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思い出巡りの旅。

 古来、時間と共に思い出や記憶の”絵”が風化してゆくのは宿命でございますが、
今は誰でも持てるカメラでパシャリ。本当にいい時代になりました。
 そんな便利な時代な反面、
放っておくと今度はぽんこつな人間の方が色々忘れそうですので
先週の成人式辺りに出かけた母上との地元巡りの記録などをつらつらと。

- 1/11(日)-

 
 早朝4時に車に母上を乗せて、一路静岡方面へ。

 実は母上と2日間の休みが合うというのは非常に稀です。
都心の百貨店勤務の母は基本的に平日休みですし、
サービス業の性格上連休というものがあまりありません。
そんな貴重な時間を少しでも活用すべく早朝の出発と致しました。


 首都高湾岸線を抜けて、都心から渋谷線経由で東名へ。
早朝出発のねらいは朝の動きが早い首都高渋滞回避もあります。
首尾よく東名に到達。3連休の2日目と前日が休みで睡眠時間が足りていた為、
そのままの足で愛鷹PAにて軽食の休憩を取ったあとは富士ICで降りて富士宮へ。

 この時点でまだAM7時過ぎと時間には余裕がありました。
今回の旅で主な目的はいくつかありましたが、
先ずは実に久しぶりの祖父母の墓参りに向かうことに致しました。

 富士宮市街からは狐坂を上がり沼久保経由にて、
富士川沿いを南部町方面へ。余談ですが正式な名前は 南 ”巨摩郡” 南部町。
どこかで見た話では、例のコマグンはこの文字列からきているそうですね。



 「グン」なんて聞くと条件反射で「かめっ!」と叫びたいところですが、
今回は母上を乗せる都合上四輪車。前述のスタッドレス化もこの時の為でした。

 〔 道の駅 とみざわ 〕はタケノコの巨大なオブジェクトが目印です。



 所定の二輪スペースにはドカティのモンスターが1台限り。
誰か仲間を待っていらしたようですが、明らかに寒そうでした。
わかります。わかりますとも。

 早朝から営業していた店内で結構な量の土産を買い込んだ後、
なんとも穏やかな気持ちのままでお寺さんへ。



 流石にお墓の画像をこちらに掲載するほど無作法ではございませんが、
私が祖父母の墓を訪れるのは恐らく10年以上ぶり。
母方ということもありますが、いくらなんでも時間をあけすぎた気も致します。
 唯一、長年の勝手な二輪生活で
母上をこちらに連れてくるのが遅れたことは親不孝を恥じるばかりです。


 そうこうしていると、
到着と同時ぐらいにメールをしてあった静岡市在住の従兄弟から連絡が。
「すぐ行くから待ってて!」とのことですので、車でのんびりと待ちます。

 ここの南部町は山梨県の最南端に位置しますが、
富士川沿いに発展した町でもあるため静岡方面からのアクセスが極めてよく、
条件がよければ1時間足らずでアクセスすることができます。

 待っている間に周囲を見ていると。



 トリさんが南天をついばんでいました。かわいいなあ。

 程なく従兄弟が到着しまして再びの墓参りへ。
従兄弟も私も、祖父母には大変可愛がってもらいましたので
母と3人揃って墓前に立てたことはよかったのかなあなんて思います。

 それにしても従兄弟の身軽さには感心します。
元々、多方面で大変アクティブな人物ではあるのですが、
子供二人を大学を卒業するまで育て上げ、今の休日はのんびりと時間に余裕がある時期なのかも。



 ともあれ折角合流したので食事でもと誘いますが、
まだまだ時間が早く、地域の食堂などもあまり営業していない状況もあり
従兄弟の提案で静岡は清水区辺りの〔 河岸の市 〕なる市場付近の施設へ向かうことに。
母を従兄弟の車に託し、身軽になった私はのんびりと追走と決め込みます。

