3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

役所はいまどきファックスで仕事しているのか?伊豆大島の土砂崩れで死者もでているのは誰の責任か

2013-10-24 17:00:44 | 現代社会論
2013年10月20日 朝刊
(東京新聞)

 台風26号に伴う大規模な土砂崩れで大きな被害が出た伊豆大島(東京都大島町)で、町役場に常駐している気象庁の現地事務所の所長と職員が、同庁と都が十五日夕に発令した「土砂災害警戒情報」を約九時間後まで知らなかったことが、同事務所への取材で分かった。所長らが発令前に一時帰宅したためで、住民の避難につながる重要な情報を、現地の出先機関に伝えなかった気象庁の不手際が浮かび上がった。 (安藤恭子)

 土砂災害警戒情報をめぐっては、町役場の幹部や防災担当者らも一時帰宅し、情報を知らせるファクスに約六時間気付かなかったことが既に判明。またファクスを送った都が、町が情報を認知したかどうかを電話などで確認していなかったことも明らかになっている。人命を預かる行政の甘い対応が、次々に露呈している。

 大島町の役場内にあるのは、気象庁伊豆大島火山防災連絡事務所。活火山である伊豆大島火山の観測や、火山活動についての行政などへの情報提供、地震計や監視カメラの保守点検が主な任務。所長と職員の計二人態勢。大雨の監視など気象防災全般を常時、担ってきた大島測候所は四年前に廃止された。

 連絡事務所によると、所長らは台風の接近した十五日午後、風雨のピークが近づく翌日未明に出勤することを決め、午後五時半ごろに、いったん町役場から帰宅した。気象庁と都は、午後六時五分に土砂災害警戒情報を同町に発令したが、本庁などから所長の自宅や携帯電話などへ連絡はなかった。

 所長と職員は十六日午前三時前に町役場に出勤して初めて、警戒情報の発令を知った。既に猛烈な雨が降っており、町役場には住宅の倒壊や崖崩れの連絡が相次いでいた。所長らは、午前二時から非常配備態勢を敷いていた町幹部や防災担当者に降水量などの気象データを提供し、防災対策に加わった。

 加治屋秋実(あきみ)所長は取材に対し「本庁から発令情報が伝わるシステムになっていなかった。警戒情報は公開データなので、パソコンなどで調べれば分かったはずだが、それもしなかった。十六日未明まで把握していなかったことの是非は、一職員の立場では答えられない」と話している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

責任ある立場のものは責任を果たさなければならない。

だいたい、大型台風がくると初めからわかっていた。
最悪は土砂崩れもあるだろうと専門家ならわかるだろう。

しかし、家に帰っちゃった。
その時点で、無責任である。

気象庁もファックスだけでなく、直接所長に電話をするとか、伝わったか確認するとかなぜしないか?
まったく、どいつもこいつも手抜きだ。

その結果、多くの被害者が出てしまった。

いまどき緊急時に役所はファックス一枚送るだけなのだろうか?
バカじゃないか?

ファックス送ってもちゃんとついたかそれほど重要な情報なら確認のテルをいれろ。
だれもいないところにいくら送っても意味ないからね。
でも、送ったほうはそれで責任果たした気になっていて、もらったほうは、そこにいなかったんだから責任はない、と言いたいんだろう。

どっちもあきれる。

いまだにファックス文化の役所もなんだか、問題ありすぎるだろう。

60歳前後の人は、メールもできなけりゃ、ワードもエクセルもできない人がいるそうだ。
そんなことがあるのか?と思っていたら、結構いるんだそうだ。
できなくても給料もらえる仕事なんだろうね。

役所とか学校とか。

会社ではそんなやつはリストラされてしまうから、みんな必死に覚えている。
役所や学校(学校の先生もできないやつ大すぎ、小学校とか中学校の校長教頭レベルでもできないやつが結構いてびっくり、さすがに大学の先生はほぼ全員OKのようだが)は、できなくても平気で給料もらっていたりするので、腹立たしい。

OECDの成人の学力調査があって、日本の成人のIT力はひどく低かったがこういうことなんだろうね。

それにしても、台風がきて、島民の命が危険にさらされそうだということになれば、役所は全員、帰庁などせず役所に待機し、情報収集に努めるべきだろう。
島民の多くは高齢者なんだから、いざとなったら役所の職員がおんぶして避難所に連れて行くくらいの勢いがなければだめである。

さっさと家に帰って、のんびりと登庁とは!

