3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

「恐れ知らずの少女」の像(Fearless Girl statue)  

2017-03-09 12:58:57 | 女性の地位



国際女性デーの8日、ニューヨークのウォール街に、果敢な少女の銅像が登場した。

強気相場を象徴する、突進する雄牛像の前に力強く立つ少女は、クリステン・ビスバルさん作。「恐れ知らずの少女」と名付けられている。

各界の指導的立場にもっと女性の増やさなくてはならないと、メッセージをこめたものだ。

http://www.pagalparrot.com/statue-of-fearless-girl.html

男に頼らずに会社でも家庭でも強くたくましい女性がいま必要なのである。
専業主婦になどならずに働く女で居続けること。それが結果として子供の貧困を防ぐ第一次的な防波堤となりうる。

無敵の少女、子どものころは無敵でも
大人になると八方敵になる女性の人生。
くじけずに闘い続けるしかないのである。

女性だからといっていつもリベラルとはいえないのが現実である。
男社会になびき、権力にすり寄ろうとする女をみると頭にくるのである。
ガラスの天井、みずから怖気づく内面の弱さとも闘わなければならない



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教育勅語より「実語教」のほうが優れているのではないでしょうか

2017-03-09 11:26:27 | 現代社会論
森友学園の問題にからみ教育勅語が話題にのぼっている。
稲田が教育勅語はよいといったとか。
アナクロすぎる。

で、調べてみたんだが、江戸時代に寺子屋の教科書として使用されていた日本人の価値観に深くしみ込んでいるものとして実語教というのがある。これはなかなか良いのもで、教育勅語のように、軍国少年育成ツールみたいなものでなく、極めて上質な一般人育成にとってはよいものなのではと思う。寺子屋が全国に普及していて、そのために日本は教養高く豊かな文化を形成することができたのではないだろうか。
解説動画もついているので非常にわかりやすい。参照してほしい。教育勅語などを暗唱するよりこちらを暗唱させたほうがずっとよい子供に育つと思うよ。現代語訳が少々怪しいところもあるように思うが、とりあえず、貼り付けておいた。

http://mondou.hateblo.jp/entry/2015/05/08/021102



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日本人の価値観に深く関わっているとされる教訓書、「実語教」(じつごきょう)を紹介します。「実語教」は平安時代に作られ、約千年間にもわたって読み継がれてきました。特に江戸時代には寺子屋の教科書として使われました。

山高(やまたか)きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

木(き)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

山はただ高いから尊いのではない。

木が茂っているからこそ尊いのだ。



人(ひと)肥(こ)えたるが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

智(ち)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

人は裕福だから偉いのではない。

智恵を持つからこそ偉いのである。



富(とみ)は是(これ)一生(いっしょう)の財(ざい)

身滅(みめっ)すれば即(すなわ)ち共(とも)に滅(めっ)す

富というのは、生きている間だけ持てる物であり、

死んで体が消滅してしまえば、同時に失う。



智(ち)は是(これ)万代(ばんだい)の財(たから)

