素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

西九州の旅で♪美しき天然♪再発見

2012年04月10日 | 日記
 ツアーの楽しみの1つにバスガイドさんの話がある。ベテランガイドさんに味がある。知識として持っていたものが現地での説明によってイメージがふくらんだり、新たな発見があったりと脳の刺激になる。

 前回、JTB旅物語で雲仙、高千穂、竹田、国東半島を巡った時も今回もバスは祐徳観光バスであり、両方ともベテランバスガイドであった。前回のツアーのブログでも書いたが歌をたくさん歌ってくれ、新たな発見が数多くあった。それは3泊4日で長距離移動のあるツアーだからと思っていた。

 しかし、今回のツアーでもたくさん歌を紹介してくれた。バス会社の方針なのかと思い始めたほどである。その中に♪美しき天然♪があった。九十九島の展望台“展海峰”に向かっているときに作曲者田中穂積さんのことと像が建立されているという話を聞き、遊覧に向かう車内で一緒に歌った。

 サーカス、チンドン屋の曲というイメージがしみこんでいたが、展海峰の売店の隅に置かれていた佐世保市立成徳高等女学校同窓会による説明(*)と歌詞が書かれたチラシを読みながら、今まで見てきた雄大な自然の姿をイメージして歌を聴くと心にしみるものがあった。武島羽衣さんの詩にひかれた田中さんの気持ちがよくわかる。


美しき天然



(*)佐世保女学校の教材として、田中穂積が作曲

 「美しき天然」は、佐世保北高が学制改革でその校地と校舎を引き継がせてもらった成徳高等女学校の前身であった佐世保女学校の教材として作られた曲なのです。

 作曲者は、佐世保海兵団軍楽隊軍楽長であった田中穂積、作詞者は、滝廉太郎の作曲した「花」 ~春のうららの 隅田川♪~ の作詞もした武島羽衣です。


 村であった佐世保に一挙に市制が敷かれたのは1902年(明治35年)4月1日のことですが、そのわずか12日後に、山北トミ先生らによって海軍将校子女への高等教育を考えて私立佐世保女学校が八幡町の民家に開設されました(その場所は市役所方面から北高正門に向かう通学路の左脇。現在、佐世保福祉会館別館の敷地内に「成徳高等女学校発祥地記念碑」が建てられています)。

 田中穂積は、現在の山口県岩国市の出身、1889年に佐世保海兵団の第3代軍楽長に着任。

 田中は、佐世保女学校が開設された後は、音楽の嘱託教師を務めるようになり、女学生たちが愛唱するための歌を作ることを考えるようになりました。そして、烏帽子岳や弓張岳から望む九十九島の風景をこよなく愛していた田中は、1900年に発表されていた武島の詩を目にしてこれに九十九島の風景に重ね合わせて、1902年に「美しき天然」を作曲したといわれています。

 田中の曲は女学生の間で愛唱されるようになっていきましたが、田中は1904年の大晦日に49歳で病死。その死後に譜面が出版され、「美しき天然」は全国に広がっていきました。
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