旅とは出会いであります。人、酒、食べ物、温泉、町、風景、名跡などなど、訪問前のこちらの予想を遥かに超えた時、旅の思い出は素晴らしいものとして記憶されるのです。だから私はあまり下調べを入念にしないし、ツアーなどにも参加しない。
全国を回っていると思い入れの強い町というものが増えていきます。素敵な思い出を作れた町は私の記憶にいつまでも輝いています。
昔、三陸を旅した時、一番最初に泊まった町は気仙沼でした。内陸部の一関は天気が良かったのに気仙沼は雨が本降り。気仙沼は駅から町が離れており、私はずぶ濡れになりながら予約していたホテルに着きました。そこはホテルというよりは旅館と呼んだ方がいいような小さな宿。気のいい主人がずぶ濡れで現れた私を心配してくれました。気仙沼名物フカヒレを使ったスープのラーメンがあると聞いていたのですが雨で断念、またいつか訪問して食べたいと心に誓ったのでした。
翌朝、雨上がりの駅までの道、輝く朝日に照らされる港に思わず立ち止まってしばし見とれた事を、つい先日の事のように思い出します。
昨日も書いたように本文は通常通りでいきます。今回は宮崎からのお話を。
昨夜は宮崎市内に泊まりました。宮崎に来るのは四回目なのですが、宮崎市内に泊まるのは今回が初めてです。私は格安料金のホテルをネットで予約していたのですが、メインストリートから外れた場所にホテルがあり迷いながら到着。小さなホテルでフロントは主人が一人。道に迷った話などを軽く雑談したあと、部屋に荷物を置いて繁華街に出ました。
宮崎のメインストリート橘通りを歩きながら良さげな店を数軒選び、その中の一軒に入ってみました。入口に掲示されていたメニューにあった、宮崎名物チキン南蛮の半分セットというメニューが目を引いたのです。
店はカウンターとお座敷。私は一人カウンターに座りました。とても親切丁寧な女将さん。カウンターの中の店長は眼鏡をかけた優しいおじさん。私は芋焼酎「黒霧島」を飲みながら、メヒカリという小魚の唐揚げ、チキン南蛮半分セット(チキンが二切れ)、宮崎名物冷汁を食べました。冷汁はご飯の上に野菜などが入った味噌汁みたいな汁をかけて食べるのですが、これが美味しい。チキン南蛮もメヒカリの唐揚げも美味しい。私はすっかりご機嫌です。そんな私に隣のご婦人が「もう飲まないの?」と声を掛けてきました。
ご婦人は一人でしたが、女将さんや店長と顔見知りらしく、女将さんが隣に座って話が弾んでいます。ご婦人は黒霧島の四合瓶を頼んで飲んでいましたが、私のグラスに黒霧島をなみなみと注いでくれました。都内ならこれだけで500円くらいでしょうか。
更にご婦人は空豆を殻ごと焼き上げたものを一房私にくれました。空豆の香ばしさと芋焼酎のコクが実に合います。店長も交えて雑談が始まりました。
帰りは店長自らエレベーターの前まで来てくれて深々と頭を下げてお見送りをしていただきました。こちらも何度も頭を下げて、「宮崎に来たらまた来ます」とお礼を述べるのでした。皆さんも宮崎に行く機会がありましたら、橘通りの「うお○○屋」(宣伝の許可をとっていないので伏せ字にします)を訪れてみてください。オススメします。
今日は宮崎から鹿児島に出て九州新幹線に乗りました。九州新幹線の博多~新八代が本日開業しまして、山陽新幹線が新大阪から鹿児島中央まで乗り入れするようになりました。
津波警報の関係で鉄道はダイヤが変則になっていて、鹿児島中央までは行けず、途中にある国分という駅までの運転でした。国分なら確か空港や大隅半島の方から鹿児島中央まで行くバスがあったかもしれないと思い駅員さんに聞いたところ、やはりバスはあり、駅から徒歩10分ほどのバス停の位置を教えてもらいました。地方だと駅前が繁華街ではない事が多く、路線バスが外れて走っている事は珍しくはありません。
バスの車内から桜島を眺めながら約一時間半。到着した鹿児島中央駅は以前訪れていた時とは別物な立派な綺麗な駅になっていました。鹿児島の繁華街である天文館通りも賑わいを見せ、道を往く鹿児島市電の電車も綺麗な新型がたくさん走っていました。
駅弁を買って新幹線に乗り込みます。駅弁は地鶏、さつまいもの天ぷらなどが入った美味しい駅弁でした。私は駅弁ヲタでもあるので、こういう郷土色豊かな駅弁は大好きです。
私が乗ったのは山陽新幹線直通用に作られた「さくら」号。中に入ると何とも言えない新車の香り。おそらくこの車両の初の営業運転なのでしょう。車内はとても綺麗です。思わずデジカメで車内、外見などを撮りまくり。
しかし、写真撮りまくりなのは私だけではなく、乗客の半数以上がそのような状態。記念式典は自粛により中止されたそうですが、お客さんにとっては今日は開通ムードなモードなのです。
電車が走り始めて各駅に停まる度にホームにたくさんの人がいるのが見えます。家族連れやカップルが入場券を買ってホームに入って見学をしているのです。
熊本で私は隣のホームにいたJR九州の新幹線車両「つばめ」号に乗り換えました(今回の記事の掲載写真がつばめ号)。
JR九州は有名建築デザイナーの方が全ての車両の外見、内装のデザインプロデュースをしているので非常に斬新なデザインの車両が多い。つばめ号も座席の背ずり、肘掛けが木張り。雑誌や新聞を挟む座席のラックがよくある網ではなく黒い人工革。テーブルは肘掛けの所に収納されている折り畳み式。
私はデザイン力に唸りながら景色も眺めました。やはりどの駅のホームにも見学をするお客さんがたくさんいます。
それを見て、私は鉄道紀行作家の第一人者宮脇俊三さんのベストセラー作「時刻表2万キロ」に収録されていた気仙沼線が開業した時に乗り合わせた話を思い出しました。線路を通じて町と町は繋がっている。繋がっていく。
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口蹄疫や新燃岳噴火で宮崎も大変だったのですが、全国の方々からの温かい言葉、支援が本当に心にしみた、と地元の友人達が話していました。恩返しをいつかしたいとも。
こうして心がつながっていけば嬉しいです。
電車での旅、楽しそうでした。少しおすそ分けをしていただいた気分でした。ありがとうございました
宮崎が故郷、いいですね。私は田舎と呼べるものがないのです。都会で生まれ育った者の贅沢な悩みです。
宮崎は暖かくて、どこかのんびりしていて、自分と波長が合う町です。もっと長く滞在したかったです。
全国の人が宮崎を心配していて、善意の輪が広がっていった事は素晴らしく、また県外者である私も嬉しかったです。
最近、地元に宮崎料理の店が出来たのでひいきにしています。料理も美味しいものばかりですよね。