命(いのち)終(お)われば即(すなわ)ち随(したが)って行(ゆ)く

一方で、智恵は長い年月にわたって持続する宝である。

命が終わっても、ついてくる。



玉磨(たまみが)かざれば光(ひかり)無(な)し

光(ひかり)無(な)きを石(いし)瓦(かわら)とす

玉は磨かなければ光を発しない。

光らない玉は、ただの石の塊だ。



人(ひと)学(まな)ばざれば智(ち)なし

智(ち)なきを愚人(ぐにん)とす

人も学ばなければ智恵を持てない。

智恵のない人は、愚人だ。



倉(くら)の内(うち)の財(ざい)は朽(くち)ることあり

身(み)の内(うち)の才(さい)は朽(くち)ることなし

蔵の中にある財宝は朽ちてしまうことがあるが、

体の中にある智恵は、朽ちることがない。



千両(せんりょう)の金(こがね)を積(つ)むと雖(いえど)も

一日(いちにち)の学(がく)には如(し)かず

いくら大金を積んでも、

一日勉強したことの価値には及ばない。



兄弟(けいてい)常(つね)に合(あ)わず

慈悲(じひ)を兄弟(けいてい)とす

兄弟といつまでも一緒にいれるわけではないが、

慈悲の心はいつまでも持ち続けられる。



財物(ざいもつ)永(なが)く存(そん)せず

才(さい)智(ち)を財物(ざいもつ)とす

財物は長く存在しない。

智恵こそが大事だ。



四大(しだい)日々(ひび)におとろえ

心神(しんじん)夜々(やや)にくらし

身体を構成する地・水・火・風の四元素は日々衰え、

心も次第に暗くなっていく。



幼(いとけな)き時(とき)勤学(きんがく)せざれば

老(おい)て後(のち)恨(うら)み悔(く)ゆと雖(いえど)も

尚(なお)所(しょ)益(えき)あることなし

幼い時に勉強せず、

老いた後に悔やんでも、

何の得にもならない。



かるが故(ゆえ)に書(しょ)を読(よ)んで倦(う)むことなかれ

学(がく)文(もん)に怠(おこた)る時(とき)なかれ

だから本を読むことを嫌がってはいけない。

学問を怠ってはいけない。



眠(ねむり)を除(のぞ)いて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ

飢(うえ)を忍(しの)んで終日(ひねもす)習(なら)え

寝る間も惜しんで毎晩、本を音読せよ。

空腹を我慢して一日中勉強せよ。



師(し)に会(あ)うと雖(いえど)も学(まな)ばざれば

徒(いたづら)に市人(いちびと)に向(むか)うが如し

師に会っても、その人から学ばなければ、

無駄に一般人と会うのと同じだ。



習(ならい)読(よ)むと雖(いえど)も復(ふく)せざれば

只(ただ)隣(となり)の財(たから)を計(かぞう)るが如し

習読しても、何度も繰り返さなければ、

ただ、隣の家の財宝を数えるくらい無駄なことである。



君子(くんし)は智者(ちしゃ)を愛(あい)す

小人(しょうじん)は福人(ふくじん)を愛(あい)す

君子(立派な人)は智恵のある人を好み、

小人(つまらない人)は金持ちを好む。



富貴(ふうき)の家(いえ)に入(い)ると雖(いえど)も

財(ざい)なき人(ひと)のためには

なお霜(しも)の下(した)の花(はな)のごとし

金持ちの家に生まれたとしても、

その人に価値が備わっていなければ、

霜の下の花のように存在感がない。



貧賤(ひんせん)の門(もん)を出(い)づると雖(いえど)も

智(ち)ある人(ひと)のためには

あたかも泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)の如(ごと)し

たとえ貧しい家に生まれたとしても、

智恵のある人は、

泥の中に咲く蓮のようだ。



父母(ふぼ)は天地(てんち)の如(ごと)し

師(し)君(くん)は日月(じつげつ)の如(ごと)し

父母は天と地であり、

師は太陽と月である。(自分より上の存在である)



親族(しんぞく)はたとえば葦(あし)の如(ごと)し

夫妻(ふさい)はなお瓦(かわら)の如(ごと)し

親族は葦のようであり、

夫婦は瓦のようだ。(自分と同列の存在である)



父母(ふぼ)には朝夕(ちょうせき)に孝(こう)せよ

師(し)君(くん)には昼夜(ちゅうや)に仕(つか)え

友(とも)に交(まじわ)って諍(あらそ)うことなかれ

父母には朝から晩まで孝行せよ。

師には一日中仕えよ。

友とは仲良くし、喧嘩するな。



己(おのれ)より兄(あに)には礼(れい)敬(けい)を尽(つく)せ

己(おのれ)より弟(おと)には愛顧(あいこ)をいたせ

自分より年長の者には礼儀正しく敬い、

自分より年下の者は可愛がれ。



人(ひと)として智(ち)なきは

木石(ぼくせき)に異(こと)ならず

智恵の持たない人は、

木や石と同じだ。



人(ひと)として孝(こう)なきは

畜生(ちくしょう)に異(こと)ならず

孝の心を持たない人は、

動物と同じだ。



三学(さんがく)の友(とも)に交(まじ)わらずんば

何(なん)ぞ七(しち)学(がく)の林(はやし)に遊(あそ)ばん

三学(戒学・定学・恵学)を学ばずに、

どうやって七覚を身につけられよう。

七覚支:仏道修行における7種の注意点(択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)



四等(しとう)の船(ふね)に乗(の)らずんば

誰(た)れか八苦(はっく)の海(うみ)をわたらん

四等(慈・悲・喜・捨)の船に乗らないで、

誰が八苦の海を渡れるだろうか。

八苦:生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦



八(はっ)正(しょう)の道(みち)は広しといえども

十(じゅう)悪(あく)の人はゆかず

八正道は広大な教えだけれども、

十悪を行う者にはできない。

八正道:仏道修行の基本となる8種の徳(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)

十悪 :してはいけない10種の悪行(貪欲・瞋恚・愚痴・綺語・両舌・悪口・妄語・殺生・偸盗・邪淫)



