Nonsection Radical

撮影と本の空間

食傷ぎみ

2016年03月29日 | Weblog
最近また本を読み始めたんだけど、小説誌は半分ほどが”時代”小説で埋められていて、最近の人気を反映しているようだ。
いくつかのシリーズは気に入っているんだけど、さすがに時代小説ばかりが続くともういいやという思いも湧いてくる。
熱心な読者ではなく、読み終えるとすぐに忘れる程度の読み方なんだけど、どの話にも一定の”法則”みたいなものがあって、簡単に言うと描写が饒舌で(くどく長いという意味)それが最近の必須の書き方なのかと思いもするが、そういう描写が必要なのかと疑問に思う気もするんだな。
でも小説誌は隅から隅まで読むたちなので、一応は目を通す。
で、飽き飽きして積んどく本の中から適当なものを取り出して読む。
積んどく本は多くが少し前の本なのだが、現在ほど”饒舌”ではないが、十分想像が働く文体であるものが多い。
そんなものを読んでいるとますます”饒舌”である必要があるのかと思ってしまう。
饒舌な文章は飽きるんだよな。
”ナレーション”が多いドラマみたいなもので、それでいてそんな説明が本当に必要なのか吟味しているのか?と思わせる無駄さを感じるんだな。
それが”時代もの”に特に感じるのは、そういう”法則”みたいなものが”時代もの”にはあるのかと思ってしまう。
よくなんとか賞の選評で「描写が弱い」みたいなことをいう作家大先生が多いので、こういう状況が生まれたのかと邪推するんだけど、そういうことを言う作家大先生の文体は結構簡素で的確な描写だったりするんで、意地悪だなと思ったりもして。



三春町2丁目の街並み 2
神奈川県横須賀市三春町2,3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 13時45分
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