3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

95年という大転換点ー95年からやり直そう

2012-08-27 09:35:15 | 現代社会論
夏の名残りのバラ


2012.8.27付毎日新聞の[論壇を読む]で、「95年という大転換点」を読んだ。

確かに、95年は大転換点だと思う。

阪神大震災、オウム

「自虐的」歴史観に対して、右翼的な人々が新しい歴史教科書をつくる会を結成する。

個人的な感覚で恐縮だが、ジェンダーへのバッシングも右傾化と連動していたように思う。再び女性は職場の花として採用するような傾向が強まり、性文化も歯止めがかからぬような状態、女性たちは、被写体としての女性になりさがっている。

日経連の新日本型経営で、年功序列、終身雇用を否定して、非正規雇用を拡大提唱

社会保障でいえば、1995年勧告、介護保険の導入による措置制度の解体の流れが打ち出され、以後、公的部門の後退は加速化する。

つまり、95年は、震災で生活の脆弱性があらわになったにもかかわらず、新自由主義的経済システムが拡大し、雇用は不安定となり、社会保障でも公的支えは底が抜けていくという社会システム、決定的な転換が起きた年と位置付けられるのだ。

85年均等法から10年たっているのに、結局、女性の社会進出はきわめて限定的な形式的なものになっていて、実質的ではなかった。それが今の惨憺たる状態を作ったともいえるのではないか。
(1998年都議会で「東京女性財団」批判。フェミニズム批判本、林道義氏『主婦の復権』出版。4月)



オウムは仏教という精神的支柱を失わせ、強欲資本主義、money monen money へと疾走する契機ともなる。
右翼的な流れは雇用不安にある若者層を引き付け、右翼グループは低年齢層化する。
それは、新自由主義的社会展開のなかでは自己責任論に帰着する。

95年以前もかなり日本の社会システムはガタついていた。しかし、95年以後、日本は平静さをうしなうような競争主義に身をおき、すり減ったのだ。少子高齢化で社会のベースはますます脆弱化するのにその生活を下支えする労働、育児、老後の不安をかりたてるような政策がとられてきた。

3.11以後のテーマは、95年体制をいかに打破するかなのだ。

社会保障でいえば、公的部門をどのようにあらためて位置づけるか、95年勧告をどう乗り越えるかだろう。
エネルギー問題は、原発依存体質改善を経済の安定性と折り合いをどうつけるか、
国民生活の安定、これらは税金でしかやれない部分だ。
赤字とにらめっこしながら。

大衆迎合することなくやるしかない部分がかなりある。
大衆受けをねらって、人気取りに動いていては迷走するばかりでダメだ。

政治家は大衆から袋叩きにあおうがやるべきことはやらなければならない。





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田中正造のことば:国益と人権の狭間で

2012-08-26 14:55:06 | 環境問題


田中正造の文明観

田中正造全集19-271
公益公益と呼ぶも、人権を去って他に公益の湧き出るよしも無之と存じ候

国益のために谷中も水俣も犠牲になり、被害民たちの人権は踏みにじられた。

しかし、フクシマはどうだろう。

3.11以後、フクシマ、今は資本vs 農民、労働者という構図ではない。
そこが複雑なところだ。

原発に反対するのは本当に人権をまもることなのだろうか?
自問自答する。
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何事も大衆迎合してはいけない:外交&エネルギー政策&社会保障

2012-08-25 10:47:16 | 現代社会論
韓国も日本もどこにも過激なナショナリストと人気取りの政治家がいて、それがやっかいな世論の流れをつくる。

外交は外交のルールがあり、エネルギー問題はそのプロパーがいて、御用学者といわれようと、とにかくプロパーがいる。
年金、医療、介護などの社会保障の問題もその道のプロパーがいる。

しかし、一般の人々は、とくに外交ルールに精通しているとかエネルギー問題を多面的に考えられるというような人は少なく、アマチュアの感情論ですべて動くので困る。マスコミも大衆迎合の極みであるし、マスコミを動かしている人々もプロパーではないから、どうもおかしい世論がいつのまにかつくられてしまう。

こんな報道したらやばいだろうというようなことを平気でやってしまう。

どこもかしこもその道のプロパーの意見、多面的な意見を聞く耳をもたず、素人考えで一斉に振れる。それでいいのだ、それが民主主義だといえばすむ、という問題ではないのだ。

