素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「歴史の真相」はわからないが・・・・・それでも

2015年03月02日 | 日記
 井沢元彦さんの数々の本や本郷和人さんの話、歴史秘話ヒストリア、歴史館、などの歴史番組で自分が学習してきた歴史の中身にずいぶん俗説が入っていることを痛感させられている。誰かのフィルターを通されたエッセンスを吸収してそれが真実だと思い込んでいる。

 しかし、歴史の事実でも人物でも多面体であって光の当て方によって見え方はずいぶん変わる。言ってみれば『「歴史の真相」はわからない』というのが真理である。しかし、そこで思考を停止してしまってはいけないと強く思うようになった。いろいろな角度から光を当てつつ考えるという過程が貴重である。と思うとニヒリズムに陥ることはない。

 歴史に限ったことではない。万葉集、芭蕉、でもたくさんの解釈がある。読み比べているうちに自分の中に立体が組み上がっていくのが自覚できるようになってきた。それでも自分はそれぞれの人たちのエッセンスだけを吸収しているに過ぎないという思いは残る。

 専門の研究者ではないので史料や文献を読み解くだけの力量はないが、それでも原典にふれてみたいという思いが強くなった。そういう意味で「日文研のデータベース」の存在を知ったことは自分にとってはいいタイミングだった。わからないなりにも原典を見ることは大切である。

 このように「歴史の真相」について、あらためて考えるきっかけをつくった文章がある。書評欄で『吉田松陰~「日本」を発見した思想家』(桐原健真著・ちくま新書)について磯田道史さんが書かれていた中の一文である。

 [・・・一般には、あまり知られていないが、松陰はペリーへの密航交渉が失敗して囚われると獄中で『幽囚録』という論策を書き、「蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じてカムチャッカ、オコツクを奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比(ひと)しからしめ(国内諸侯と同じく参勤させ)、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし」と説いた。松陰の門下生によって担われた大日本帝国が、この松陰の教えを忠実に実現した。この話は専門家の間では常識だが、戦後の小説やドラマでは、松陰を日本帝国主義思想の元祖にしないよう、なるべくふれないできた。・・・]

 『一般には、あまり知られていないが、専門家の間では常識』ということ、まだまだたくさんあるだろうな。心と頭を柔軟にしてキャッチしていきたい。
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