3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

介護保険の介護認定調査のやり方は見直すべきであるー介護認定調査はいい加減すぎる

2016-08-20 17:06:45 | 現代社会論
友人のご母堂が亡くなったとの知らせを受けた。
よく知っている人である。

難病と心臓病、腎臓も悪くなり入院していたが、もう治療の余地はないということで家にかえってきたとのこと。
それで、在宅での療養生活をおくることになり。病院にいる間に介護認定を受けた。
自宅に帰っても、あと1か月持つかという感じだった。
しかし、要支援1だったとか。不謹慎とはおもうが、笑ってしまう。
なにがって、介護認定調査のいい加減さにである。

虚弱して死を待つばかりの人は自立度要支援1だなんて。
この調査のやり方は完全に間違っている。
聞けばこの調査方法は特養の利用者にどれだけ職員がかかわったかという時間を割り出し、それを積算してつくった方法のようである。
特養という特殊な空間における介護時間で自立度をはかるというのは、もう、完全におかしいのである。
在宅で症状が激変するかもしれない病人の認定は無理というもの。
終末期のケアは特養での介護を前提として認定調査のやり方ではなじむわけがない。

別の友人がリハビリテーション医学というのをやっていて、その情報によると、自立度というのは、BMIと握力と足把持力で測るとかなり正確にでるということなのである。
そうだろうよ。
握力と足で立っている力と体重を測ればすぐに自立度はわかるというのに納得する。

テキトーな要介護認定をして、家族の負担を軽減するどころが終末期ケアもろくにできない介護保険制度とはいったいなんだ。
馬鹿にしているじゃないか。

介護保険料をあげるのなら、終末ケアが家族なしでできる体制を構築してもらいたいものである。
介護認定調査員の無能ぶりとシステムの無能ぶり、馬鹿言ってんじゃないよと思う。

地域包括ケアシステムだと?終末ケアもろくにできないで、何が包括ケアだ?笑っちゃうのである。

BMIと握力と足把持力を入力して認定調査ができるようにすべきなのではないだろうか。
介護認定調査員の馬鹿な調査方法よりよっぽど正確な情報がえられるのではないだろうか。


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リオ五輪で8月は終わってしまいそうですねー8月15日を忘れちゃあいけないよね

2016-08-20 16:46:27 | 日記
例年8月は広島の日、長崎の日、終戦の日と続き、戦没者追悼式や国会議員靖国参拝、中国の反応・・・で盛り上がるが、今年は、8月8日に天皇の生前退位もあったのに、リオ五輪で盛り上がりすっかりかすんでしまったような印象である。
新聞TVみなオリンピック一色で、日本人の活躍ぶりにみな興奮し、すっかり、生前退位の話や原爆や8月15日の意味は忘れ去られているとしか言いようがない。

そういう私も水泳に体操、男女の卓球にバトミントン女子、そして、400メートル男子リレーと連日テレビにくぎ付けで我ながらそのミーハーぶりにあきれるんだが。

7月にはいってからNHKBSは戦争映画を流している。
日本の一番長い日、とか、Uボートとか、パルジ作戦とか、これらは非常に面白いのである。
Uボートはドイツの潜水艦の話だが、勝てば官軍負ければ賊軍で、ドイツはいつも戦争映画では悪者にされているが、ドイツ兵だってみな、ヒットラーやゲシュタポばかりではないことが良く分かる。
戦争の無意味さ、勝っても負けても傷つくのは前線で戦う歩兵たちである。将校にも人道主義のものもいて、人それぞれなのである。

戦争映画も敗戦国のドイツの視点からのものをみるとドイツも必ずしも一枚岩ではなかったことがわかって、それなりに面白いのである。
少し前にヒットラー暗殺計画、ヒットラーの最後の日々など、かなりリアルなドキュメンタリータッチの映画があって、大変興味深かった。
ああ、あの殺戮を止めようとした人々がいたこと、しかし、どうじても止められなかった。そういうことが理解できた。

ドイツとみれば、みな、ヒットラー崇拝者だったかというとそうではない。
日本でみんなが東条英機を崇拝していたわけではないのと同じである。海軍にも陸軍にもまともな人はいて、なんとか戦争をやめようとしていたこともわかる。

しかし、一度スイッチがはいってしまったら、抑えられないこともよくわかるのである。
だから、簡単にスイッチがはいらないように、さまざまな手立てを講じる必要があると思う。



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青山一丁目の視覚障がい者ホーム落下事故―不作為の罪

2016-08-20 16:22:06 | 現代社会論
銀座線の青山一丁目駅で視覚障がいの方がホームから落下して亡くなってしまった。
本当にお気の毒である。
ホームドアは設置されていなかったとはいえ、ホームに駅員のほかにだれもいなかったとはいわせない。
視覚障がいの方が盲導犬を頼りにホームを歩いていたら、落下しないようにそれなりに見ていてあげるものではないだろうか。
「落ちる落ちるよ」と思いながら、何もしなかったのだろうか。声もかけずにその場にいた乗客の無神経さ、これは不作為の罪に問いたいところである。

落ちる前にひとことだれかが声をかけていればこの落下は防止できたはずである。
ホームドア以前の問題である。ホームドアをつければこのような落下事故はおきないかもしれないが、その前にやるべきことはあったのではないだろうか。
過疎の村の乗客がゼロの駅ではなく、青山一丁目という東京のど真ん中の駅、利用客は何万人もいるのに、だれもこの視覚障碍者と盲導犬のことを気遣うことはなかったのかと思うとやりきれなさを感じる。

いつも使うJRの御茶ノ水駅、ホームドアはない。視覚障害の方にであうこともある。ホームから落下しそうな人をみることがある。そんなときは、「危ないですよ、もっと内側を歩いたほうがいいですよと声をかける。
それだけでよいのだ。
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