3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

Andsness アンスネス のラフマニノフNO3&4―虚飾を排しながらも鮮やかな彩りを奏でる

2011-05-20 10:22:50 | 音楽ノート
アンスネスが9月に来日するというので早速、チケットを購入した。王子ホールは完売、やっとオペラシティのものを買うことができた。久しぶりに会えるかと思うと胸が高なる。

アンスネスはボストリッジの「冬の旅」のピアノを弾いていて、それが最初の出会いだった。以来、アンスネスのCDを聞き続けている。とくにシューベルトはすばらしい。素朴、骨太で、かつ繊細、いつでもどんな時でも、一つ一つの音を決して粗雑にあつかわず、小さな真珠のように流れていく。あるときは80歳の老ピアニストのような枯淡を感じつつ、その底には激しい情念、エロチズムがあるように聞こえるのは私だけだろうか。

最近の録音で、アンスネスがパパーノのロンドンフィルとラフマの3番・4番をやっているのを昨日聞いていて、あまりのとろけるような美しい旋律にしばらくひたってしまった。

9月のコンサートでは、ベートーベン21番、ブラームスのバラード、そしてショパンだそうだ。どれも楽しみだけれど、私としては、ベートーベンの最後の30.31.32が聞きたい。それからシューベルトのこれも最後のソナタが聞きたなあ。

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Where did go wrong with our energy policy? : Thinking of the turning point in the 1950s.

2011-05-19 11:22:39 | 福島原子力発電所事故
Yesterday I watched the TV program whose name is Hodo Station on TV Asahi. A commentator whose name is Koji Igarashi who is editor of Asahi newspaper said that In the 1950s we mass media welcomed the development of nuclear energy, we recognized that kind of energy as peaceful engineering. And he said that it is necessary to inspect how and when nuclear energy gave rise to the core of Japanese industry by the mass media and political structure. I agree with him. I think that there is a strong link between mass media and politics.

Although there is the close relationship, I think that in the 1950s, we were ambitious to avoid the poverty which was based on the severe memories after WW2. The desire to escape from poverty led us to drive on developing nuclear engineering and building a lot of nuclear plants.

When an electric washing machine came to my home, my mother she was free from washing baby’s nappies in the pail. And when the electric rice cooker appeared, all housewives had a lot of time to go out to work in the market like their working husbands. Since the refrigerators came to my kitchen we have changed the life style itself, which can’t be reversed.

I think that it is important to inspect by the research of the Japanese social movement which is opposed to nuclear energy. I feel a kind of the vulnerability and instability which was based on the limited political parties and the weakness of the women’s movement in Japan. Especially I am interested in the three decades from the 1950s to the 1970s, because the period was the time when some important laws, three Nuclear Power Acts and three Power Supplies Acts were established. Why didn’t women’s movements produce fruit and couldn’t criticize and oppose the conservative party’s policy? It may be useful to conduct a comparative study with German citizen movements, for example “Die Grünen” and women’s movements.

At first we should start the study on the Suginami appeal which was declared by women’s housewives movements.
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はじめに貧しさがあった、そして原子力が来た―我々はあの時、他の選択肢をもっていたのだろうか

2011-05-18 09:22:56 | 福島原子力発電所事故
昨日の報道ステーションで、1950年代、マスコミもまた、原子力を推進する記事を書いていた、マスコミもそのジャーナリズムとしての責任を果たしていたとはいえない、と朝日の解説委員が述べていた。そう、いつからだろうか、報道番組がニュースショーになり、プロレス実況中継が堪能で、言葉遊びが得意なアナウンサーがキャスターまがいの仕事をはじめ、視聴率至上主義、コマーシャリズムのなかで反権力ジャーナリズムが死滅していったのは・・・・。

