若者が右傾化しているといわれている。
なぜか。
筆者の見解であるが、1982(昭和57)年11月に中曽根が総理大臣になって以来、その流れは作られてきたと思えるのである。
1984(昭和59)年のお正月、中曽根は現役首相としてはじめて、靖国を参拝している。
1985年9月に文部省(当時)は、君が代日の丸教育の実施率を公表する。が、卒業式の君が代斉唱率は、小学校72.8%、中学校68%、高校53.3%と必ずしも高くなく、卒業式の君が代斉唱実施徹底を通知する。
1986年10月、教育課程審議会は「中間まとめ」のなかで、伝統文化・道徳の重視を掲げる。
1987年12月、教育課程審議会では、国旗掲揚、国歌斉唱の儀式での義務化を答申。
つまり、30歳以下の若者たちは、生まれた時から首相は靖国を参拝し、日の丸君が代を学校で歌い、知らず知らずのうちにそれが普通であると刷り込まれた世代だといえるのである。年代の幅を考えると40歳以下ぐらいは、この国旗掲揚国歌斉唱の文化が染み付いている。公立の小中高と学ぶ普通の子どもたちは、それが当然となっているのであり、生活文化に靖国、日の丸、君が代をベースにしたナショナリズムが染み付いていて、そういった歴史観によって育てられているともいえる。
一部の上質な私立小学校やリベラルな学者肌の教員が教える中高一貫校では、そうではないかもしれない。が、多くのその他大勢の学校では日の丸の小旗を振るのもそう奇異なことではなくなっている。卒業式に君が代を歌うことは普通のことであり、なぜ反対するKYな教員がいるのかもその意味さえわからなくなっている。(オリンピックやワールドカップでは日の丸が掲げられ君が代がたからかにうたわれるのだから仕方ないか。)
こういった伝統文化や道徳を大切にするという形をとりつつ、自由主義的な規制緩和経済政策のなかで、きわめて右寄りのそして自己責任にもとづく経済活動を展開してきたのがこの30年の我が国の路線である。
その間に小選挙区制となり、ますます、多様な意見は吸い上げられないような選挙制度となり、政治的虚無感はますます増大してきたといえよう。
当然の結果として男も女も若いものを中心として右傾化している。80年代の公教育の帰結なのである。
ちょっと詳しい年表を繰ってみればすぐに分かることである。
それにしても左翼の不甲斐なさよ。
右翼左翼と分けるのは嫌いだが、左翼が経済成長にあぐらをかき、緊張感など微塵も感じさせられないような労働運動、甘い汁をすってきた。そのつけが今日の不甲斐なさにつながっているとも思える。
韓国の政治家も若者も北朝鮮との緊迫した政治情勢のなかでいやおうにも鍛えられた。ヨーロッパだって東西ドイツの壁がつい最近まであったのだから、緊張感があった。そういうなかで英知を寄せ合って話し合う政治のあり方や市民運動の戦い方も磨きがかかったのだ。
我が国の左翼は、そういう鍛えられ方を幸か不幸か学ぶ必要がなかった。抑止する勢力が弱体化し、若者は右傾化した。いやいやそうはいっても戦争はダメだといい諭す人々、戦争体験者は高齢化し虚弱化し社会の周縁に追いやられてしまっているのだ。
若者にバランス感覚が失われている日本、だから絶望的なのである。
景気の悪さがますます若者を不満に陥らせ、バランスをさらに悪くさせている。
この悪循環を断ち切れるのか。
なぜか。
筆者の見解であるが、1982(昭和57)年11月に中曽根が総理大臣になって以来、その流れは作られてきたと思えるのである。
1984(昭和59)年のお正月、中曽根は現役首相としてはじめて、靖国を参拝している。
1985年9月に文部省(当時)は、君が代日の丸教育の実施率を公表する。が、卒業式の君が代斉唱率は、小学校72.8%、中学校68%、高校53.3%と必ずしも高くなく、卒業式の君が代斉唱実施徹底を通知する。
1986年10月、教育課程審議会は「中間まとめ」のなかで、伝統文化・道徳の重視を掲げる。
1987年12月、教育課程審議会では、国旗掲揚、国歌斉唱の儀式での義務化を答申。
つまり、30歳以下の若者たちは、生まれた時から首相は靖国を参拝し、日の丸君が代を学校で歌い、知らず知らずのうちにそれが普通であると刷り込まれた世代だといえるのである。年代の幅を考えると40歳以下ぐらいは、この国旗掲揚国歌斉唱の文化が染み付いている。公立の小中高と学ぶ普通の子どもたちは、それが当然となっているのであり、生活文化に靖国、日の丸、君が代をベースにしたナショナリズムが染み付いていて、そういった歴史観によって育てられているともいえる。
一部の上質な私立小学校やリベラルな学者肌の教員が教える中高一貫校では、そうではないかもしれない。が、多くのその他大勢の学校では日の丸の小旗を振るのもそう奇異なことではなくなっている。卒業式に君が代を歌うことは普通のことであり、なぜ反対するKYな教員がいるのかもその意味さえわからなくなっている。(オリンピックやワールドカップでは日の丸が掲げられ君が代がたからかにうたわれるのだから仕方ないか。)
こういった伝統文化や道徳を大切にするという形をとりつつ、自由主義的な規制緩和経済政策のなかで、きわめて右寄りのそして自己責任にもとづく経済活動を展開してきたのがこの30年の我が国の路線である。
その間に小選挙区制となり、ますます、多様な意見は吸い上げられないような選挙制度となり、政治的虚無感はますます増大してきたといえよう。
当然の結果として男も女も若いものを中心として右傾化している。80年代の公教育の帰結なのである。
ちょっと詳しい年表を繰ってみればすぐに分かることである。
それにしても左翼の不甲斐なさよ。
右翼左翼と分けるのは嫌いだが、左翼が経済成長にあぐらをかき、緊張感など微塵も感じさせられないような労働運動、甘い汁をすってきた。そのつけが今日の不甲斐なさにつながっているとも思える。
韓国の政治家も若者も北朝鮮との緊迫した政治情勢のなかでいやおうにも鍛えられた。ヨーロッパだって東西ドイツの壁がつい最近まであったのだから、緊張感があった。そういうなかで英知を寄せ合って話し合う政治のあり方や市民運動の戦い方も磨きがかかったのだ。
我が国の左翼は、そういう鍛えられ方を幸か不幸か学ぶ必要がなかった。抑止する勢力が弱体化し、若者は右傾化した。いやいやそうはいっても戦争はダメだといい諭す人々、戦争体験者は高齢化し虚弱化し社会の周縁に追いやられてしまっているのだ。
若者にバランス感覚が失われている日本、だから絶望的なのである。
景気の悪さがますます若者を不満に陥らせ、バランスをさらに悪くさせている。
この悪循環を断ち切れるのか。