Nonsection Radical

撮影と本の空間

新聞を読まねばならん

2011年12月17日 | Weblog
久しぶりに「紙」の新聞を読んだら、ひどく後悔した。
読み続けるべきだったなと。
「事象」を追いかけるだけの社会面や政治、経済面など「紙」でなくても事足りる世の中である。
そういう「メイン」ではない、文化部、科学部などが書く「記事」こそ、これからの「紙」の新聞のよりどころになるのではないか?
そこには「なぜ」が書いてある。
政治、経済、社会面の表面上の事象を追いかけるだけの記事とは違い、メインの立場にはいないであろう他部署の記者だって、一生懸命頑張って取材して記事を書いている。
それらは日々駆け足で追いかける必要のない出来事にも目を向け、深く掘り下げ、新たな光を当てる作業であり、やりがいもあり、事実、読ませる記事が多い。
ただ部署がメインでないだけである。
ところが、メインの部署は、ネットやテレビの無料情報に太刀打ち出来ず、独自の記事を書く体制でもなく、お金を取って読んでもらうに値しない状況へと追い込まれている。
とすると、新聞に残された「オリジナル」といえば、あとは非メインの部分でしかないではないか。
そういう部分はまだ、他の媒体には勝っている。
組織と、お金と、時間と、知識の蓄積は、新聞社にかなわない。
だからそういう部分を伸ばせばイイのにと思う。
ところが、別刷りなどを出す場合でも、メインの部署がしゃしゃり出てきて、経済的側面で切ってみたり、政治的に語ってみたりと、単なる1面2面3面を拡張したような「つまらない」記事にしてしまう。
シロートに少しインテリな話を読ませよう、という感じの薄っぺらいものだから、つまらない。
所詮現在の社会、経済、政治面などはその程度なのだ。
そんなものは必要ないのだ。
必要なのは事象説明ではなく、本質を探る記事なのだ。
専門書で述べられる内容を今日の紙面で語る記事が必要なのだ。
そういう記事を書いてこそ「高級紙」として生き残れるのではないのか。
そんな事を感じて、これからは新聞の社会、経済、政治面以外は読もうと思ったのであった。


神戸・南京町 Part3
コメント
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