 程なく興津辺りから海沿いに出まして、
河岸の市の駐車場・・・は人気の観光地ゆえか大混雑でとても入れず。
機転を効かせた従兄弟が、地元の釣り客が停める別の場所へ誘導してくれました。


 彼は何事についても私などは到底及ばない大変器用な人物でして、
仕事は言うに及ばず、2輪・4輪や釣りやその他様々な趣味や特技があり、
それゆえに色々な場面で応用も利くため大変頼りになります。


 車を降りて徒歩5分ほどの場所にある程よく大きな市場を闊歩。
色々と目に飛び込んでくる欲しいものに目星をつけながら、
まずは朝ごはんにと、多くの食堂が入っている建物に向かいました。

 見るもの全てが新鮮で美味しそうゆえに色々と悩んだのですが、
母が気になったというメニューがあるお店へ。海側の席へ通されました。



 〔 地魚丼とマグロのスペアリブ 〕とかそんな名前の定食。

 カラッと揚げられたマグロのカマ?に甘ダレをかけたものも大変美味でしたが、



 やっぱり清水辺りといえばこちらでしょう!
非加熱の生桜えびは他では味わえない絶品です♪♪勿論シラスも美味。



 大満足の鮮魚な朝ごはんのあとは、場内を散策しながら山ほどのお買い物。
魚市場用の発泡スチロールを頂戴して氷を放り込んでまとめ買いしました。



 場内には謎のゆるキャラも。ケージに入って直立不動ですと色々と違和感がありますね。



 続いて、本日は従兄弟のスケジュールが丸々あいているとのことでしたので
道案内をお願いして静岡市の絶景スポットへ。



 3連休ゆえか遠方の車が多く、多摩ナンバーだったり、関西だったりと面白いです。

 ここは日本平。



富士山の世界遺産関連で有名になった〔三保の松原〕を見下ろす絶景の場所です。



 駐車場から更に上、展望スペースまで登ってゆきます。



 途中には〔 赤い靴はいた女の子 〕の石像も。
野口雨情の誌で有名ですが、女の子自身は清水の出身だそうです。

 登りきると一気に視界が開けました。



 ふわーっと。右手に見えるのが造船なども盛んな 三保の松原 エリアです。


 母と従兄弟。


 
 ちょっと着膨れした母は言うに及ばずですが、従兄弟も歳をとったなあ。
やんちゃなモテ男の面影がすっかり薄れ、今はいいパパになった感じです。
鏡を見ると私もしっかり歳をとっているのですけれど。



 富士山を一望できる静岡側からの景色も堪能したあとは、
従兄弟の案内で、母も乗ってみたかったという〔日本平ロープウェイ〕へ。



 このロープウェイは 〔日本平〕と〔久能山〕を繋ぐものですが、
久能山といえば東照宮。
この地で生涯を終えられた徳川家康公が眠る場所です。
状況証拠的には日光に遺骸はなく、こちらにある方が有力だなんて話もありますね。



 とここで。意気揚々とロープウェイのチケットを買ったまではよかったのですが。



 肝心のロープウェイに乗るまで並ぶわ並ぶわ・・・えっ?1時間以上待つのですか?
底冷えする冬の山の上で待つ一時間は大変です。



 一応、間隔を詰めて連続運転をしているようですが焼け石に水のようです。



 漸く我々の順番が来てすし詰めのゴンドラに乗り5分。久能山東照宮へ。



 若干小規模ながらも 〔 東照宮 〕 の名に恥じない立派な佇まいは見事の一言。

 急な斜面に造営された社に次々に参拝しながら、
息を切らせて頂上付近まで登り切り、家康公の墓所に参ったあとはまた下り。



 ご覧の通りの凄い混雑です。

 東照宮で途中で気になったものは沢山ありましたが、
主にこの2つが印象に残りました。

 その1: チラリズム狛犬。

 なんでそこから覗いているのか。

 その2: 一角獣。



 ユニコーンの邪武・・・じゃないですよね。

 
 階段をそろそろと降りたあとは、
入り口で参拝チケットと共に買った資料館のチケットを使います。
 館内撮影禁止でしたが、
徳川の歴代将軍の持ち物が実際に展示されており実に見事。
ここまでの品揃えは家康公が最期を迎えた地に相応しいものではないでしょうか。



