素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

日永

2015年03月12日 | 日記
 昼の時間は冬至を境にして伸び始める。まもなく春分、これを過ぎると昼の時間が夜の時間より長くなり夏至で最長になる。歳時記では、昼が長いことを春では「日永(ひなが)」、夏は「短夜(みじかよ)」と使い分けている。「日永」には暗くて寒い冬を越して春を迎えた喜びがこもっているし、夏は昼より夜が涼しいので、夜が短いことを惜しんで「短夜」となる。この微妙な使い分けの心を大切にしていきたいものだ。

 「日永」と同じ意味で「遅日」がある。これは『詩経』所載の詩「出車」の「春日遅々 卉木萋々 倉庚喈喈 采繁祁々」(のどかな春の日は暮れ難く、草木はさかんに繁り、鴬は朗々と鳴き、あちこちで娘が蓬を摘む)より作られた言葉である。

 先日、お見舞いした時、このように何事もなく過ぎ去る日々のありがたさを痛感したと言っていた知人から手術の経過も順調で、今日退院することができた。というメールをいただいた。朝夕の空気の冷たさに驚いているという。10日間近く温度がコントロールされた所で過ごすと季節感を喪失する。と書いてあった。

 また。退院の1日前に同室の人がインフルエンザにかかっていることが判明して、感染の広がりを止めるための処置で大変だったみたいだ。「まさかインフルエンザ騒動に遭遇するとは」と嘆いていた。病院にとっては非常事態宣言発令である。

 明日から春を満喫したいと言葉も弾んでいた。

  
コメント
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