毎週火曜日19時にBS11である『柳家喬太郎の芸賓館』は楽しみにしている番組の1つである。喬太郎さんを生で聞きたいと思っていたが、やっと実現した。北新地エルセラーンホールで「第十八回・東西笑いの喬演」が開かれた。この二人会は平成18年2月24日(金)にワッハ上方ワッハホールで始まって以来回を重ねて18回目となる。プログラムの裏に1回から17回までの演目が掲載されているがアンテナにひっかかってこななかったことを少し残念に思った。
会場のエルセラーンホールは初めてだった。北新地駅から徒歩5分、ホテルエルセラーン大阪の5階にあるなかなか洒落たホールであった。
ふんだんに木を使った温もりあふれるホールは416名を収容で、優れた音響は言うまでもなく、舞台から客席全員の顔が見える設計になっているみたいで落語会にはピッタリのサイズだと思った。
今日の演目は、開口一番『つる』(笑福亭 生寿)続いて3月21日から三代目柳家さん助を襲名して真打に昇進する柳家さん弥さんの『臆病源兵衛』、そしてプログラムにはお楽しみ『 』となっていた柳家喬太郎師匠の登場。普通の寄席では演目がかぶらないようにするのが定石だが、あえて開口一番の『つる』を極道版にアレンジした『極道のつる』を演じた。開口一番を布石としてド迫力の語りで会場に嵐を巻き起こしたという感じだった。
隣の人は喬太郎さんはまったく初めてだといっていたが『極楽のつる』が終わった後「こんなに面白い人とは思わなかった。力ありますね。この後の三喬さんやりにくいやろな」と話しかけてきた。仲入り前の笑福亭三喬師匠は『抜け雀』、隣の人の心配が当たり、マクラの部分で噺の段取りを取り違えて「極道のつるがまだ、私のまわりにグルグル飛んでますんや」と苦笑する場面もあった。それでもさすがに『抜け雀』をピシッときめた。
こういう芸と芸のぶつかり合いが二人会の醍醐味だろう。東西となればなおさらである。
仲入りの後は、三喬さんの『テレスコ』から、『抜け雀』が終わった解放感からかマクラもリラックスしたムードであった。そしてトリは喬太郎さんの『宮戸川』。前半部分は別の噺家で何度か聞いたことがあったが後半部分があるとは知らなかった。前半に比べると後半は人間の業むき出しのホラーに近い何とも言えない世界に引きずり込まれる。とっても際どい作品だと思った。一席目とはまったく違う世界を演じた。
柳家喬太郎師匠について、ウィキペディアに書かれていることを「本当にその通りだ!」と実感した夜になった。
実力と幅広さを兼ね備えた個性的な噺家である。
古典落語は、エンターテイメント性に富む語り口ながら、古典の味わいをそこなうことなく、円熟した落語を聴かせる。滑稽噺はもとより、師のさん喬ゆずりの人情噺、さらには「死神」「蛇含草」などといったダークな噺でも、迫真の語り口で聴衆を圧倒する。「擬宝珠」や「綿医者」「にゅう」といった、演者の絶えた珍しい古典演目の蘇演も手がけており、また、後半の内容が陰惨なため前半で切り上げられることの多い「宮戸川」を通しで演ずる数少ない噺家でもある。
「ハワイの雪」「純情日記横浜篇」といった新作落語にあっては、現代的な題材と巧みな構成が際立ち、そこでは文学的な繊細な描写が展開される。その一方で「諜報員メアリー」や「寿司屋水滸伝」などナンセンスなギャグが満載の作品、エキセントリックなまでに先鋭的な作品もあり、創作力・演出力ともに非凡である。
また、自作の歌をCD化したり、江戸川乱歩の作品を演じるなど、落語を様々なかたちで見せるオールラウンドプレイヤーであることも喬太郎の持ち味のひとつとなっている。
「マクラ」(落語で本題に入る前の部分)のおもしろい落語家としても有名であり、柳家小三治や立川志の輔などと同様、マクラ自体がひとつの芸の域に達していると評される。ことに「時そば」は、そのマクラの内容から「コロッケそば」の異名をとるほど有名である。
落語については、しょせん芸能の一分野にすぎないという見解に立ち、自分の価値観の中でその時聴いて面白ければそれでよいとしている。一般論としては落語論・落語評論といったものを語ることに否定的で、論じるよりも稽古することが大切だというスタンスをとり、また、聴衆には「落語に関する知識は必要ない」とし、さらには「知識がなくて楽しめないのであれば、それはもともと面白くない落語である」と語っており、難しく考えず気楽に落語を愉しむことを提唱している。
