この質問には、さまざまな意味が含まれていますので、以下のように二点に分けて説明します。
①戦争協力について
第二次世界大戦中は、「国家総動員」の名のもとに、日本の国全体が戦争体制へと組み込まれていった時代でした。信教の自由が抑圧され、言論が厳しく統制されていた状況のなかで、当時の宗門僧侶は、日蓮大聖人の仏法の根本である本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈を厳護するため、筆舌に尽くしがたい苦労をしました。
戦争は本来、「兵革の災い」すなわち悪しき不幸な状態であり、一国謗法の現証であることは日蓮大聖人の御教示に明らかです。ですから、日蓮正宗がこのような戦争に積極的に加担することは絶対にないのです。
しかし、宗門の存続をも脅かす強大な軍部の圧力のもとに、宗門の僧俗は、教義的な謗法や逸脱を犯さない限りにおいて、金属類の供出、徴兵、軍隊への境内地の供用、国家への奉仕などに協力せざるを得ませんでした。
また、総本山大石寺を守るうえから、一国の滅亡を避ける意味で、日本国の戦勝祈願を行ったこともありました。これも宗門が、戦争そのものに積極的に協力したという意味ではありません。
当時の創価教育学会の出版物の中には、
「いまや、皇国日本か北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至る広大なる戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問はず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐くが戦場精神によって一丸となり、只管に目的達成に邁進しつゝあることは、すでに皆様熟知されるところである」(大善生活実証録四八㌻)
と、日本軍の戦果を賞賛する言辞が見られます。
今になって創価学会は、「学会こそ、首尾一貫して戦争反対を唱えてきた」「牧口・戸田両会長は、戦争反対を唱えて投獄された」などと会員に吹聴していますが、これはまったくのデタラメです。なぜならば、戦時中の創価教育学会が戦争反対を表明したという証拠は何一つありませんし、牧口・戸田両会長が投獄されたのは、戦争に反対したからではなく、当時の「不敬罪」によるものだからです。
②神札問題について
宗門は、日蓮大聖人の仏法を護り、個々の信徒を無用の軋轢から守るために、軍部の強制による「天照太神」と書かれた紙を、受け取ることをやむなく容認したこともありました。創価学会でもこのとき、戸田理事長(のちの第二代会長)の名をもって「通諜」を出し、神札を粗末に扱わないよう、会員に通知しています。
また、創価学会は、「宗門は戦時中、大石寺に神札を祀るという謗法を犯した」といっていますが、これについて第六十六世日達上人は、
「総本山において、天照大神のお札を貼ったことは一度もありません。(中略)別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中(軍部が強制的に使用していた書院)へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは、事実無根であります」(達全二―五―六〇七㌻)
と仰せられています。
戦争という異常な状況のなかで、当時の御法主上人及び宗門の僧俗の苦労によって本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈は護られ、その後の宗門・学会の発展につながったのです。
創価学会は、自分たちの行為を棚に上げて、あたかも宗門が戦争に協力し、謗法を容認したかのように主張していますが、これは宗門を貶めるための悪宣伝であり、卑劣きわまりない言動というべきです。
【資料】
◇『通諜(ママ)』戸田城外(城聖)
「学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと(中略)皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱いなき様充分注意すること」(昭和十八年六月二十五日付)
第六章 二十一、大石寺は、遺骨をずさんに管理し、許可のない場所に埋葬するという法律違反を犯したのではないか
日蓮正宗と戦争責任
「神札問題」について
