3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

オペラの話:危険でいやらしさといえばホロストロフスキーだろうね

2013-10-19 19:42:15 | 音楽ノート
カレーラスの話を前回の本欄でしたが、
なんといっても、危険でいやらしさいっぱいな男とくれば、やはり
ホロストロフスキーだろう。
Renee Fleming & D. Hvorostovsky in Il Trovatore

http://www.youtube.com/watch?v=GV9rE61kodw

この二人はオネーギンでも共演していて、すばらしい演技と歌であったので、結構ファンなのである。

ホロストロフキーが好きな人はそう多くはないかもしれないが、コンサートにいってファン層を分析すると
まじめな、時としてまじめすぎるOLなどがその危険なにおいに吸い寄せられるように集まってきているように思える。で、同時にボストリッジのファンとかぶったりするところがおもしろい。

真面目な女性は普段はボストリッジのような男性が好きなのだが、しかし、その実、ホロストロフキーのような危険がいっぱいな男性にもひかれてしまうという二面性があるようにおもえる。




ロシア人なので、オペラ界のヤグティンといっていたら、家人にヤグディン?というより、布施明だろうと笑われてしまった。確かに似ているかも。




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Young José Carreras の オンブラマイフ

2013-10-19 18:51:08 | 音楽ノート
オンブラマイフを練習しようとしてyou tubeを検索していたら、カレーラスのを発見。
カレーラスのなんと若くてハンサムなこと!
今も現役でがんばっているが、やはり年を確かに重ね、外見は変わってしまった。
人は老いるのだ。

若かりし頃の映像と歌声を我々は楽しむことができる。
なんと幸福なことか。

http://www.youtube.com/watch?v=PVvcKIbSZ9U



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半沢はな は、理想の妻なのか?アホくさいぜ。

2013-10-19 17:21:16 | 女性の地位
半沢直樹が終了してもなお、話題満載である。
なかでも、はな、の良妻ぶりが話題なんだそうである。

現代版専業主婦の鏡のような役である。

しかし、ちょっと待てと思う。

現代版といったが、実は半沢はなは、高度経済成長期のモーレツサラリーマンの専業妻の典型なのである。
夫の転勤もいとわず、上司の奥様に取り入ったり、夫の出世と仕事の成功以外には興味がないみたいである。

子育てさえ、興味ない感じなのである。

自分は社会の競争には参戦せず、夫を通して社会とつながり、社会に参加するかつての妻のモデルである。
それは、昭和38年生まれの池井戸潤が子どものころからのサラリーマン像であるし、母親像でもあるのだろう。まさにバブルまでの日本の働く父親像である。

バブル崩壊後は日本は変わったのである。そういう意味において、半沢はな、は、ファンタジーである。

はな的生活の前提には、半沢直樹の高額な収入があり、深夜におよぶ長時間勤務があり、社宅や妻の実家まで疎開資料を隠すだけの一族をあげての協力体制の存在がある。
そんなおめでたいビジネスパーソンは今や珍しい。

時代は変わって、妻も働き、夫も働き、独身女・男も働き・・・、そういう時代になったのである。

半沢直樹はもういないのである。というか、あのような働き方こそが女性の社会進出を阻んできたのである。

効率の良い働き方が求められているのである、
会社に身も心も捧げるような働き方ではないものを求めるようになっている。

近藤のようにメンタルをやられ、会社を辞めざるを得ず、離婚していく銀行員も山ほどいるだろう。
時代は変わったのだ。

幻想の妻像を垂れ流すのはよくない。
半沢直樹でもっとも不快なのは、奥様たちが集まって手料理だの占いなどに興じているシーンである。
女性を愚弄している。
女はパートか趣味までで、働くことなく、夫を支えろというメッセージである。

半沢直樹は面白かったが、女性は、ホステスか専業主婦、金融庁や銀行で働く若い独身女性ぐらいしかでてこなかったのでむかついていた。
女性を家庭に押し込める、そこが日本の限界なのである。
飛躍できない原因はそこにあるのだとみなが気が付くべきである。


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就活は不公平の極みであることを知るべきである。

2013-10-19 13:05:22 | 現代社会論
就活生が採用結果に悩み、就活自死さえ出ている昨今、企業に対し採用の選考過程の公平性や開示を求める意見が寄せられているということである。

しかし、それは、無理というものだろう。
なぜ、採用されなかったか?
大企業の場合、たぶんまず、大学で選別されている。
それほど偏差値の高くない大学に入った時点でもう終わっていると考えるべきなのである。
難関国立大学にはいっておけば問題はないと思われるが。

有名私立大学でもバタバタと落とされている。厳しい現実。

選考過程を開示せよというような意見もあるが、それはないだろう。
大学で選別し、コネ口利き採用もそれなりにあるのでまったくもって不公平極まりないのが現状だからである。

弱小、低偏差値の大学の就職課は学生に本当のことを言えないでいる。
あんたね、うちの大学に入った時点でもう、終わっているんだからとは言えない。
がんばって一つでも内定もらおうね、て励ますが、それは無理というものと内心おもっているのではないだろうか。

学生は、身の丈にあった企業を選ぶべきなのである。
高卒以下の学力しかないのに、あれこれえり好みするのであるから、無理。

朝イチの講義に出られないようでは、会社で働くことはできない。
英語も算数もできず、挨拶もできず・・・。だれもそんなのは採用する気になれない。
バブル時代なら余裕もあったが今は即戦力、会社の繁栄のために有能な人材でがんがん働ける人材をとにかく獲得したいのである。

大学の就職課は学生が落ち込んで自死しないように精神的援助をするとか、非正規雇用で働いて幸せになる方法、共働きでがんばろうとか、などをむしろ教えるべきである。人の嫌がる仕事だがやりがいのある仕事などにもっと目を向ける必要がある。

大企業で馬車馬のように働かなくてもいいんだから。

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決められない無責任体質の役所が惨事を招いたのか?伊豆大島町

2013-10-18 09:10:35 | 現代社会論
伊豆大島の今回の台風での大惨事、胸が痛む。

10年に一度の大型台風という情報は日本中の人に伝わっていたはずである。
当然、役所は、住民の生命と財産を守るために、惨事が起きないようにいろいろな対策を事前に練ったはずだろうと思う。

大雨と大風で町はどうなるのか。
山の斜面が崩れることはないのか、と想像力をだれかが働かせたかどうか。
町長がいなくても、ナンバー2、3が町長と連絡を取り合いさまざまな決定をする必要が当然だがあったはずである。

15日の午後の段階で、住民に避難するように伝えておけば・・・と、思うが、実際の現場では、そういう判断はなかなかできないものかもしれない。

火山はイメージできても、台風はイメージできない。

やはり、どんなときでも、最善の策を考え英断できる人材が自治体の前線には必要なのである。

今回は、そういう人材がいなかったということである。

従来のなかなか決められない無責任体質、日本のお役所はそういうところなのであるが、そういう体質がある以上、このような惨事はまた起きるだろう。

住民と自治体が一体となって、情報を集め、決定するシステムを構築する必要があるだろう。
地震津波、火山噴火、台風・・・、地域に根差した自治体の役割、住民との連携、人口の高齢化もあり、もっと足元から防災を考える時代になっている。

少子高齢社会で、災害立国、地震列島の防災計画は基本から叩き直さなければならないだろう。
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