無為(むい)の都(みやこ)に楽(たの)しむと雖(いえど)も

放逸(ほういつ)の輩(ともがら)は遊(あそ)ばず

無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。



無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。

老いた人を父母のように敬い、

幼い人を子どもや弟妹のように愛せよ。



我(われ)、他人(たにん)を敬(うやま)えば

他人(たにん)、また我(われ)を敬(うやま)う

自分が他人を敬えば、

他人は自分を敬う。



己(おのれ)、人(ひと)の親(おや)を敬(うやま)えば

人(ひと)、亦(また)己(おのれ)が親(おや)を敬(うやま)う

自分が他人の親を敬えば、

他人は自分の親を敬う。



己(おのれ)が身(み)を達(たっ)せんと欲(ほっ)せば

先(ま)ず他人(たにん)を達(たっ)せしめよ

自分の身を良くしたければ、

まず他人を良くしてあげなさい。



他人(たにん)の愁(うれい)を見(み)ては

すなわち自(みずか)ら共(とも)に患(うれ)うべし

他人が悲しんでいるのを見たならば、

自分も一緒に悲しみなさい。



他人(たにん)の喜(よろこ)びを聞(き)いては

すなわち自(みづか)ら共(とも)によろこぶべし

他人が喜んでいる声を聞いたならば、

自分も一緒に喜びなさい。



善(ぜん)を見(み)ては速(すみや)かに行(ゆ)き

悪(あく)を見(み)てはたちまちに避(さ)れ

他人の善行を見たなら、自分もそれを速やかに行い、

他人の悪行を見たなら、自分はそれを行うな。



悪(あく)を好(この)む者(もの)は禍(わざわい)をまねく

たとえば響(ひびき)の音(おと)に応(おう)ずるが如(ごと)し

悪行を好んで行う者は不幸を招く。

それは、音が起これば響く、という関係と同じように当然のことだ。



善(ぜん)を修(しゅ)するものは福(ふく)を蒙(こう)むる

あたかも身(み)に影(かげ)の随うが如(ごと)し

善行を行う者は福を受ける。

それは、体にいつも影がついてくるようなものだ。



富(と)むといえども貧(まづ)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は始(はじめ)に富(と)み終(おわ)りに貧(まづ)し

たとえ今が裕福であっても、貧しい時の気持ちを忘れてはいけない。

最初は裕福であっても、終わりに貧しくなることもある。



貴(たっと)しといえども賤(いや)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は先(さき)に貴(たっと)く終(のち)に賤(いや)し

たとえ今が高貴な身分であっても、賤しい身分の気持ちを忘れてはいけない。

最初は高い身分であっても、終わりに賤しい身分になることもある。



夫(そ)れ習(なら)いがたく忘(わす)れやすきは

音声(おんじょう)の浮(ふ)才(さい)

習うのが難しく、忘れやすいのは、

音楽のような芸才。



また学(まな)び易(やす)く忘(わす)れがたきは

書(しょ)筆(ひつ)の博(はく)芸(げい)

学ぶのが容易で、忘れにくいのは、

読み書きの才能である。



但(ただ)し食(しょく)あれば法(ほう)あり

亦(また)身(み)あれば命(いのち)あり

食べるから存在できる。

身体があるから、命がある。



猶(な)お農業(のうぎょう)を忘(わす)れず

必(かなら)ず学(がく)文(もん)を廃(はい)することなかれ

農業を忘れず、かつ、

必ず学問をやめてはならない。



故(ゆえ)に末代(まつだい)の学者(がくしゃ)

先(ま)ずこの書(しょ)を案(あん)ずべし

後世の学問に励む者は、まず

この書(実語教)を読み、考えるべし。



是(こ)れ学問(がくもん)のはじめ

身(み)おわるまで忘失(ぼうしつ)することなかれ

この実語教は学問の出発点である。

死ぬまでここに書いていることを忘れるな。

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安倍首相もその夫人も稲田もこれを暗唱したほうがよいのではないだろうか。
もっと宰相として中身を充実させたほうがよい。

実語教の上質さに改めて感動してしまう。
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秀逸の「森友学園ニュース」 次は加計学園ニュースもやらなければ

2017-03-06 15:57:15 | 現代社会論
森友学園に関するニュースを書き続けているサイトをご紹介しよう。
http://taicho2006.exblog.jp/23916623

2017年 03月 06日 の森友学園ニュース

佐川宣寿財務省理財局長。
福島県出身。
今日本で一番有名な官僚になっている。
麻生大臣の直属の部下。
彼にとっては出世の正念場。
ここを乗り切れば破格の待遇が待っている。



国税庁長官迫田英典氏。上記の佐川氏の前任者。
森友学園の問題で、当時の事務方トップだからこのヒトがすべて知っているはず。
森友学園との契約が終わった去年の6月国税庁長官に就任。
安倍さんとは同じ山口県出身。
野党はこの人の参考人招致を要求しているが、安倍さんの意向を受けて自民党は拒否。