 本当にいい空間です。


 さてと、観念して戻りますか。



 行きがあるという事は帰りもあるわけで。
吹きっ晒しの階段で凍えながらひたすら待つこと1時間少々。
何せ向こうの山には車が人質に取られておりますのでどうにもなりません。

 帰りも5分ごとの連続輸送を行っていたようですが、
時刻表にある最終運行時間を過ぎても人の波が途切れることはありませんでした。
ともあれなんとかゴンドラに乗り込み。



 さようなら家康公。きっとまた来ます。

 やっと帰ってきて安心したからか無性にコレが食べたくなりました。



 いちごソフトクリーム!
この旅で最初のソフトクリームですが、寒いのに美味でした♪

 この後はまたもや土産物屋で大量に買い込みまして駐車場へ。
駐車場が閉鎖される時間を少々過ぎていましたが、
この時間になると、日中の観光客が集う駐車場の景色が一変。
完全に走り屋仕様の四輪が大挙して終結していました。どこを見ても名だたるスポーツカーばかり。

 他方、冬季ゆえか二輪は少な目ではあったものの
大型のスポーツバイクを中心にしっかりと集まっておいででした。
『暖かくなったら絶対にCBRで来てやる』そう心に誓いつつ、
海沿いまでは従兄弟の道案内にてそのまま流れで解散となりました。



 『ちょっと遊びすぎたかな』そんな気持ちを抱え、
約束はしていなかったものの、富士宮時代の母の仕事でお世話になった方へ御挨拶に。
新清水ICから新東名に入り、そのまま西富士道路から富士宮は大中里エリアへ。

 駐車場の関係で私は離れた場所にて待機しておりましたが、
大層驚いて母を迎えてくださったあと、私のところまで来て下さいまして。
私が子供時代、事務仕事で残業している母の所にゆくと、
暇つぶしにと封筒を貼る仕事を任せてくれたことなど、懐かしい思い出話も。
相応に高齢になられておいでですが、お元気そうで心底嬉しかったです。

 翌日は日本舞踊関連の舞台があるとのお話もありましたので、
後ろ髪を引かれる思い出お別れし、名残惜しいながらも私と母は今宵の宿へ。



 年末に利用したばかりでなにやら妙ですが、
その古ぼけながらも素朴な雰囲気が気に入った〔 富士宮シティホテル 〕へ。



 チェックインを済ませると、荷物を置いてひと休憩のあと市街地へ。

 今回は母と一緒ですので過度の散策などは控えましたが、
夕食がてら向かったのはやはりこちら。



 〔 ろばた焼き きうち 〕さん。
子供時代、親戚や母の仕事関係の方と来た事がある為、思い出探しも目的です。



 おおぶりで絶品の生牡蠣を頂いたりのんびり夕食。
右手のお酒は〔雨後の月〕なる広島のお酒だそうです。結構好きかも。
母は一滴も酒を口にしませんが、ちゃんと楽しんでくれたようです。

 余談ですが、色々と話してゆくなかで亭主は私の中学校の先輩と判明。
また、近隣の同級生は地域の青年会で重要な役回りをしていたりと、
地元を離れて暫く経った今、旧友の活躍にちょっと嬉しくなりました。


