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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

文底秘沈の句にいたる

2024-08-31 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R6.9月 第248号)

 日蓮正宗総本山大石寺には、安穏なる仏国土を実現するために、時の御法主上人猊下大導師のもと世界平和を祈り、尊崇すべき本門戒壇の大御本尊在す奉安堂があります。この奉安堂右側には、富士山がそびえており、奉安堂の右手前には、熱原三烈士の碑とともに新六万塔と旧六万塔があります。仏法上、最も幽玄深遠な意義を持ち、尊ぶべき丑寅の方角に当たる清浄の地に建立されております。
 今(2024)から30年前、平成6(1994)年に新六万塔は建立され、さらに320年前、宝永元(1704)年に旧六万塔は建立されました。
 宝永時代といえば、日本の歴史上、最も大きな地震の一つである宝永大地震があり、翌月には富士山の宝永大噴火が起こり宝永山が現出しました。大量の火山灰が降り注ぎ、噴火は富士山の東側に大きな噴火口(宝永火口)を形成しました。令和の時代、南海トラフ巨大地震が不安視され、同時に富士山の噴火も警戒されています。
 現在、旧六万塔が現存することは、宝永当時の富士山大噴火を総本山大石寺は甚大な被害を受けることなく回避できたとの現証であると拝察いたします。旧六万塔は宝永元年(1704)に建立され、宝永地震と富士山の噴火は宝永4年(1707)のことであります。回避できたことは宗祖日蓮大聖人の出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊在す霊場であり、旧六万塔の建立により当時の法華講衆による唱題行の功徳によって大難を乗り越えることができたとの現証であると確信いたします。
 旧六万塔の裏面には、
「我此土安穏天人常充満(中略)南無妙法蓮華経 信行口唱六億萬遍 法華講中 以何令衆生得入無上道速成就佛身 寶永元甲申年九月十三日」(妙教 第347号 R3.8 P24)
と刻まれており、大御本尊の御加護により諸天が動いた「我此土安穏」との現証と拝信申し上げます。
 静岡大学の防災総合センターのホームページには、宝永噴火での降灰分布図が富士山ハザードマップ検討委員会からの提供により資料が掲載されています。明らかに旧六万塔が建立されている総本山大石寺は火山灰からの甚大な被害を回避された降灰分布図が確認できます。

 令和時代の現在、南海トラフ地震の被害予測が専門家から算出されています。宝永時代に建立された旧六万塔の現存を目の当たりにして、大御本尊への絶対的確信とさらなる信行に邁進することで大難を転重軽受されて回避できると確信することが大切でしょう。
 この宝永時代、総本山大石寺の御法主上人猊下は、第24世日永上人でおられました。中興の祖、第26世日寛上人も血脈相承を拝受あそばされる以前であり、細草談林で開講なされ、「草鶏記」などを記されていらした時代であります。
 特に、日寛上人の著書に宝永の大地震や富士山の噴火に関する文証は皆無ではないでしょうか。それはまさに、日蓮大聖人の『経王殿御返事』に、
「法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。(中略)いかなる処にて遊びたは(戯)ぶるともつヽ(恙)があるべからず。遊行(ゆぎょう)して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。」(御書685)
との御指南に浴されて、さらには『御義口伝』の御言葉、
「難来たるを以て安楽と意得べきなり」(御書1763)
と、そして『四条金吾殿御返事』に、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。」(御書991)
とのお振る舞いと自受法楽の境界に日寛上人は安住あそばされ、後生の僧俗へ御本尊への祈りは護法の功徳力により転重軽受の用きがあることを御指南あそばされた貴重な宝永時代の宗門史であると拝察いたします。

 総本山大石寺の第26世日寛上人は御遷化あそばされて、明年の令和7(2025)年で300遠忌をお迎え申し上げます。
 その御遷化される前年の享保10年(1725)に『六巻抄』を再治なされ、3月上旬から6月中旬にわたる3ヶ月間で完成されました。
 この『六巻抄』をお書きになる直接の起因は、正徳3年(1713)の秋に大石寺の御堂において『開目抄』の講義の際に、
「『文底秘沈』の句に至る。其の義甚深にして其の意解し難し。」(六巻抄3)
と御教示のように、「文底秘沈の句にいたる」ことでありました。
 「文底秘沈の句にいたる」とは、文証の底に秘し沈められて隠された、唯授一人の血脈相承である極理の師伝にのみ存する、宗祖日蓮大聖人の御胸中に秘して隠し持たれてきた富山の蘭室に交わるための大事な御法門であります。

 『六巻抄』とは、国中の諸宗諸門が 狐兎一党して当山に集来しても、あえて驚きおそれることはなく、日蓮正宗に秘蔵されてきた重要書であります。仏法のすべてを要約され、下種仏法の要義をまとめられた秘蔵書である『六巻抄』の「六」には具足の意味があり、日蓮大聖人・第二祖日興上人以来の教学の整足・具備が、六巻にあることを表示されています。
 その『六巻抄』とは、『三重秘伝抄 第一』・『文底秘沈抄 第二』・『依義判文抄 第三』・『末法相応抄 第四』・『当流行事抄 第五』・『当家三衣抄 第六』であります。

