とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 (番外) 渋野日向子 全英女子オープン 最終日15番から全ショット 笑顔が絶えないプレー

2019-08-06 17:24:50 | 日記
こりゃまたすごい !!! 元気が出ました。


渋野日向子 全英女子オープン 最終日15番から全ショット 笑顔が絶えないプレー



澁野 日向子(しぶの・ひなこ、1998年11月15日 - )は、岡山県岡山市出身の日本の女子プロゴルファーである。日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の登録上の表記は渋野 日向子。所属はRSK山陽放送。血液型AB型。
2019年「AIG全英女子オープン」で日本人選手として樋口久子以来、42年ぶりのメジャー優勝を果たした。


経歴

アマチュア時代

陸上競技の投擲選手だった両親(父:円盤投、母:やり投)の下、三人姉妹の二女として生まれる。
岡山市立平島小学校2年生の夏休みにゴルフと出逢う。その年の12月からは地元のスポーツ少年団に入団してソフトボールも始める。ソフトボールでは投手となり、バッテイングは左打ちに変えた。

一方ゴルフでは2010年「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(小学生・女子の部・高学年)で3位等の成績がある。
2011年に岡山市立上道中学校に進学、学校で唯一の女子選手として軟式野球部に入るが、同年「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(中学生・女子の部)で優勝すると、中学2年生からゴルフ一本に絞った。その裏には軟式野球部の監督から「ゴルフ一本の方が良い」という助言があったからだという。その後「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(中学生・女子の部)では、2012年、2013年も優勝し3連覇を果たす。

2014年に岡山県作陽高等学校へ進学、同年の「中国女子アマチュア選手権」で優勝。2015年「全国高等学校ゴルフ選手権大会」女子団体戦では同高校のメンバーとして出場し、大里桃子がいた熊本国府高等学校を抑えて優勝した。
高校卒業後の2017年、JLPGA最終プロテストに進出、3日目までで14オーバーとなった為、最終日はプレー出来ずに終える。同年サードクォリファイングトーナメント(QT)B地区59位でファイナルに進めなかった。

プロ転向後

サードQT進出者の資格で2018年は主にステップ・アップ・ツアーに出場。主催者推薦競技会(マンデー)を経て同年唯一JLPGAツアーに出場した「アース・モンダミンカップ」では初日(9番ホール)にホールインワンを達成して600万円を得た。同年2度目のJLPGA最終プロテスト進出を果たし14位で合格。JLPGA90期生となる。同年のファイナルQT40位で、翌シーズン前半戦のJLPGAツアー出場資格を得た。

2019年5月のJLPGAツアー公式戦「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」において通算12アンダーで同ツアー初優勝、20歳178日での優勝は2015年チョン・インジ(大韓民国)の20歳273日を更新する大会史上最年少優勝となった。JLPGAツアー初優勝が公式戦となったのは史上13人目、日本人に限ると2016年「日本女子オープンゴルフ選手権競技」の畑岡奈紗に次いで8人目となる。この優勝により翌シーズンから3年間のシード権を得た。

同年6月の「アース・モンダミンカップ」終了時点で年間獲得賞金ランキング3位に浮上し、8月の全米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアー「AIG全英女子オープン」への出場権を獲得する
同年からの新設大会である7月のJLPGAツアー「資生堂 アネッサ レディスオープン」において、通算12アンダーで並んだイ・ミニョンとのプレーオフを制し、初代女王となり自身同ツアー2勝目をあげた。

海外初試合となった「AIG全英女子オープン」では、大会前の目標を「予選突破」としながらも、初日と2日目は2位、3日目は2位に2打差の14アンダーで単独首位となる。最終日は、3番ホールで4パットを叩いてダブルボギー、その後11番ホール終了時点で前日終了時と同じ14アンダー、2組先でプレーしていたリゼット・サラス(英語版)らに2打差の3位に後退するも、15番ホールで並び、最終18番ホールで約5mのバーディーパットを決め、通算18アンダーでLPGAツアー初出場初優勝をメジャー大会で飾った。

日本勢のメジャー優勝は男女を通じ、1977年「全米女子プロゴルフ選手権」を制した樋口久子以来42年ぶり、2人目の快挙、またLPGAメジャー大会初出場初優勝は、2014年「エビアン選手権」で金孝周が達成して以来、史上2人目の快挙となった。さらに、プレー中にも笑顔を見せ、ファンと交流することから「笑顔のシンデレラ」として国内外のゴルフファンやメディアから注目を集めた。
この直後の同年8月5日付女子ゴルフ世界ランキングで32ランクアップの14位となった。(「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」 645 おしん 佐和と一緒に佐賀からの脱出を計画するも・・・・。

2019-08-03 05:08:06 | 日記
田中 裕子。・・・なんとも柔軟でしかもシャキッとしていて、素晴らしい女優さんですね。当時の時代性を見事に演じています。「二十四の瞳」の大石先生もよかったです。

おしん 佐和と一緒に佐賀からの脱出を計画するも 二人目を身籠もる



田中 裕子(たなか ゆうこ、1955年4月29日- )は、日本の女優。本名、澤田 裕子(さわだ ひろこ)。
大阪府池田市出身。明治大学文学部演劇学科卒業。所属事務所はアニマ出版。夫は歌手・俳優の沢田研二、弟は俳優の田中隆三。


来歴・人物

中学2年から北海道札幌市西区育ち。札幌市立向陵中学校→北海道札幌西高等学校卒業、藤女子短期大学中途退学を経て明治大学文学部演劇学科卒業。学位は文学士(明治大学)。卒業論文は「女優論」。

明治大学在学中の1978年に文学座に入り、女優活動をスタート。1979年(昭和54年)のNHKテレビ小説『マー姉ちゃん』で主役の妹役としてデビュー。1981年(昭和56年)の映画『ええじゃないか』『北斎漫画』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞。1983年(昭和58年)の、連続テレビ小説『おしん』で主役を演じ、アジアやイスラム圏を中心として世界的な有名女優になる。

日本での『おしん』の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であり、テレビドラマ史上最高視聴率である。抑制のきいたセリフに情念を込める演技が特徴。

1983年(昭和58年)には映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。1985年に文学座を退団。
歌手としての活動もあり、1986年8月14日放送のTBS『ザ・ベストテン』スポットライトのコーナーに出演しシングル曲「チャイナ・ドール」(作曲・沢田研二)を披露したことがある。また1987年6月11日には黒柳徹子の代理で同番組の司会を行ったこともある。
実現しなかった『男はつらいよ』第49作「寅次郎花へんろ」にはマドンナ役で14年ぶりのシリーズ出演が予定されており、そのことが縁で『虹を掴む男』に出演している。

2005年(平成17年)には映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞受賞。2010年(平成22年)のドラマ『Mother』で第65回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞受賞。同年11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)には映画『共喰い』『はじまりのみち』でキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞受賞。 (「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」 (番外) ディープインパクト、歴史的名馬のレース

2019-08-03 00:00:49 | 日記
競馬好きではない私もこの馬のことはずっと忘れないと思います。ありがとう。お疲れ様でした。


ディープインパクト、歴史的名馬のレースを名実況で振り返る



ディープインパクト(英: Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 - 2019年(令和元年)7月30日)は、日本のサラブレッドである。2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は1984年のシンボリルドルフに次いで2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。種牡馬としては2012年から2018年の日本のリーディングサイアーである。
このほか2005年にJRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年に年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞し、 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された。(「Wikipedia」より)