犠牲担った島民も浮かばれない。
役所がまともなら当然避けられた事態だから。

それにしても、
最後の行にある「加治屋秋実所長は取材に対し「本庁から発令情報が伝わるシステムになっていなかった。警戒情報は公開データなので、パソコンなどで調べれば分かったはずだが、それもしなかった。十六日未明まで把握していなかったことの是非は、一職員の立場では答えられない」と話している。

無責任な態度に憤る。
あんたのせいに決まってるでしょうに。
16日未明まで把握していなかったのはあんたでしょうに。
ぜひ?って、所長の仕事をまともにやっていれば問題はなかったのではないだろうか。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆大島は高齢化社会の縮図である

2013-10-23 11:39:00 | 現代社会論
また、台風が来るようである。しかも、また、大型なのだそうだ。
警戒が必要だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高齢者ら39人、島外避難へ=チャーター船で付添人と―台風27号警戒・伊豆大島
2013年10月23日(水)10:39

(時事通信)
 東京・伊豆大島を襲った土石流災害で、大島町は23日午後、台風27号の接近による二次災害の懸念が高まったとして、事前の避難を希望した高齢者ら39人をチャーターした高速船で島外に一時移す。当初、希望者は80人いたが、辞退などで半数近くに減り、午後に島を離れるのは付添人を含め計61人となる見通し。

 甚大な被害を出した土石流災害発生から同日で1週間。この日大島町は早朝から小雨交じりの風が吹き始め、川島理史町長は記者会見で「行方不明者の捜索に全力を尽くす」と話した。

 町によると、歩行が困難など避難時に支援を必要とする高齢者らは約540人。町が一時的な島外避難の意向を確認したところ、22日夜までに80人が希望したが、その後一部が辞退。医師が高速船での移動に耐えられないと判断したケースもあり、23日は39人が避難することになった。

 チャーター船は同日午後4時半ごろ港区の竹芝桟橋に着く予定。その後、都営住宅などの施設に移ってもらう。 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊豆大島、前回の台風で多数の死者がでて被害甚大だった。
次の台風に備え、町役場も東京都もやる気になったのか。

といっても、高齢者がすぐに避難するかというとそういうわけではない。
本人の意思を尊重すれば生命の危機に瀕するかもしれない。
かといって、強制するのはしのびない。

脳梗塞で身動きがとれない、避難所のようなところでは、生活できないから、このまま自宅にいたい、というのもよくわかる。
重篤な病気で手術をしたばかり、で、静かに自宅で療養したいのだ、とか。

役所や世間はこんなに一生懸命助けようとしているのに、どうして従わないんだと非難するかもしれないが、当事者になれば諸事情あって、そう簡単ではない。
まして、高齢ともなれば、思うようにならないことが多くて、若い者にはわからないこもあるものなのだ。

だからといって残った人たちを放置するわけにはいかない。
島の外に避難した人たちも、なれない都営住宅の生活なのだから不自由も多いだろう。

大島の話は、災害大国でかつ高齢化社会の我が国の実情をよく表していると思う。
災害弱者の大量発生、それが高齢化社会だ。年金や医療介護だけじゃない、災害時にどう高齢者の人たちを引き受けるか、そういう強固な社会を作る必要があるのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルトの美しさ 月に寄せて D.259

2013-10-22 18:14:26 | 音楽ノート
歌の仲間が最近歌っているのが、シューベルトの「月に寄せて」 D259

なんと美しい歌、伴奏の素晴らしさが一層歌を引き立たせる。
これを聴いていると、すべてを許せる気がしてくる。
これまでの人生のすべての悲喜こもごも、すべてを受け入れ、安らかな気持ちにさせてくれる。
シューベルトの音楽は、天上的な美しさで、それでいてさりげなく、あなたの人生はそれでよいのだといってくれるような気持ちになる。
過ぎ去った日々、後悔の念、失ったものたちへの哀切・・・すべてを受け入れてくれる音楽、それがシューベルトなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
An den Mond D259 月に寄せて
Johann Wolfgang von Goethe

Füllest wieder Busch und Tal
Still mit Nebelglanz,
Lösest endlich auch einmal
Meine Seele ganz.


Breitest uber mein Gefild
Lindernd deinem Blick,
Wie des Freundes Auge mild
Über mein Geschick.


Jeden Nachklang fühlt mein Herz
Froh und trüber Zeit,
Wandle zwischen Freud und Schmerz
In der Einsamkeit.


Fließe, fließe, lieber Fluß!
Nimmer werd ich froh;
So verrauschte Scherz und Kuß,
Und die Treue so.


