3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

シューベルトの美しさ 月に寄せて D.259

2013-10-22 18:14:26 | 音楽ノート
歌の仲間が最近歌っているのが、シューベルトの「月に寄せて」 D259

なんと美しい歌、伴奏の素晴らしさが一層歌を引き立たせる。
これを聴いていると、すべてを許せる気がしてくる。
これまでの人生のすべての悲喜こもごも、すべてを受け入れ、安らかな気持ちにさせてくれる。
シューベルトの音楽は、天上的な美しさで、それでいてさりげなく、あなたの人生はそれでよいのだといってくれるような気持ちになる。
過ぎ去った日々、後悔の念、失ったものたちへの哀切・・・すべてを受け入れてくれる音楽、それがシューベルトなのである。

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An den Mond D259 月に寄せて
Johann Wolfgang von Goethe

Füllest wieder Busch und Tal
Still mit Nebelglanz,
Lösest endlich auch einmal
Meine Seele ganz.


Breitest uber mein Gefild
Lindernd deinem Blick,
Wie des Freundes Auge mild
Über mein Geschick.


Jeden Nachklang fühlt mein Herz
Froh und trüber Zeit,
Wandle zwischen Freud und Schmerz
In der Einsamkeit.


Fließe, fließe, lieber Fluß!
Nimmer werd ich froh;
So verrauschte Scherz und Kuß,
Und die Treue so.


Selig, wer sich vor der Welt
Ohne Haß verschließt,
Einen Freund am Busen hält
Und mit dem genießt,


Was, von Menschen nicht gewußt
Oder nicht bedacht,
Durch das Labyrinth der Brust
Wandelt in der Nacht.
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不治の病と闘いながら、なぜ、シューベルトはこのように美しい音楽を作ることができたのだろうか。

あれこれ歌ってみるが、結局、だれもシューベルトを超えられないのではないだろうか。

シューマンも好きだし、ベートーベンも好きだけれど。

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学校の先生も受難の時代

2013-10-22 15:51:59 | 現代社会論
(2013年10月22日07時14分 読売新聞から)
小学生の娘の担任教諭らを殴ったり、土下座をさせたりしたとして、滋賀県警大津北署は21日、大津市内に住む無職の女(41)を威力業務妨害、傷害、強要容疑で逮捕した。女は容疑を認めているという。

 発表によると、女は9月30日、娘が通う小学校に「娘がいじめられて帰ってきた。身内がナイフを持って相手のところに行くと言っている」と電話で連絡。女の自宅近くまでやってきた担任の女性教諭と男性の主任教諭を、つえで殴って軽傷を負わせたほか、「お前らのやったことを謝罪しろ」などと言いつのって2人に土下座を強要するなどした疑い。

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これじゃあ、先生も大変である。
全国学力テストで成績は発表されるとか、子どもの成績が悪ければ先生の責任にされそうである。

子どもがいじめられたということは大変なことだから、親が心配するのはわかるけれど、だからといって先生にまた「土下座」?!

どうかしているよね。

学校も市場化して、評価されたり、利用者=お客様のご要望にお答えする、ことが責務になってくると、結局こういうことが起きるのである。

保護者も子どもも学校も先生も頭がおかしくなっている。

社会の格差が極限にまで広がって二極化している。
片方は豊かすぎ、億ションに住み、子どもは上質の学校に通い、高い文化の香り。だからといって幸せかというとそうでもないのだが。
もう片方は、貧しく日々の暮らしに汲々としていて、精神も荒廃して、身近な存在に八つ当たりしてその日の憂さを晴らす。
すべてが荒廃しているわけではないだろうが、こういう傾向がなきにしもあらず。
さらに、東京などの大都市のゆとりある層と地方の状況はこれまたかなり格差がある。

今、必要なのは、豊かな層を維持しつつ、底上げが必要である。
底辺に追いやられて層を丁寧に掬い取っていかないと。
放置すれば大変なことになる。

これまで、日本が曲がりなりにも世界の大国といわれてきた背景には、津々浦々、高レベルの義務教育が安定的に提供されてきたこと、そして、勤勉であり正直であることを生活価値として守ってきたからである。

それが、不誠実、不真面目、真面目に働くこともなく、ろくな義務教育が得られないようでは、もう、これまでのような繁栄はなく、開発途上の国々で社会が安定していないような国のように荒れてしまうと思うのである。

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