高校2年の修学旅行の帰り、長崎から大阪までであった。途中から空腹に耐えたということだけしか覚えていない。持ち込んだおやつも食べ尽くし、クラスのみんなが飢えていた。岡山駅だったと思う、停車の間に勇気ある者がホームに出て売店できびだんごのお菓子を手に入れてきた。みんなで分けると一人2,3個であったが、嬉しさいっぱいで食べた。

 次が、大学受験の帰り。千葉の松戸市で試験を受けてその日の夜、東京駅から鳥羽駅までの夜行に乗った。寝台はなくボックス型の4人がけの椅子であったが、残りの3席には春休みで旅行に出かける女子大生が座った。向こうも迷惑だったろうが、私も身の置き場所に困った。何とも言えぬ一夜を過ごした。

 大学時代は周遊切符を使って、夜行列車を旅館がわりにしていた。四国を周遊した時の早朝の栗林駅で。
最長は屋久島に行った帰りの西鹿児島から大阪までのもの。とにかくお尻が痛かった。関門トンネルを抜けたころから座り疲れがひどくなって難儀した。

 信州方面へキャンプやスキーに行く時も往復夜行を使った。今のようにネット予約などない時代、幹事になると早々と駅のコンコースへ並び場所を確保したものだった。思い出のアルバム。
  ある年、帰りの松本から名古屋までREDの大瓶が1本しかないので目盛をつけて4人で計画的に飲んだら全然酔わない。酒の勢いも手伝って徹夜で談論風発となるのが普通だが、その夜は妙に冷静な話し合いになった。肝臓のアルコール分解の能力を超えない飲み方をすれば悪酔いはしないということを身を持って知った。

 最後に乗った夜行は、教師になった年の修学旅行の帰り。戸隠での連泊という修学旅行、長野駅から京都駅まで。その当時は修学旅行集約列車を使っての移動だった。1年前の大学生だった時とは正反対の品行方正な夜行列車の旅に感慨を覚えた。京都駅から京阪の七条駅まで歩き、通勤客でいっぱいの京阪電車に睡眠不足の状態で生徒を引率するつらさは並ではなかった。次の年も同じように夜行を使ったと思う。その時は午後からサッカーの公式試合があった。今思えばとんでもない日程だが若さゆえ乗り切れたと思う。

 学年をひとまわりしてからは、すべてバスでの移動になり、修学旅行で列車を使うことはなくなった。

 夜行列車をたくさん利用したが、寝台車両で横たわったことはない。機会があれば豪華寝台列車での旅を楽しむ機会があればいいと思っている。
コメント (1)
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