アサヒメイトの会員証で入場無料となる“法隆寺展”が3/29~4/16の間、高島屋大阪店7階グランドホールで開催されている。昨日の荒れ模様の天気で家に閉じ込められていたので、ちょっとにぎやかな所の空気を吸いたくなった。
4月1日から京阪バスの新路線“京都交野なんば線”の運行が始まった。なんば(OCAT)⇔京阪交野市駅⇔河内磐船駅⇔高速京田辺⇔十条駅⇔大石橋(九条駅)⇔京都駅八条駅を1時間23分で結ぶ路線である。交野から京都や難波に出るには電車の乗換えをしなければならないのが煩雑であった。“乗り換えなし!観光車両でゆったり移動!”が売りの新路線は第二京阪道路を有効に使ったものである。交野からなんばまでは40分・500円である。
好奇心も手伝って、法隆寺展でなんばに出るのに乗ってみることにした。河内磐船駅10:30発のバスにした。
観光車両なので乗り心地は良い。交野市駅に向かう時、交野の道路は観光車両が走るととても狭く感じる。小さい町なんだとあらためて思った。その分、道行く人にとってはとても存在感があったのではないかと思う。珍しそうに見上げる顔をたくさん見た。
第二京阪から近畿道までは順調だが、東大阪線に入ると渋滞。環状線まで20分かかってしまった。この路線のネックはこのあたりになりそう。なんばのOCAT到着は予定より15分遅れの11時25分であった。
難波はJRと近鉄と地下鉄と南海がずれていて位置関係がまだしっかり把握できていない。今日はそのあたりも意識しながら高島屋へ向かう。
会場は3つのコーナーからできている。 ①太子信仰の美術 では各時代につくられた太子像、聖徳太子絵伝などが展示され、千年以上の時を通じて太子信仰が庶民の間まで浸透していたということがうかがわれる。法隆寺の歴史は太子信仰と不可分の関係である。太子像はいろいろな所で本当によくみかける。また、「法華義疏(ほっけぎしょ)」を印刷するための冊子用の版木、鎌倉時代のものだが、いつも感慨を覚える。

②伝世した多彩な寺宝千四百余年の長い歴史の中で守り伝えられて来た宝物の多彩さには驚く。尊像、絵画、仏具、経巻・典籍など美術工芸品のほぼ全領域にわたり、飛鳥時代から近代まで全時代の品を網羅していた。仏像の中で気に入ったもの3つ。銅版表面に、浮彫状に鋳出した“如来三尊像”(飛鳥時代):“不動明王(平安時代)・二童子(鎌倉時代)立像”:円空のつくった“大日如来坐像”(江戸時代)
③近現代の太子信仰と美術 明治政府が断行した神仏分離政策による廃仏毀釈の運動で法隆寺も例外ではなく一時危機に直面した。フェノロサ・岡倉天心らの尽力で寺宝の価値が認められ文化財保護事業が確立した。いろいろな寺院をまわりこのことは歴史の教訓として深く刻んでおかなければならないと痛感している。近現代において寺宝の保存修復・模写模造の場で数多くの美術工芸家や日本画家がかかわっている。それらの方の作品も数多く奉納されていた。中でも昭和17年に描かれた吉田義彦さんの“五重塔図”と平成2年に描かれた後藤純男さんの“百済観音像”は印象に残った。
帰りは1時間に1本しかないバスにタッチの差で乗り遅れたので地下鉄四ツ橋線で西梅田に出て、JRで帰った。時間的には大差がない。バスの新路線京都方面はいざ知らず、なんば方面は採算がとれるだけの利用者がいるかは微妙やなという感想を持った。
4月1日から京阪バスの新路線“京都交野なんば線”の運行が始まった。なんば(OCAT)⇔京阪交野市駅⇔河内磐船駅⇔高速京田辺⇔十条駅⇔大石橋(九条駅)⇔京都駅八条駅を1時間23分で結ぶ路線である。交野から京都や難波に出るには電車の乗換えをしなければならないのが煩雑であった。“乗り換えなし!観光車両でゆったり移動!”が売りの新路線は第二京阪道路を有効に使ったものである。交野からなんばまでは40分・500円である。
好奇心も手伝って、法隆寺展でなんばに出るのに乗ってみることにした。河内磐船駅10:30発のバスにした。


第二京阪から近畿道までは順調だが、東大阪線に入ると渋滞。環状線まで20分かかってしまった。この路線のネックはこのあたりになりそう。なんばのOCAT到着は予定より15分遅れの11時25分であった。
難波はJRと近鉄と地下鉄と南海がずれていて位置関係がまだしっかり把握できていない。今日はそのあたりも意識しながら高島屋へ向かう。



②伝世した多彩な寺宝千四百余年の長い歴史の中で守り伝えられて来た宝物の多彩さには驚く。尊像、絵画、仏具、経巻・典籍など美術工芸品のほぼ全領域にわたり、飛鳥時代から近代まで全時代の品を網羅していた。仏像の中で気に入ったもの3つ。銅版表面に、浮彫状に鋳出した“如来三尊像”(飛鳥時代):“不動明王(平安時代)・二童子(鎌倉時代)立像”:円空のつくった“大日如来坐像”(江戸時代)



③近現代の太子信仰と美術 明治政府が断行した神仏分離政策による廃仏毀釈の運動で法隆寺も例外ではなく一時危機に直面した。フェノロサ・岡倉天心らの尽力で寺宝の価値が認められ文化財保護事業が確立した。いろいろな寺院をまわりこのことは歴史の教訓として深く刻んでおかなければならないと痛感している。近現代において寺宝の保存修復・模写模造の場で数多くの美術工芸家や日本画家がかかわっている。それらの方の作品も数多く奉納されていた。中でも昭和17年に描かれた吉田義彦さんの“五重塔図”と平成2年に描かれた後藤純男さんの“百済観音像”は印象に残った。