『三重秘伝抄 第一』 教判論
 一念三千について従浅至深し文底下種・独一本門の事の一念三千を明かす。

『文底秘沈抄 第二』 宗旨論
 三大秘法の本門の本尊(人と法)・戒壇(事と義)・題目(信と行)を説示。

『依義判文抄 第三』 開合論
 最大の深秘である正法に説かれた文証の文底に三大秘法が明らかを教示。

『末法相応抄 第四』 破折論
 上巻で法華経一部読誦を破折、下巻で造仏論を破折された指南書。

『当流行事抄 第五』 行法論
 方便品篇・寿量品篇・唱題篇を明示。

『当家三衣抄 第六』 資具論
 他宗依用の義を破し当家三衣を示す。

 『六巻抄』には、上記の要旨を詳細に御指南あそばされております。宝永大地震発生の18年後に、『六巻抄』は完成しました。日蓮大聖人が御聖誕あそばされてから約500年後のことであります。大聖人第450遠忌を数年後に控えた享保年間は、宗祖日蓮大聖人の御書においての解釈も古義蘭菊状況であり、正しい筋道をつけるための血脈相伝から正邪を決するための御指南が『六巻抄』であります。その上から宝永大地震や富士山の噴火は、「大悪は大善の来たるべき瑞相なり」(御書926)との地動瑞であると拝察いたします。

 台風が多く発生する時期になりました。大聖人御指南の「騒乱(そうらん)する事なかれ」(御書409)を心得て、「水五尺の身に近づかず」(御書354)との御利益を確信し、日寛上人御在世当時の宝永大地震と富士山噴火の中での振る舞いを現代に移して拝すべきであり、現在の南海トラフ大地震への懸念を払拭させて精進することが大事であります。
 御法主日如上人猊下は、
「世情騒然としている時、まさにかくなる時こそ、私どもは『立正安国論』の御聖意を拝し、講中一結・異体同心して一天広布を目指し、敢然として折伏を行じていくことが最も大事であることを銘記」(大日蓮 第943号 R6.9)
との御指南を肝に銘じてまいりましょう。

 最後に、創価学会員さんへ一言、創価学会第二代会長・戸田城聖氏の有名な発言「教学は日寛上人の時代に帰れ」との指導を今一度確認すべきではないでしょうか。はたして「創価学会教学要綱」は、日寛上人の時代に帰った教学ですか。はたまた「魂の独立」を宣言したため帰ることができなくなったのではないでしょうか。
 まず確認に当たり、池田大作名誉会長のスピーチ『群馬県記念幹部大会』での「栄えよ!郷土に誇りもち」では、
「戸田先生は、よく『教学は日寛上人の時代に還れ』と言われた。
 ご存じのように、日寛上人は『六巻抄』を著されている。この『六巻抄』について、日寛上人はみずから『此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといへども敢て驚怖するに足らず』(富要五巻)と言われている。まさに日寛上人は『六巻抄』で、大聖人御入滅後約四百年間に発生した邪義を、ことごとく打ち破り、大聖人の正義を内外に宣揚された。」(池田大作全集69 P104)
とのスピーチから確認されますことを望みます。

 

宗祖日蓮大聖人『四信五品抄』に曰く、
濁水じょくすいこころけれどもつきおのずかめり。 草木そうもくあめあにさとってはなさくならんや。 妙法蓮華経みょうほうれんげきょう五字ごじ経文きょうもんあらず、あらず、ただ一部いちぶならくのみ。 初心しょしん行者ぎょうじゃこころらざれども、しかこれぎょうずるに自然じねんたるなり。 」
(御書1114)

 

※「妙教」中興の祖 日寛上人伝目録(日寛上人の御一生)

①大聖人御入滅後の時代・御誕生から青年期 (妙教 第336号 R2.9)
②普門品の奉納・六十六部の行者との問答 (妙教 第337号 R2.10)
③一之進の出家・覚真の修行・細草檀林一 (妙教 第338号 R2.11)
④細草檀林二(妙教 第339号 R2.12)
⑤覚真の檀林生活・『草鶏記』各本にみる覚真の細草昇進 (妙教 第340号 R3.1)
⑥名目条箇部・四教儀集解部時代・大石寺叙景詩 (妙教 第341号 R3.2)
⑦玄義部時代一 (妙教 第342号 R3.3)
⑧玄義部時代二 (妙教 第343号 R3.4)
⑨文句部時代 (妙教 第344号 R3.5)
⑩文句部時代二 (妙教 第345号 R3.6)
⑪文句部時代三 (妙教 第346号 R3.7)
⑫文句部時代四 (妙教 第347号 R3.8)※旧六万塔史実
⑬文句部満講 (妙教 第348号 R3.9)
⑭『新説結座説法』 (妙教 第349号 R3.10)
⑮細草檀林の講主時代 (妙教 第350号 R3.11)
⑯御書の講談 (妙教 第351号 R3.12)
⑰御書の講談二 (妙教 第352号 R4.1)※六巻抄草案
⑱御書の講談三 (妙教 第353号 R4.2)
⑲御書の講談四 (妙教 第354号 R4.3)
⑳御書の講談五 (妙教 第355号 R4.4)
㉑御登座 (妙教 第356号 R4.5)
㉒金沢信徒への御指南一 (妙教 第357号 R4.6)
㉓金沢信徒への御指南二 (妙教 第358号 R4.7)
㉔御当職中の御事蹟と逸話 (妙教 第359号 R4.8)
㉕御譲座と再入寮 (妙教 第360号 R4.9)
㉖『観心本尊抄』の講談 (妙教 第361号 R4.10)
㉗五重塔建立の内談と『三宝抄』の執筆 (妙教 第362号 R4.11)
㉘大坊再住 (妙教 第363号 R4.12)
㉙六十換霜 (妙教 第364号 R5.1)
㉚石之坊建立 (妙教 第365号 R5.2)
㉛御著述について (妙教 第366号 R5.3)
㉜『六巻抄』の再治 (妙教 第367号 R5.4)
㉝御遷化一 (妙教 第368号 R5.5)
㉞御遷化二 (妙教 第369号 R5.6)
㉟御遷化三 (妙教 第370号 R5.7)
㊱御遷化四 (妙教 第371号 R5.8)
㊲おわりに(妙教 第372号 R5.9)

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