今朝、毎日新聞に雨宮処凛が「誰かの犠牲の上に成り立つ社会とは」と、反原発の立場から自民党の推進した原発を支える構造について批判している。
基本的に私も原子力に依存したエネルギー政策は反対だから、この意見を支持する。しかし、なんとなく釈然としない気持ちがつきまとうのはなぜだ。それは、生まれた時から原子力に依存した社会に身を置きながら、それに気づくこともせずに反貧困を叫んできたのかお前は、と、言いたくなってしまうからなのかもしれない。

もちろん市民運動は、こんな生活なんて嫌だ、ハケンなんていやだ、というところから出発するのだから、ゲンパツなんてもういやだからはじまっても決して悪くはない。それでよいのだとは思う。しかし、ふと、立ち止まって、あの時、あの頃を振り返ってみる。振り返るほど年齢を重ねていないので、何とも言えない私ではあるが。

あの時、他の選択肢があったのか、と、問うてみる。
戦後、空襲で焼け野原になった東京から、原爆を落とされ、焼けただれた広島、長崎、そこからなんとしても復興しなければならなかった。私たちは敗戦の屈辱と空虚さから脱出したいと思っていたのではなかったか。
自前のエネルギーを持たぬ国にとって、そして被爆国として、原子力の平和利用ほど、魅力的なフレーズはなかった。たとえそれが政治的な判断であって、しかも科学・技術の成熟していない分野であったとしても、とにかく、生存さえ危うい昭和20年の夏を思い出せば、もう、戦争はいやだ、貧しい生活はいやだと思ったのは違いないだろう。

その後の高度経済成長政策、所得倍増計画により、我が国は目覚ましい発展、GDP上、遂げたのだ。それは確かにあの時、我々の心の隅々までしみとおっていた欧米の豊かさへの憧れと希求、の結果だった。

電気洗濯機が我が家に来た日、母は桶で子どものおしめを洗う暮らしから解放されたのだ。
そして、電気釜がやってきて、母は飯を炊く生活から解放され、我が家に冷蔵庫が来た日、もう、魚を腐らせることはなくなった。子どもは氷屋さんに氷を買いにいくことはなくなった。

豊富な電力は確かに我々の生活を変えたのだ。
そして、それは家事、育児に縛られる女性の生活を変え、女性の社会進出に寄与することとなった。そして、明らかに物質的な豊さではあったのだが、貧乏から解き放たれたのだった。底辺にはもちろん、そういった成長の恩恵に浴さない層がいたことは確かだが、我々はその豊かさに酔ってきた。

汚職と腐敗の自民党、しかし、その自民党は長きにわたって我が国の政治を中心的に担ってきた。とにかく、我々は自民党を選び、結果として原子力政策を支持してきたこととなったのである。

石炭は度重なる落盤事故で多くの炭鉱労働者を死に追いやった。オイルショックで石油は高騰し、国際紛争の火だねであり、火力に依存することはできなくなった。水力はこれも黒四ダムをみればわかるが、自然を破壊し、建設には多くの人命が失われた。残されたのが原子力だった・・・のか。

ここで私が問題としたいのは、我が国における市民運動の脆弱性である。

岐路は1968年、それから二度のオイルショックの時期にあると思う。、
自戒を込めて、なぜ、成長に浮かれ、ここまで来てしまったのか、自然を守り、地方の貧しさを金で買うようなことはせず、新しい安全なエネルギーの開発に興味を持てなかったのか。

1945年から1970年代の我々の生き方、市民運動がなぜ、弱まっていったのか、多くの市民の興味をもたれることがなかったか、権力にからめとられていった道筋を検証してみることで、その理由がわかるだろう。
1955年原子力三法、1974年電源三法、1972年田中角栄の日本列島改造論・・・・。

高木仁三郎の『市民科学者として生きる』(岩波新書)を読もう。

アンスネスのラフマNo.3 (パッパーノ、ロンドン交響楽団)を聞きながら。







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私に残された幸せは〈マリエッタの歌〉歌劇「死の都」第一幕