 毎度ながら酒のあとでもしっかりとした足取りでホテルに戻り、
母とは別の部屋を取りましたので、軽い歓談の後で各々の部屋で就寝。

- 1/12(月)-

 朝焼けの頃にすっきりと目が覚め。



 野中方面の市街地を望みながら深呼吸。
富士宮市は水も空気も信じられないほどうまいのです。

 暫く窓を開け放ったままガウン姿でのんびり。
備え付けの熱いお湯のシャワー&湯船を堪能したあと
6:30から始まるバイキング形式の朝食に向かいます。



 喰いすぎだってキニシナイ。本日は車ですのでなんということもなし。



 満腹の後、少しだけ居眠りしてからチェックアウトです。
ホテルを出て何気なく潤井川沿いを走っている頃、
ちょっと荷物の整理を思い出して停車してゴソゴソ。



 こんな何気ないゴミ置き場の横でも富士山はご覧の通り。


 しばし見とれた後、本日の目的地について軽く話し合い・・・
「やっぱり寄っていかないとね。」ということで〔富士山本宮浅間大社〕へ。



 今回は、前回行こうして未遂に終わった
裏手の弓道場&公民館跡地のコインパーキングへ。地元民でないと来づらい場所です。



 成人の日というタイミングゆえ、この日は出店も盛ん。



 色々と目移りしながら歩いてゆくも、
家計を担ってきた母は「勿体無いよ~」と大人な対応。
前述の祖母も「出店の食べ物はあまり手を出さないように」との方針だったようで
大人のいう事は聞くものだとここは見てるだけ。理由は色々ありますよね。

 そのまま歩んで楼門に進みます。



 いい雰囲気です。

 ん?いい雰囲気ですが何かがワラワラと出てきました。



 なんと警察官の大群がっ・・・?
一瞬なにごとかと思いました。空気が穏やかだったので参拝しただけかしらん。



 気を取り直して楼門をくぐり、拝殿にて恭しく参拝を終えたあとは周辺の散策。



 お約束の御神籤もやってみました。
普段は箱から引くスタイルだった気が致しますが、この日はシャカシャカ付き。

 結果はなんと【 大吉 】でした。
でしたが、書かれている文言は大吉の割に全体的にネガティブなことが多かった気が。
縁談は「親類の口舌ありて俄には整ひがたし」だそうですが、
そもそも縁談自体の気配がねぇっつーのヽ(´▽`)ノ。



 おっと取り乱しました。さてと散策散策~♪
かつて境内には夜店で買って育てられなくなったニワトリさんが放逐されていましたが、
最近はめっきり見なくなっており『処分されちゃったのかなあ』などと
本当に寂しい気持ちで居たのですが、
今日は時間がありますので、それでもと裏手に向かって散策してゆくと。



 いましたー!境内から外れた奥のほうで数羽を確認。
写真のトリさんはとても愛嬌がよく、
カメラを持った私の方に少しづつ近づいてきてくれます。

 嬉しい気持ちになりながら何度か写真を撮らせてもらい、
他のトリさんを探しに奥にむかってゆくと・・・



 日向ぼっこ中の白いふわふわのトリさん集団を発見。
『暖かそうでいいなあ』なんて見ておりますと。

 ヤツが右手からトコトコと歩いて来ました。



 さっきのニワトリさんです。
カメラの前で停止し、そのまま首を傾げたりしながらコケコッコーと。
ひとしきりアピールして満足したのか奥の方へ去ってゆきました。



 みんなの元気そうな姿に安心しながら、
再び境内を通り〔湧玉池〕方面へのんびり歩いてゆきます。





 相変わらずトリさんたちは優雅に暮らしています。

 他にもニジマス?の群れもこんなにたくさん。



 気持ちよさそうですね~♪その透明度は溜息が出るほどです。

 ちょっと離れた水場ではカラスさん達ものんびり。



 住み分けはしっかりとできているようです。


 神社周辺を散策した後は、その足で〔神田川〕沿いを東町方面へ。



 なにやら蔦に覆われた洒落た喫茶店?も。いつか寄ってみたいですね。

 そのまま大宮小前の坂を上がってゆくと、
箱屋さんの前を通過。『確かここで昔ラジコンとか買ってもらったなあ。
でも箱屋さんの横でもう建物がない場所だったかも。』などと懐かしみつつ。

