なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

衣食住(20240513)

2024年05月13日 06時12分44秒 | 日記

衣食住(20240513)

先週土曜朝の音声記録ネタ。
ヒトは衣食住で足りるのか、ということ。

野性動物も「衣食住」の世界。
複数で暮らす習性と繁殖本能は「住」に分類。
野性動物は衣を着たり脱いだりしないけれど、体毛の生え替わりがあるから、それを「衣」に分類。
といっても、日々の「食」と繁殖を伴う「住」で一日を過ごす。

ヒトには「衣食足りて礼節を知る」ことわざがある。
「衣服や食糧が十分あって初めて礼儀や節度を期待できる」というもの。
https://ja.wiktionary.org/wiki/衣食足りて礼節を知る
最近では暮らし向きも大切とされ、衣食+住環境の充足が求められる。
つまりヒトも「衣食住」の充足が大切、野性動物と同じで。
でも、それだけだろうか?

野性動物とヒトの決定的な違いは脳の形と大きさ、特に大脳の表面積。
大型の霊長類と比べても、ヒトの大脳の表面積は圧倒的に多い。
その大脳でヒトは何をしているか、それを簡単にいうと「創造」だ。
でも、その「創造」の見返りが、よく分からない。

「衣食住」の見返りは、即物的で分かりやすい。
身に纏うもの、食べ物、住まい、そして伴侶と仲間。
これがヒトと野性動物の共通項。
でもヒト特有の「創造」な場合、その見返りは何か。
スポーツ応援、読書、音楽漫画絵画映画鑑賞、ハイキング、登山、マラソン、水泳、筋トレ、ペット。
その特徴は、それが衣食住の充足と無関係なこと。
もちろん、日常生活が充実するので衣食住がより豊かになるのだけれど、ここが野性動物と決定的に違う。
その本質は「創造性」の愉しみだ。
例えば、推しチームを応援し一体感に浸る愉しさは、推しと自分を同一視するヒト特有の創造性でもある。
この「創造性」は、読書、鑑賞、アスレチックやアウトドアなど、ほとんど全ての余暇がこれ。
つまり、私たちの衣食住以外の悦びの正体が、実は「創造性」で、直接実利ないものを愉しんでいる。
この「創造性」は野性動物からみれば「無意味」に見えるだろうけれど、それは興味ない他人にとっても同じ。
興味ない「創造性」に打ち込む姿など、哀れで無意味で価値のない存在に感じるだろう。
興味ないヒトにとっては大正解で、なぜならそのヒトにとって、それなぞ完全に無意味かだら、野性動物にとっても、そうであるように。

なにが言いたいのか。
ゲームフィッシングの「C&R」こそ、この「創造性」だ。
その他一般のヒトから見れば、完全に無意味で無価値な行為、それが「C&R」。

なにが言いたいのか。
だからこそ、価値があるのだ、「C&R」こそ「創造性」である私たちにとって。
しっかり装備を整え自然に入り美しい魚を釣り、そして逃す。
その行為を私たちは創造し鑑賞する、まるで芸術家が芸術作品を作り上げ、そして鑑賞家がその芸術に心を酔わすように。

私たちの「C&R」は、芸術を創造し鑑賞する行為そのものだ。

そんなことを、先週土曜朝の通勤路で、私は考えた。

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