Nonsection Radical

撮影と本の空間

反作用は選べない

2016年02月20日 | Weblog
駅やお店、街角などで相手に向かって強く罵る言葉を吐く人がいたりするじゃないですか。
何かを抗議するとか、気に入らないことを声に出して言っているんだろうけど。
それだけ気に入らない理由があるんだろうと思う。
でも、その言葉がキツいほど、汚いほど、理由はともかく相手には向けられた言葉の強さと同じだけの感情の作用が働くと思うんだ。
どんなにキツい言葉を投げかけても理はこちらにあると思っているんだろうけど、その言葉の作用は同じだけの反作用を生む。
逆ギレなどという言葉でその反作用を否定し、当然低姿勢になって謝るものだと思っているんだろうけど、そんなわけがない。
作用した力に単に反作用が働いているだけなので、そこに正しいも悪いもない。
第三者からすれば、どうしてあんな言葉を吐くんだろうねぇ、伝わりはしないのに・・・と思うのだけど、吐く人はそうは思わない。
そんな”自分勝手”な、あるいは無頓着な作用なので、期待する反作用も”自分勝手”な、あるいは無頓着なものを期待しているのだろう。
でも、反作用は選べないのだ。
どんな反応が返ってくるかは想像できない。
でも、強い作用には強い反作用が、弱い作用には弱い反作用が返って来やすい(かもしれない)。
まったく予想もしない強い反発が返ってこないとも限らない。
感情とはそういうものだと思う。



サウザンロード相模台 2 中央商店会
神奈川県相模原市南区相模台2丁目、南台5丁目
撮影 2015年7月25日 土曜日 15時55分
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