Nonsection Radical

撮影と本の空間

オヤジは用なしだと自覚して

2011年07月23日 | Weblog
昨夜、ああは書いたが、そのまま引き下がるわけにも行かず、再び今日も大阪を徘徊。
いろいろ回って、心斎橋筋を歩く。
やっぱりつまらんなぁと思った時に、ふと、それはオヤジには関係ない街だからと自分が思っている事に気がつき、別の思いで街を観てみようと思い直した。
実際には、何も考えずにキョロキョロ歩いただけだが・・・
そうすると人の顔が見えてきた。
すると街が面白くなってきた。
心斎橋に近いところはブランドショップも多い事もあり、ナウなヤング(死語)が闊歩しているが、北上するにしたがい年齢層がグラデーション化していくのと同時にお店も庶民的需要のものへと変わっていく。
それでいいのだと思った。
もっとも食欲も物欲も○欲もなくなったオヤジであるから、特に欲しいものもないので、群衆に歩調を合わせながら流れていったのだが、その合間に横道にそれたりして、出勤途中の盛ったオネイサンを凝視したり、店外交際でホテルへしけこむ年齢アンバランスなワケありアベックを何組も目で追ったりと、楽しい時間も過ごせた。
もちろんシャレオツなお店やバイクも見つけたし、あか抜けたジョシも見つけた。
外人さんもたくさん歩いていたし、中国語を話す人達もいた。
中国語かと思い、そちらを向くと、実は大阪弁であったという事もあるが、それは中国語と大阪弁の語感や言い方のキツさが雑踏の中では似ているからだと思う。
逆に、上海でデカい声で話すオバちゃん軍団がいて、さすがに上海のオバちゃんはキツいなと思って、よく聴くと大阪弁だったという経験もあったし。
もちろんお店のガラスには「銀聯カード」のシールも貼ってある時代だ。
南京西路を歩くように心斎橋を中国人が歩いてもおかしくはない時代である。

それでも大阪の街が好きになれないのは、歩行者に不便な街だから。
道路を渡るのに、なんど横断歩道や地下道へ迂回せねばならなかったか。
クルマというのは場所ばかりとって金を生まないのだ。
クルマのない街だと、もっと生活しやすく発展する街なのにと思う。
足の弱った老母は、もう大阪市内へは行きたくないと言う。

眺める事が多く、ほとんど撮影はせず。
歩行数は19500歩。
コメント (2)
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