 表通りに出て懐かしい洋品店などを見て行きます。



 子供の頃、母の背中を追いかけてこれらの店にはよく来ました。
呉服からブーツまで地域の御婦人方の強い味方なお店です。
店内では何着かの安価な衣料を母にプレゼントしたりしつつ。



 市内の散策も満喫したあと、
表通りを更に進んでゆくとなにやらイベントの気配が。
立て看板を見るとどうやら成人式絡みのパレードがあるとかで一気に人が増えています。
神社で見た多くの警察の方も方々で警備にあたっておいでで
イベントの為だったのかと妙に納得。

 交通規制が進み混雑しすぎては身動きが取れなくなりますので、
ここいらで退散。駐車場に戻り支度をして出発。



 本日も我が家のかっぱさんとカバさんが乗っております。
因みにかっぱさんは富士宮駅前にあった 〔 長崎屋 〕 の3階おもちゃコーナーで買いました。
あとは小学校の頃、身延山で祖母に買ってもらった小さなカルガモさんも同乗していたり。


 パレードの交通規制を寸前で抜け、
この旅の締め括りにと朝霧高原は〔ドライブインもちや〕へ。
二輪車会館の閉館に伴い、個人的には『もはや来ることもあるまい』と思ったものですが、
母の兄はここと仕事のお付き合いがあったりしたものですから、
こちらも思い出探しに立ち寄ってみました。



 この形だけ残るアーチが物悲しいです。

 それでもとお土産コーナーでいくつか買い物をさせて頂きつつ。
店員の老婦人に二輪車会館の顛末を伺うと、
「もうオートバイもみんな散り散りになっちゃいましてねえ」とのこと。
閉館に伴って処分したようですね。本当にもう終わりなんだなあ。



 唯一、お土産の袋にはその名残が残っていました。

 ただ、春以降は裏手の遊園地エリアもリニューアルされるとのことで
今度はキャンプツーリングにでも来てみようかなあなどとちょっぴり思いました。



 時刻は12:30頃。そろそろ帰ります。
帰り際に市街地のPOTATO(旧 ひのや)なるスーパーで焼きそばを買い込み、
東名に乗り東京方面を目指しました。

 案の定、神奈川の大和辺りで25kmを超える大渋滞に捕まったのは誤算でしたが、
これは時間の所為ではなく、2軒の交通事故が原因。
うち1件はかなりカスタムされたGPZ900Rが倒れていたので心配ですが、
渋滞に捕まった四輪者になにが出来るでもなく、無事を祈りながらソロソロと通過。

 マニュアル車での大渋滞という洗礼をたっぷり味わいましたが、
こんなもの、オートバイで渋滞に付き合うのに比べれば屁でもありませんでした。

 途中で長大な渋滞に捕まりつつも、
連休最終日の夕方となれば更に混む事は想像に難くありませんので
安全に運転が出来る状態が続く限り距離を稼ぎ、
結局休憩は夕刻のアクアラインは海ほたるで取ることになりました。



 夕日を浴びながら海の向こうに架かる橋が綺麗です。

 車内で少し眺めの休憩。



 軽食を持ち込んでここまでの無事に安堵してのんびりと。

 疲れが幾分か和らいだ頃、車外に出て海を眺めてみました。



 遠くにさっきまであんなに大きく見えていた富士山が、
シルエットだけの姿になって見えました。あそこに居たんだなあ。

 結局お陽様が沈むのを見届けるまで。



 転回してゆく戦艦のようなものが見えるのは、
あちらが横須賀方面だからでしょうか。


 ここまで来ればあと一息。
今回は同乗者もおりますので、最後まで気を抜かず安全運転で帰宅。



 今回の走行距離は 【 591.0km 】

 嘗てお世話になった人や場所を巡る旅。
久しぶりの顔にもお会いできて、とっても有意義な2日間になりました。
みんな元気でいるうちにまた行きたいなと今は思っております。

 
 まずは日本平ツーリングからですねヽ(´▽`)ノ。

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