Nonsection Radical

撮影と本の空間

最終出力

2016年02月01日 | Weblog
詳しいことはわからないから、”それ”について語るのではなく”関連”として思うことを。
どこかの写真コンテスト(?)で、フォトショップで加工した”写真”が受賞して、フォトショで”細工”しているのにぃ・・・みたいな反応があったようだ。
それで、加工した部分を拡大して不自然さをあげつらう感じだったんだけど、なにそれ?って思った。
たとえば印刷されたものを拡大したら網点の集まりであるし、デジカメ画像をもドンドン拡大すると四角い点の集まりでしかない。
だからといって誰もその”点”について評論したりしないのはバカバカしいからだ。
同様にデジカメ画像を”等倍”に拡大してモニターで見て、アレコレ言うのもナンセンスというものだ。
なぜならば、”まともな”写真であるならば、意図した最終的に出力したサイズだの媒体だのがあるからだ。
紙にプリントした場合には、そのプリントが最終出力形態であり、そのかたちで鑑賞するのが”正しい”鑑賞の仕方なのだ。
だからプリントされたものを別の媒体で二次的に見る場合、意図されたものでない限り、それは正しい姿をあらわしてはいないと言える。
そう思ってかからないと勘違いしてしまう。
印刷したものが最終出力媒体として意図しているのなら、その印刷物を見てアレコレ考えるのが筋だし、モニター上がそうである場合、意図したサイズ、環境で見て判断するべきものなのだ。
だから話のフォトショ加工”写真”も最終出力のカタチで見るべきだし、それで楽しむべきなのだ。
それが不自然でなければ何の問題もないではないか。
女優やジョシタレントの顔を拡大して、アレコレアラを探すのはナンセンスであるのと同じ。

ちなみにアタシの口絵画像は横640ドットで、パソコンで見ることを前提にかなり無理無理いじくっている。
でも、その前提で見る限りは破綻のない(少ない?)画像となるように努力している。
もしこれを紙にプリントするとなると、一から作業をやり直してそれらしく見せる努力をしなければならない。
もちろん面倒だからそんなことはしないけど。




四倉町の街並み 10
福島県いわき市四倉町六丁目
撮影 2015年9月21日 月曜日 16時20分
コメント (2)
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