Selig, wer sich vor der Welt
Ohne Haß verschließt,
Einen Freund am Busen hält
Und mit dem genießt,


Was, von Menschen nicht gewußt
Oder nicht bedacht,
Durch das Labyrinth der Brust
Wandelt in der Nacht.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

不治の病と闘いながら、なぜ、シューベルトはこのように美しい音楽を作ることができたのだろうか。

あれこれ歌ってみるが、結局、だれもシューベルトを超えられないのではないだろうか。

シューマンも好きだし、ベートーベンも好きだけれど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校の先生も受難の時代

2013-10-22 15:51:59 | 現代社会論
(2013年10月22日07時14分 読売新聞から)
小学生の娘の担任教諭らを殴ったり、土下座をさせたりしたとして、滋賀県警大津北署は21日、大津市内に住む無職の女(41)を威力業務妨害、傷害、強要容疑で逮捕した。女は容疑を認めているという。

 発表によると、女は9月30日、娘が通う小学校に「娘がいじめられて帰ってきた。身内がナイフを持って相手のところに行くと言っている」と電話で連絡。女の自宅近くまでやってきた担任の女性教諭と男性の主任教諭を、つえで殴って軽傷を負わせたほか、「お前らのやったことを謝罪しろ」などと言いつのって2人に土下座を強要するなどした疑い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これじゃあ、先生も大変である。
全国学力テストで成績は発表されるとか、子どもの成績が悪ければ先生の責任にされそうである。

子どもがいじめられたということは大変なことだから、親が心配するのはわかるけれど、だからといって先生にまた「土下座」?!

どうかしているよね。

学校も市場化して、評価されたり、利用者=お客様のご要望にお答えする、ことが責務になってくると、結局こういうことが起きるのである。

保護者も子どもも学校も先生も頭がおかしくなっている。

社会の格差が極限にまで広がって二極化している。
片方は豊かすぎ、億ションに住み、子どもは上質の学校に通い、高い文化の香り。だからといって幸せかというとそうでもないのだが。
もう片方は、貧しく日々の暮らしに汲々としていて、精神も荒廃して、身近な存在に八つ当たりしてその日の憂さを晴らす。
すべてが荒廃しているわけではないだろうが、こういう傾向がなきにしもあらず。
さらに、東京などの大都市のゆとりある層と地方の状況はこれまたかなり格差がある。

今、必要なのは、豊かな層を維持しつつ、底上げが必要である。
底辺に追いやられて層を丁寧に掬い取っていかないと。
放置すれば大変なことになる。

これまで、日本が曲がりなりにも世界の大国といわれてきた背景には、津々浦々、高レベルの義務教育が安定的に提供されてきたこと、そして、勤勉であり正直であることを生活価値として守ってきたからである。

それが、不誠実、不真面目、真面目に働くこともなく、ろくな義務教育が得られないようでは、もう、これまでのような繁栄はなく、開発途上の国々で社会が安定していないような国のように荒れてしまうと思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母を看取って 8:She died. 夢の話

2013-10-20 15:11:27 | 日記
いつだったか忘れてしまったが、先週の台風の日あたりであっただろうか、母が夢に出てきた。
なにやら、布団の上でドスンとしりもちをついて、遊んでいる。
お母さん、そんなにドスンドスンやると体に悪いからやめたら、と私が言うと、面白いから、とでもいうようにドスンとやって仰向けになってみたりしている。

最近は夢に出てこなくなったと思っていたら、出てきた。

夢の中の母は何も語らず、なぜか目を合わすこともない。
たったそれだけの会話なのだが、忘れずにと思って、このブログに書き留めておくことにした。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は雨が降って寒い。
日曜日の午後、私が仕事をしているとよく母は電話をかけてきた。
「何しているの?寒いねえ。何か面白い話はない?」などと他愛のない話。

もう母が日曜日の午後に電話をかけてくることもないんだなあとしみじみ思う。
こうしていると電話が鳴るような気もする。

母が笑っている写真、うちのベランダに咲いた小さな秋の菊を供す。
ちょっとおやつでもと思うと、母が「私も」って言っている気がして、じゃあ、ちょっとだけ、といって、写真の前においてあげる。

こんなふうにしていると、母が近くにいる気がしてくる。

子を思う気持ちは死してなお続くものなのか。

母が愛情をいっぱいに育ててくれたことにあらためて感謝する。

こんな風に書いていたら、なんだか涙目になってきた。

寒くなってきたから、母が送ってくれた毛糸の靴下を出してはいてみることにしよう。
母の思い出にしばし浸ることとしよう。
もう二度と母から毛糸の靴下が届くことはないのだけれど。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする