とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」709 悪女・中島みゆきを中森明菜 詩う Best collection・adobe Film Process

2021-03-25 17:20:30 | 日記
中森明菜。むっ、昭和だっけ?
それはどうでも・・・。やあ、すごい、貫禄・迫力。すごい健在ですねえ。健在と言っては失礼ですね。ますます円熟味感。私が入院して家でふらふらしていた時、義妹が中森明菜 のパネルに貼った写真を持ってきてくれました。なぜ中森明菜なのかその時分からなかったけれど、とにかく嬉しかったのです。そういうことを思い出します。

悪女・中島みゆきを中森明菜 詩う Best collection・adobe Film Process



中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。1982年5月1日デビュー。人気の点では松田聖子と並ぶ1980年代アイドルの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。アイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、82年組の1人である。芸能界では松田聖子の後輩に当たる。

東京都大田区(大森)生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N.A.P.C、楽工房を経てFAITH(ファイス)所属。所属レーベルはユニバーサルJ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。

概要

1981年7月11日、16歳の誕生日目前に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結した。1982年、16歳の時にシングル「スローモーション」でデビューし、同年2枚目のシングル「少女A」がヒットした。翌1983年には、「セカンド・ラブ」「禁区」などもヒット。1980年代のアイドルとしては松田聖子と2強を競った。以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングルヒットを出し、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞した。若干20歳で歌手としてトップクラスの実績を収めていた。

1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても932.5万枚、年間50位以内ランクイン曲数は22曲と、どちらも当時の女性アイドル中で1位であった。同じく1980年代、当時の女性アイドルの中で年間シングルオリコンチャート最高位の座は4回獲得している(1983年、1985年、1986年、1987年)。

女優としても、1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』で主演を務めたのを始め、1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)に安田成美とW主演。その後も1998年の連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)で永作博美と共にW主演するなど活動を広げた。

2002年にはユニバーサルミュージックに移籍し、カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発表。歌姫シリーズの第2弾として発売されたこのアルバムはヒットを記録する。以降、『歌姫3 〜終幕』、『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』などカバー・アルバムのシリーズ作をリリースする。2004年にはプライベートレーベル歌姫レコーズを設立した。

2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。それ以降メディア出演はもとより、公の場へ一切姿を現していなかったが、2014年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦にスペシャルゲストとして、ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で登場し、4年3か月ぶりに芸能活動の復活を果たした。2015年1月には、シングル「Rojo -Tierra-」、カバーアルバム「歌姫4 -My Eggs Benedict-」をリリース。

2020年現在はテレビ番組などのメディア出演をセーブしており、公の場へ姿を見せていないものの、アルバム作品の発売など音楽活動は意欲的に取り組んでいる。(「Wikipedia」より)