「私は運が良い人」とつい最近書いた覚えがある。
そんな戯言を裏付ける要素についてとあるコラムを読んだのでそれを抜粋してご紹介する。
このソースは不明だがわりと使いまわされている様子。
ただしと言うかやっぱりと言うか余所から借りてきた言葉なのでどこかキレイゴト。
充分に共感は出来るのだが当ブログは私の中から出た叫びで勝負したいよねぇ。
それでもせっかくなんで書いてみますよ。
ベースはコピペだけど異常に読みにくかったので毒編集してありますアシカラズ
***
ピンチをチャンスに変えられる?
次々と押し寄せるピンチ。「どうして私だけ?」と自分をかわいそうがり
様々な窮地をなんとか乗り越えて涼しい顔をしている人を指差して
「あの人はズルイ!」と目を吊り上げる。それこそがよっぽどピンチ。
ありがとうは惜しみなく
毎日起きる小さくて嬉しいハプニングに、一つとして見逃していいものはない。
その事に慣れてしまったり驕ったりしたらあっという間に色あせてしまう。
どれだけそれに感謝できるかが、その人が楽しそうに輝いているかを決める。
自分にこそ気を使う
「自分なんて」という言葉は謙遜か卑下か?容易く使う人がいるが
聞いている相手にも「自分なんて」を宣言し大切な存在ではないことを印象づける。
自分が自分を好きになれなくなってしまう危険な流れ。
言霊に敏感になる
今の時代「いえいえ私なんてつまらない者です」は美しい謙遜ではない。
仕事を任せてくれる相手、愛情を注いでくれる相手に「なんて」を聞かせることは失礼。
お気に入りにかこまれよう
せっかく所有するものが、まあまあそこそこ好き──でいいわけがない。
雑に扱えるほど愛情がないものばかりで満たされているのであれば
その人の人生はいつまで経ってもまあまあでそこそこだ。
現状を受け入れる
いつでもイライラと苦しそうで辛そうな人とは、あまり時間をともにしたくない。
緊張を強いられる人間関係や思わず息をのむような大変な状況を、
自分で咀嚼せずそのまま周りの人に渡してはいけない。
常識にとらわれない
自分が進むべき道や決めるべき事柄を「常識だから」とするのは無責任。
なぜならもしそれが間違った方向へ進んだら誰かの何かのせいにできるから。
一見「常識にあらず」と思えるところに可能性は眠っている。
変化をたのしめる
守りに入ってしまったらその人はそこからは成長しない。失敗をするかも?
新しい経験は面倒くさい?そうして逃げ込んだ無風地帯は決して安全ではなく
顔を覗かせた時には既に世界は自分を置いて変わってしまっている。
60歳まではリハーサル
早くにいろいろなことを経験しなくてもいい。辛い事も楽しい事だって。
物事には光と影があり、人生の早いうちに光だけを味わわないように。
「幸せごと」に先走りすぎるのはもったいないよ。
どうでしょうか?共感できました?そしてこの文章は最後にこう締めくくっています。
80年位は続くであろう人生のごくごく前半にピークをもってこない。
明るく楽しげなゴールはできるだけ先に未来に。
先に目標があればその間コツコツとトレーニングを重ねられる。
おしゃれも美しさもそして人生も本番はソコから。自分の力でそこに到達するのです
***
キレイにまとめた感アリまくりだが・・・これじゃ毒神文章の意味ない。
極めてデタラメなワラクシにはこの程度の枠じゃ間に合わん。
まずその安いテンプレートを破壊してしまえ
人生は思っている以上に短いと断言する。
そして
「生きる」と「生きてる」は全く違う。
これを絶対に間違えちゃいかん!
80歳なんてただの(日本人男性寿命の)平均値だ!私のリミットじゃねぇ!ダァー
自分の価値感が年齢と共に変わってゆくように喜びも愛情もお金も不変なんかじゃない。
ならその時その瞬間のピークを掴んで行くべきだろう?
先送りも出し惜しみもそんな加減しても仕方がない!
