Nonsection Radical

撮影と本の空間

綾瀬はるかがキライなわけじゃないが

2011年07月13日 | Weblog
2夜つづけて「小暮写眞館」(冩眞の方がもっと雰囲気が出るが)を読んでしまった。
帰宅後就寝までの間で700ページあまりを読み切ったので、当然深夜まで読んでいた。
予想と違って青春小説だった。

貸してあった「プリンセス・トヨトミ」が返ってきた。
その時に、ふと魔が差して映画の「方」を検索してしまった。
ビックリ!!
あの背の高いハーフのネエちゃん役が綾瀬はるかだと・・・
ハーフに見えないんですけど・・・
お父ちゃん役が中井貴一って・・・

他の人の事は知らないけど、小説を読むっていうのは頭の中で「非実在青少年」(つまりキャラクター)を勝手に創りだすんですよ。
話に沿って頭の中でドラマが映像化されるんです。
だからsatoboにはsatoboのキャラクターが創られていて、そのイメージと映画などで実在青少年が現れて、それが自分のイメージとかけ離れているとガッカリするんですよね。
まあほとんどの映画がそうなるんですが(ブリジットジョーンズの日記などはイメージ通りだったけど)、原作に書いてある容姿とまったく違うというのもどうなんでしょうね。
もっとも非実在青少年といっても、確かな姿カタチがあるわけでなく、かといってモヤのかかったイメージというのではなく、全てがハッキリ見えるんだけどピンボケで細部がわからない状態とでもいうのでしょうかね、そんな感じ。
だから誰々のイメージと言えないのだけど、誰々とは違うとはわかるんです。
だから綾瀬はるかじゃないんです。

もちろん小暮写眞館もイメージが出来ております。
誰が実在青少年に適しているかは役者を知らないので名指し出来ませんが、映画になっても今度は検索して詮索しないことにします。
だいたい700ページの本を映画には出来ないでしょ。
映画と小説は別物になるでしょ。
そういう場合、だいたい映画の方が負けているんです。
だから小説原作の映画は見ないようにしているんです。

寝不足でクラクラしてキモチ悪いので本日はコレまで。
コメント (2)
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