柳家喬太郎、さん弥さんの師匠が柳家さん喬師匠で笑福亭三喬さんと「さんきょう」だぶりになるのでマクラで師匠のことにふれると「どっち?」と頭の中でこんがることが少々やっかいであった。見逃せない二人会である。
会場のエルセラーンホールは初めてだった。北新地駅から徒歩5分、ホテルエルセラーン大阪の5階にあるなかなか洒落たホールであった。
ふんだんに木を使った温もりあふれるホールは416名を収容で、優れた音響は言うまでもなく、舞台から客席全員の顔が見える設計になっているみたいで落語会にはピッタリのサイズだと思った。
今日の演目は、開口一番『つる』(笑福亭 生寿)続いて3月21日から三代目柳家さん助を襲名して真打に昇進する柳家さん弥さんの『臆病源兵衛』、そしてプログラムにはお楽しみ『 』となっていた柳家喬太郎師匠の登場。普通の寄席では演目がかぶらないようにするのが定石だが、あえて開口一番の『つる』を極道版にアレンジした『極道のつる』を演じた。開口一番を布石としてド迫力の語りで会場に嵐を巻き起こしたという感じだった。
隣の人は喬太郎さんはまったく初めてだといっていたが『極楽のつる』が終わった後「こんなに面白い人とは思わなかった。力ありますね。この後の三喬さんやりにくいやろな」と話しかけてきた。仲入り前の笑福亭三喬師匠は『抜け雀』、隣の人の心配が当たり、マクラの部分で噺の段取りを取り違えて「極道のつるがまだ、私のまわりにグルグル飛んでますんや」と苦笑する場面もあった。それでもさすがに『抜け雀』をピシッときめた。
こういう芸と芸のぶつかり合いが二人会の醍醐味だろう。東西となればなおさらである。
仲入りの後は、三喬さんの『テレスコ』から、『抜け雀』が終わった解放感からかマクラもリラックスしたムードであった。そしてトリは喬太郎さんの『宮戸川』。前半部分は別の噺家で何度か聞いたことがあったが後半部分があるとは知らなかった。前半に比べると後半は人間の業むき出しのホラーに近い何とも言えない世界に引きずり込まれる。とっても際どい作品だと思った。一席目とはまったく違う世界を演じた。
柳家喬太郎師匠について、ウィキペディアに書かれていることを「本当にその通りだ!」と実感した夜になった。
実力と幅広さを兼ね備えた個性的な噺家である。
古典落語は、エンターテイメント性に富む語り口ながら、古典の味わいをそこなうことなく、円熟した落語を聴かせる。滑稽噺はもとより、師のさん喬ゆずりの人情噺、さらには「死神」「蛇含草」などといったダークな噺でも、迫真の語り口で聴衆を圧倒する。「擬宝珠」や「綿医者」「にゅう」といった、演者の絶えた珍しい古典演目の蘇演も手がけており、また、後半の内容が陰惨なため前半で切り上げられることの多い「宮戸川」を通しで演ずる数少ない噺家でもある。
「ハワイの雪」「純情日記横浜篇」といった新作落語にあっては、現代的な題材と巧みな構成が際立ち、そこでは文学的な繊細な描写が展開される。その一方で「諜報員メアリー」や「寿司屋水滸伝」などナンセンスなギャグが満載の作品、エキセントリックなまでに先鋭的な作品もあり、創作力・演出力ともに非凡である。
また、自作の歌をCD化したり、江戸川乱歩の作品を演じるなど、落語を様々なかたちで見せるオールラウンドプレイヤーであることも喬太郎の持ち味のひとつとなっている。
「マクラ」(落語で本題に入る前の部分)のおもしろい落語家としても有名であり、柳家小三治や立川志の輔などと同様、マクラ自体がひとつの芸の域に達していると評される。ことに「時そば」は、そのマクラの内容から「コロッケそば」の異名をとるほど有名である。
落語については、しょせん芸能の一分野にすぎないという見解に立ち、自分の価値観の中でその時聴いて面白ければそれでよいとしている。一般論としては落語論・落語評論といったものを語ることに否定的で、論じるよりも稽古することが大切だというスタンスをとり、また、聴衆には「落語に関する知識は必要ない」とし、さらには「知識がなくて楽しめないのであれば、それはもともと面白くない落語である」と語っており、難しく考えず気楽に落語を愉しむことを提唱している。
柳家喬太郎、さん弥さんの師匠が柳家さん喬師匠で笑福亭三喬さんと「さんきょう」だぶりになるのでマクラで師匠のことにふれると「どっち?」と頭の中でこんがることが少々やっかいであった。見逃せない二人会である。