今だ今!今一番いいものが欲しいんです。
って結論=持論でこの一文を落としたいと思ふ。ではまた来週に♪
そんな戯言を裏付ける要素についてとあるコラムを読んだのでそれを抜粋してご紹介する。
このソースは不明だがわりと使いまわされている様子。
ただしと言うかやっぱりと言うか余所から借りてきた言葉なのでどこかキレイゴト。
充分に共感は出来るのだが当ブログは私の中から出た叫びで勝負したいよねぇ。
それでもせっかくなんで書いてみますよ。
ベースはコピペだけど異常に読みにくかったので毒編集してありますアシカラズ
***
ピンチをチャンスに変えられる?
次々と押し寄せるピンチ。「どうして私だけ?」と自分をかわいそうがり
様々な窮地をなんとか乗り越えて涼しい顔をしている人を指差して
「あの人はズルイ!」と目を吊り上げる。それこそがよっぽどピンチ。
ありがとうは惜しみなく
毎日起きる小さくて嬉しいハプニングに、一つとして見逃していいものはない。
その事に慣れてしまったり驕ったりしたらあっという間に色あせてしまう。
どれだけそれに感謝できるかが、その人が楽しそうに輝いているかを決める。
自分にこそ気を使う
「自分なんて」という言葉は謙遜か卑下か?容易く使う人がいるが
聞いている相手にも「自分なんて」を宣言し大切な存在ではないことを印象づける。
自分が自分を好きになれなくなってしまう危険な流れ。
言霊に敏感になる
今の時代「いえいえ私なんてつまらない者です」は美しい謙遜ではない。
仕事を任せてくれる相手、愛情を注いでくれる相手に「なんて」を聞かせることは失礼。
お気に入りにかこまれよう
せっかく所有するものが、まあまあそこそこ好き──でいいわけがない。
雑に扱えるほど愛情がないものばかりで満たされているのであれば
その人の人生はいつまで経ってもまあまあでそこそこだ。
現状を受け入れる
いつでもイライラと苦しそうで辛そうな人とは、あまり時間をともにしたくない。
緊張を強いられる人間関係や思わず息をのむような大変な状況を、
自分で咀嚼せずそのまま周りの人に渡してはいけない。
常識にとらわれない
自分が進むべき道や決めるべき事柄を「常識だから」とするのは無責任。
なぜならもしそれが間違った方向へ進んだら誰かの何かのせいにできるから。
一見「常識にあらず」と思えるところに可能性は眠っている。
変化をたのしめる
守りに入ってしまったらその人はそこからは成長しない。失敗をするかも?
新しい経験は面倒くさい?そうして逃げ込んだ無風地帯は決して安全ではなく
顔を覗かせた時には既に世界は自分を置いて変わってしまっている。
60歳まではリハーサル
早くにいろいろなことを経験しなくてもいい。辛い事も楽しい事だって。
物事には光と影があり、人生の早いうちに光だけを味わわないように。
「幸せごと」に先走りすぎるのはもったいないよ。
どうでしょうか?共感できました?そしてこの文章は最後にこう締めくくっています。
80年位は続くであろう人生のごくごく前半にピークをもってこない。
明るく楽しげなゴールはできるだけ先に未来に。
先に目標があればその間コツコツとトレーニングを重ねられる。
おしゃれも美しさもそして人生も本番はソコから。自分の力でそこに到達するのです
***
キレイにまとめた感アリまくりだが・・・これじゃ毒神文章の意味ない。
極めてデタラメなワラクシにはこの程度の枠じゃ間に合わん。
まずその安いテンプレートを破壊してしまえ
人生は思っている以上に短いと断言する。
そして
「生きる」と「生きてる」は全く違う。
これを絶対に間違えちゃいかん!
80歳なんてただの(日本人男性寿命の)平均値だ!私のリミットじゃねぇ!ダァー
自分の価値感が年齢と共に変わってゆくように喜びも愛情もお金も不変なんかじゃない。
ならその時その瞬間のピークを掴んで行くべきだろう?
先送りも出し惜しみもそんな加減しても仕方がない!
今だ今!今一番いいものが欲しいんです。
って結論=持論でこの一文を落としたいと思ふ。ではまた来週に♪