安倍さんは森友学園についての調査は会計検査院がやるから、と言っている。
自民党総裁でもあるのだから、各議員に口利きをしたか調査するよう指示をすれば済むことだけどそれは拒否。
会計検査院との両方でやれば話は早いはずなのに。
そこで登場するのがこの人。

河戸光彦会計検査院院長。
この人も偶然?安倍さんと同郷で山口県出身。


安倍首相動静 
2月26日 午後6時30分
東京・永田町のザ・キャピトルホテル内の 日本料理店「水簾」で会計検査院の河戸光彦院長と会食。
総理大臣だから自分の動静は公にせざるを得ないのでバレっちゃった。

翌27日
赤坂の中華料理屋に官邸の大手新聞社のキャップを集めて2時間半、打ち合わせをしていることも報道されている。

もう、恥も外聞もない安倍さんのやり方。

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ということで森友学園ニュースから目が離せない。

安倍の加計学園との黒い付き合いについては、まだ、あまり報道されていないが、もっとやらなければならないでしょう。
まともな国のまともな報道の在り方をお願いしたい。

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米国務省の人権報告書で日本政府によるメディア圧力が問題だと指摘される

2017-03-05 16:57:53 | 現代社会論
日本政府はメディアに圧力をかけていると指摘された。
これは忌々しき問題である。

先日も安倍首相が、大新聞の社長を読んで、中華をごちそうしたとか。
政治と癒着して甘い汁を吸う日本のマスメディア。
これじゃあ、アッキード事件といわれる森友学園問題も追及できやしないでしょうに。
政治権力とマスコミは常に緊張状態でなければ、よい社会は作れないんじゃないだろうか。

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「日本政府がメディアに圧力」、米国務省が人権報告書で懸念

TBS系(JNN) 3/4(土) 18:31配信
 アメリカ国務省が3日に発表した2016年版の人権報告書で、「日本の報道機関に対する政府の圧力強化」についての懸念が示されました。

 報告書では、去年2月に高市総務大臣が政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に対して、電波の停止を命じる可能性に言及したことを、理由の1つにあげています。また、国連の担当者が特別秘密保護法も報道機関への圧力を強めているとして「日本の報道機関の独立性は、深刻な危機にひんしている」と意見を述べたとも記されています。(04日16:50).

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損得ぬきにして闘うメディアに期待したいものである。
最後の砦、リベラルなメディアに期待するのみである。


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2017年3月初めのバルコニー便り

2017-03-05 15:36:36 | 日記
百日紅の鉢植えを入手したので、植木鉢に移した。
昨年の夏、手に入れたのだが、8月の台風の日だったか、大風にやられてぽっきりと真ん中で折れてしまった。
以来、枯れてしまったように見え、残念に思っていたのだが、新たなものを入手したのである。
どうしても、真夏のバルコニーにピンクの百日紅が咲き乱れるのを見たいと思ってである。

夏の庭は強い日差しになにもかもやられてしまって、風情がないのであるが、百日紅は強靭で次々と花を咲かせる。
裏の家の庭にりっぱな百日紅があり、それが夏の強い日差しのなかで美しく咲き誇っているのをみていつか育ててみたいと思っていたのである。

今は枯れ枝みたいだが、これが夏には花をつけるのだろうか。楽しみである。
古いほうの百日紅はどうしたものか。
そのまま、見守ってやるしかない。

3月になってますます日差しは春らしく光り輝いている。
朝、早く起きてリビングのカーテンを開ける。晴れ渡る空。遠くのビルに朝日があたり輝いている。
そうしているうちにバルコニーに陽が入ってくる。
何度見ても飽きない風景である。
長生きしてこの窓から見える四季折々の美しい風景を味わいたいと思う。

前の家から一緒に引っ越してきた花海棠。かれこれ10年のつきあい。
3.11の時だって、元気に咲いていた。
ちょうどマンションの外壁工事で管理人さんの裏庭に避難していたのだが、そんな時でもけなげに薄い桃色の花を咲かせていた。
ちょっと見に行って、だれにも美しいといわれることもないのに、ちゃんと可愛い花を咲かせていて、なんだかすごくうれしかった。
地震で世の中が騒然としていても、外壁工事で裏庭の日陰に置かれていても、ちゃんと光を受けて変わらずに咲いている。

この長い付き合いの花海棠も我が家のバルコニーには欠かせない存在である。
昨日あたりから葉が出てきて、少し今年は花をつけるのは遅れ気味なのだろうか。
4月になれば小さな花を鈴なりにさせるのだろうか。
変わらぬかわいさ、けなげな花海棠を待ちわびているのである。



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