とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

卑弥呼

2014-04-30 22:18:21 | 日記
卑弥呼




 安田靫彦「卑弥呼」(1968年作 滋賀県立近代美術館蔵)
 画伯の没後50年に達していないが、敢えて引用させていただいた。お詫び申し上げます。この作品は「王昭君」とともに私の心に焼き付いている作品である。衣装、髪飾り、背景が調和している傑作だと思う。綿密な時代考証がなされている。


 私はあくる日の午後、園田に導かれて空を飛んで劇場に入り込みました。舞台は「卑弥呼と阿国」の大団円の場面で、群舞が演じられていました。中央に連城小百合の卑弥呼と凰佐久良の阿国が並んで華麗な舞いを披露していました。その周りを仙女、翆園、華龍、麗華、笙子たちが取り囲み、新阿国座のメインキャストが勢揃いしていて、会場には贔屓の役者への掛け声が響きわたり、その熱気が2階席まで伝わってきました。


 先生、今日も満員ですね。出雲が舞台劇の中心地になりましたね。

 よかった。私も嬉しい。

 それにしても、九州の卑弥呼が合流するとは思いませんでした。連城小百合という役者、風格がありますね。堂々たる舞台ですね。

 予想以上だ。これからが楽しみだ。

 役者の志願者が集まってきますね。

 湖笛だけでは追いつかなくなる。演劇の学校が必要になる。その点、三朗も考えていると思う。

 里見オーナーが言われた負の掛け算がこの地で実現しましたね。

 私もそのことを考えていた。あの夜、雷が落ちたのはどうしてなのか・・・。

 えっ、そう言えば・・・。私は、その春子先生の予言をあの日先生にお伝えしたのですが、そんなことまで考えていませんでした。

 卑弥呼がよく知っているような予感がする。

 卑弥呼 ?

小百合だよ。

 えっ、どうしてですか。

 いや、あくまで予感だ。今日来たのはそれを確かめるためだ。

 確かめる ? どうやってですか。

 姿を見ていれば自然と分かる。

 えっ。

 私はずっと透視していた。背後の姿を。

 それで、何か・・・。

 掴めた気がする。連城小百合の背後には卑弥呼が常に取り付いている。

 それと雷とはどういう・・・。

 難しい。・・・天に集積した地上の邪気があの日雷となって落ちた。

 私にはよく分かりませんが・・・。

 つまり、そのことをよく知っているのが卑弥呼。卑弥呼はアマテラス。その化身が小百合。ということは、再びあの現象が起こらぬように庇護しようとここにやってきた。・・・火の鳥、ニケ、観音様、アマテラス。すべてがここを聖地と思って集まってこられた・・・。新しい神話が
ここから始まる。

 先生、それが本当だとすると、奇跡ではないですか。
 
 いや、奇跡とか偶然ではない。私は、天の声としてそう感じただけだ。
 
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