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Nonsection Radical

撮影と本の空間

ハキハキしている。

2010年10月18日 | Weblog
我が部屋の撤収作業が再び始まった。
本日はカラーボックスの中の書類や本の整理(破棄)だ。
活用もしない書類が溜まったボックスからつかみ出しては審査し、必要だと思うもの以外は捨てた。
使うかもしれない、などというものは破棄である。
使うかなぁ、というものも破棄である。
そうやっていくとゴミ袋の中はアッという間に不要と判断された書類であふれた。
同時に今後再び読みそうもない本や、役に立たない本も破棄処分だ。
最近読んだばかりの高価な単行本も破棄。
写真も破棄。

ようやく夕方に作業終了。
ほっと一服。
は、ない。
すでにお酒は先週切れた。
タバコも今日で切れた。
お茶しかない。
お茶で一服。
味気ないなぁ。
おもわず紅茶(チャイ)を飲んで甘み補給。
絶対太るなぁ。
コメント (2)
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もう使わない言葉

2010年10月18日 | Weblog
青空文庫から「我が輩は猫である」をダウンロードして読んでいる。
文中には今は使わない言い回しが多くあり、へ~と感心したりするのだけど、当時の言葉遣いは現在のように挙げ足取り的な事が少ないからか、かなり当て字や誤用もあるようで、どれが本当の言い方だったのだろうと苦しむ部分もある。
まあ、口語を文章にするのだから、多少マッチしない事もあるさ、という感じで夏目漱石も書いていたのではないかと、勝手に想像しているが。
言葉遣いが乱れているなどという人はいつの時代にもいるようだが、夏目漱石の時代と比較すると現代の言葉遣いは乱れているだろうし、明治の言葉遣いも江戸時代から考えると乱れているだろう。
だいたい江戸時代など「標準語、共通語」という認識もないのだから、乱れているという基準もかなり限定的、いい加減な部分もあったろう。
それが共通語化していくにしたがい、使わなくなった言葉というのは増えたのではないかと想像する。
なにぶん当時の人がどのようにしゃべっていたか記録は残っていないので比較しようがないのだけど、文章を読む限りでも変化がうかがえるので、実際はもっと今から考えるとおかしな話し方をしていたのだろう。
ちょっと興味があるので、ネットにどこかアップされていないか探してみたい気もする。
コメント (6)
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