このままいくと危険だと思うことが多すぎる。

外交、エネルギー、社会保障、どれもそう簡単に解答が得られる問題ではない。1かゼロの問題ではないのだ。

原発ゼロを官邸前で叫ぶ人々がどこまで日本の原発ゼロにした場合の経済的危機を予期してものをいっているのか、どうもあやしい。
反対はだれでもできる。経済を減速させないやり方でゼロにするためにどのような道筋があるのか、もっと具体的に示して欲しい。
子どもの未来とか抽象的なことはいいのだ。政策はリアルでなければならない。イモーショナルな問題ではない。
経済の右肩上がりの時代の反原発運動はこれでよかったのだが、今はそういう運動はダメなのだ。のんきに反対を唱えていても始まらない。

社会保障はどうするのだ。原発ゼロにして社会保障もオオナタをふるう、そうせざるを得ないだろう、覚悟はあるのか。子どもの未来は?原発ゼロにして社会保障ゼロになったら元も子もないだろう。

外交も同じだ。韓国の大統領は大衆迎合で、素人のようだが、日本だって笑えない状況だ。

とにかく、感情論で国の行く末を考えるべきではない。

すべてに冷静さが求められる。
3.11以後の日本、50年後の日本をもっと冷静に考えるべきである。プロパーの活発な意見交換こそが必要である。

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「大学院修了が沈む」?日本は国際競争力がない証拠

2012-08-24 08:57:19 | 現代社会論
このところ日経1面、「沈む大学院」という記事が連載されている。
大学院修了でもなかなか仕事に結びつかないらしい。
一歩日本を出れば、院卒でなければ話にならない。
学部卒?なーんだ、さようなら、の世界である。

専門を極めるということだけでなく、その人のレベルの高さを図るメジャーなのである。

大学の入口を狭め、質を上げ、大学卒の価値を高めているからこそ院卒の価値も高まるというものである。

日本のように名ばかり大学生がはびこり、1・2年の教養を終わったらもう就活でざわざわしているような環境では、まともな大学教育はできるはずもない。
ろくに専門の勉強もしないで、会社(これがまたおやじ文化から抜けていないロクでもない集団)の面接に通るような都合のいいような会社人間予備軍、些末なノウハウだけを身に付け会社人間になっても、市民としても未成熟のままなので、世界とは闘えない。

これが、日本を国際競争から脱落させる要因の一つになっている。

日本の大卒は短大卒程度の教育しかやっていないということなのである。

日経の記事の通りに、大学院卒が沈んでいるなら、これはたいへんなことである。
経営者はもっと世界を学ばなければならない。

体育会系のツテで就活し就職しても、そして、上司におべんちゃらをいってお酌をすることはできても、また、そういう輩(全員男)が出世するような構造があるのだが、世界はそんな太鼓持ちみたいな奴は相手にしない。リーダーはきちんと大学院を出て、その道のプロパーでなければ話にならない。院卒が沈むような日本の会社の未来は暗いのだ。


付言すれば、留学経験と大学院卒、この二つが世界を相手に闘うリーダーの条件だろう。
さらに、女性であればなおさらいいのだ。世界は女性の進出を歓迎している。世界はそれこそ無条件に女性を登用するという雰囲気がある。男性からすれば逆差別だと不満の声があるくらいだ。

留学経験があり大学院卒で女性、これがこれからの日本のリーダ-となる人材であり、そこに日本は活路を見出すしか国際社会で生き残れないと思う。
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生活保護の話:ハンマー投げの選手の場合

2012-08-23 19:16:50 | 現代社会論
ハンマー投げの選手の実母が生保受給していたという。
離婚して父親についた子どもが大成して経済的にゆとりがある場合の話。

扶養義務などはないだろう。

ずっと昔に離婚して家をでていった母を許せないのだろう。子どもとしては。
この実母、新しい家族を形成し子どもも設けた。いっときは幸せだったのかもしれない。しかし、その新しい男は事業に失敗、行方知れずになった。そこで人生の歯車は狂う。

ひとり残された母は、別れた元夫や子どもたちに頼ることもできず・・。

よくあるケースだ。

結局、この大成した子どもの気持ちの問題なのだろう。

私だったらどうだろう。自分をおいて新しい男に走った?母を一生許せないかもしれない。このあたりは、事実は知らないので想像でしかないが。

そうはいっても、実の母が落ちぶれて、食うや食わずになっているのを知ったら、やはり、援助するのではないかと思う。
父親には内緒にして、小遣いを送り続けるかもしれないと思う。
かってにしろ、生保でももらって暮らせ、とは言えない。
自分の実の母があばら家に住んでいて自分は豪邸、というのは、自分としては許せない。

なんとか援助の方法を考えるだろうと思う。
中学生や高校生ではなく、30もすぎた40近い、れっきとした社会人、しかもメダリストなのだ。泉麻人にいわせれば神格化された存在。
そのくらいの大人の対応はできるのではないかと思う。

これは扶養義務の問題ではなく、親子の葛藤を克服できるか、和解できるかどうか、という問題だ。
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