とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 605 安全地帯 ワインレッドの心

2019-02-17 22:18:13 | 日記
「赤玉パンチ」のCMソングとして大ヒットしたとか。初めて知りました。発声法が井上陽水を感じさせる・・・というのは私だけなのでしょうか。

安全地帯 ワインレッドの心


安全地帯(あんぜんちたい)は、1973年に北海道の旭川市で結成されたロックバンド


メジャーデビュー

1982年

1月24日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。2月25日、1stシングル「萠黄色のスナップ」でデビュー。4月、キティレコードと正式契約。メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。

5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・日比谷野外音楽堂、大阪城野外音楽堂のコンサートをサポートする。8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。下旬、1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。

玉置は、東京・目黒の四畳半一間のアパートを借家。一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。10月25日、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。


1983年

1月25日、1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』を発表する。その後、サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用された4thシングル「ワインレッドの心」が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。

1984年

2ndアルバム『安全地帯II』、7thシングル「恋の予感」、3rdアルバム『安全地帯III〜抱きしめたい』をリリースし、翌年1月には8thシングル「熱視線」をリリースし、立て続けにヒットさせる。

1985年

9thシングル「悲しみにさよなら」が大ヒット。TBSの『ザ・ベストテン』、日本テレビ『ザ・トップテン』年間第1位に輝き、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たした。また、FNS歌謡祭では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。

1986年

8月、神宮球場においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。9月、陽水とのコラボレーションした12thシングル「夏の終りのハーモニー」を発売。12月、アナログ盤にして3枚組となる5thアルバム『安全地帯V』を発売。また、「ワインレッドの心」「恋の予感」「Friend」などが香港でカバーされ、それぞれヒットした。

1987年

安全地帯の活動の合間を縫ってソロでの活動も進められ、夏に玉置自身初のソロでのシングルとアルバムをリリースする。

1988年

秋、香港コロシアムでのコンサートを最後に活動休止を宣言。その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6thアルバム『安全地帯VI〜月に濡れたふたり』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行なう。
12月、自身初のベストアルバム『I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST-』をリリースする。

1990年

7月、約2年ぶりとなる7thアルバム『安全地帯VII〜夢の都』をリリースする。収録曲の「この道は何処へ」は1991年冬季ユニバーシアードテーマ曲。

1991年

12月、8thアルバム『安全地帯VIII〜太陽』をリリースする。

1992年

12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る(ただし解散ではない)。
(「Wikipedia」より)