2011-05-16 11:01:57 | 音楽ノート
Korngold(1897-1957)の歌劇「死の都」の第一幕、死別した愛する妻に生き写しの若い女性マリエッタに心奪われるポール。妻は清楚で美しい女性だったが、マリエッタはそれとは正反対な奔放で上品とは言えない女性だ。そんなマリエッタが歌うアリア、「私に残された幸せは」〈マリエッタの歌〉。昨日歌ってみた。

失った恋人に一目夢で逢えたら、と誰もが思う。
ましてや生き写しのような男性が女性が出現したら、心を奪われるだろう。それが本物の恋人とは違うとしても、思い出をたどるように愛してしまうだろう。
生老病死、愛別離苦、人間の哀切を思う。
失ったものを追い求めつつ、嘆きつつ、しかし、人は次の一歩を踏み出す。
人間には自然治癒力があると思う。

大震災で家族や配偶者、恋人を失った人も多くいるだろう。
愛の思い出をたどりながら、次の一歩を歩みだしてほしい。





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3.11以後の社会保障・社会福祉を考える―貧困・生活問題の深まりのなかで

2011-05-12 18:06:30 | 福祉政策

3.11の東日本大震災、それによって引き起こされた津波により、多くの人びとが家族を失い、親しい友人、恋人を亡くし、家を失い、仕事を失い、人生そのものを奪われ、希望を失っている。そして、地震と津波によって引き起こされた福島の原子力発電所の事故は、これまで盲信されてきた「安全神話」を崩壊させた。とりわけ、放射能による土壌、大気、海洋の汚染は、地域住民に甚大な健康被害と経済的損失をもたらした。避難することを余儀なくされた人びとは、ふるさとを離れなければならず、その避難生活は長期化すると予測されているが、このことは土地をふくめ生活基盤を根こそぎ奪われ、伝統と文化までも奪いかねない。これまでにない社会問題が提起されている。

まさにチェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた1986年、貧困、社会的不平等の研究者として著名な研究者であるU. Beckは 、その著書『危険な社会』(Risikogesellschaft: Auf dem Weg in eine andere Moderne, 1986,Suhrkamp Verlag)のなかで次のように新たに登場する生活破壊をもたらす危険社会について指摘している。

「これまで、人間が人間に与えてきた苦悩、困窮、暴力は例外なく『他者』というカテゴリーが存在していたが、しかし、チェルノブイリ以降、実質的にそれは存在しなくなった。二つの大戦、アウシュビッツ、広島・長崎までは敵国と味方とか人種とかという境界があったが、スリーマイルアイランドをはじめとしてチェルノブイリの事故はわれわれの生活を破壊するリスクが、境界を超えるようになったことを示している。」

常にだれもが生活破壊に直面するという「リスク社会」の到来を鋭く説いているが、くわえて、9.11以後の「テロとの闘争」を考えれば、世界のどこにいてもテロにまきこまれることも新たなリスクにくわわったということもいえ、多様なリスクに脅かされている社会に我々は生きていることを再認識せざるを得ないだろう。
Beckのいうまさにリスク社会という生活破壊の可能性を常に秘めた社会のただなかにあって、われわれは何をどのように現代社会をとらえ、なにを問題とし、解決のための具体的方策をたて、実践していくべきなのだろうか。

貧困や生活問題は、戦前戦後を通して、内外を問わず、社会福祉の中心的なテーマであり続けてきた。しかし、市場原理主義、競争と成果主義、効率重視の風潮、価値のなかで、「豊かな社会」の到来がいわれ、我が国の社会福祉において、貧困は、昨今、マイナーなテーマとなっていた。研究的蓄積も必ずしも多いとは言えなくなっていた。市場原理のなかで、成果主義は広く受けいれられ、個人の努力や能力の結果によって富がもたらされるのだから、努力したものがその富の恩恵に浴することは当然であり、格差は仕方のないこと、格差があって何がわるいのか、という言説が広まっていた。その結果、失業や事業の失敗は個人の努力の怠りであり、結果としてもたらされた貧困は、個人の責任に帰属する、という自己責任と貧困原因が緊密にかさなりあったイメージで一般的にとらえられることも多かった。その結果、残念ながら、社会福祉のなかでも貧困は極めて矮小化、限定的なものとなり、問題関心は薄れ、慈恵的、救貧的な対処療法的なスキル偏重なものとなっていたことも否めない。今日の社会福祉そのものの脆弱性を認識せざるを得ない。

3.11以前、大都市を中心に社会的排除や差別、あるいは、精神的荒廃などを含む複合的な原因による解決困難な貧困をどう解決するかが労働経済学などの分野ではすでにかなり議論されてきていた。さらに、東北地方は極度の人口の高齢化と労働人口の減少、地域経済の低迷、すなわち、経済グローバリゼーションの枠から外れた地場産業の低迷等というきわめて深刻な地域的な貧困・生活問題が横たわり苦しんでいた。今回の大震災で被災した人々の生活はさらに困窮化し、生活の問題は深化するだろう。発電所の事故による環境破壊がさらに覆いかぶさるように地場産業や農水産業を破壊していくだろう。今回の大震災とそれにともなう発電所の事故による生活破壊は、そこから自力では生活再建できない、立ち直れない多くの人々を生み出し、貧困の海に投げ出すはずなのだ。すでにあった大都市圏を中心とした複合的な貧困、さらに東北地方の震災によってもたらされる貧困。1945年の敗戦以来、今こそ、社会福祉や社会保障の本来的役割が重要である時代はない。

貧困・生活問題は、ひとり、一つの家族などにとどまることはない。一家族の貧困・生活問題は連鎖し、次の世代に引き継がれていく。それがさらに問題の解決を困難にさせる。われわれはこの貧困の「連鎖」を断ち切るために、何をすべきか。
3.11以前にあった貧困・生活問題を生み出していた社会システムの問題点をまず、明らかにしなければならないだろう。そして「以後」は、「以前」の問題点をふまえ解決しつつ、さらに創出され、この先、深刻化するであろう被災地を中心とした貧困・生活問題の実像を生活レベルからえぐるという作業を繰り返さなければならないだろう。個人の人生における貧困の連鎖を断ち切り、また、家族への貧困波動を食い止め、それらの世代間に継承されるサイクルを分断するためには、斬新な社会的方策を生み出すための社会福祉実践、当事者を含む運動とそれを支える研究が必要である。

日銀は日本経済は今回の大震災の影響で、一時的に落ち込むが、復興景気で、秋ごろから復調するという予想をだしている。しかし、マクロで経済が復調するということと、ひとりひとりの生活が再建するというのは違う。復興景気の恩恵に浴さない層は必ず出る。被災した地域の復興はそこに住む人々の人生、生活が本当の意味で再建できたときと考えると道は遠く険しい。
今回の大震災、津波、とりわけ原子力発電所の事故を通して、環境問題へのアプローチが重要であることは明白である。環境汚染が地域生活の根幹を破壊し健康被害をもたらす。社会福祉はこれまで環境問題にどう取り組んできたのか。少なくとも、1980年代初頭までの社会福祉の枠組みには、公害・環境問題がきちんと入っていた。しかし、いつのまにか消えていった。現在の社会福祉士養成課程のカリキュラムのなかには位置づけられていない。しかし、環境破壊が地域破壊や健康被害、それにともなう生活破壊を引き起こすことは前述のとおりで、社会保障、社会福祉の理論枠組みに環境問題の視点を改めて組み込むことが必要であろう。
3.11「以前」と「以後」との「連続性」と「非連続性」、そのなかから「以後」の新しい社会福祉の枠組みを考える必要を強く感じる。
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