3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

技術が生んだ事故は、技術で修復する。それが責任―これこそが日本の技術力の根幹だったのだ

2011-05-27 10:10:27 | 福島原子力発電所事故
福島原発暴発阻止プロジェクトの記事を読んだ。「負の遺産は残さない」原発暴発阻止に立ち上がった60歳以上の元技術者達、おとといの毎日の夕刊にもとりあげられていし、ブロゴズにも掲載されていた。かつて日本のものつくり技術大国をつくったエリートエンジニアたちが、福島原発の暴発を阻止しようとたちあがったとのこと。強い責任感をもつ頭脳集団こそ日本が誇る理系技術者だ。技術が生んだ事故は技術で修復する、それが責任だという。これを読んだ人々はみなある種の感動を覚えたと思う。古き良き時代を思い出した。これこそものつくり日本の技術力を根幹で支えていた哲学だったと思う。

いつからだろうか、金ですべてが片付く、そんな世の中になってしまった。金を積んで得られる安全や安心になってしまった。金を積んで、安全を買うことが、金の出せる範囲での安全にすり替わっていく。高い技術力で安全安心をとことん築く、そのために勤勉に働き、よい技術を開発するという崇高な技術者魂は疎まれるようになる。高額な安全対策は後回しにされ、そういう純なこだわりをもった技術者を疎んじ、しだいに老兵は去りゆき、日本の技術者をとりまく環境も様変わりしていった。もう一度、彼らが帰ってきて、修復にあたるというのだ。我々は心から賛辞と応援を惜しまないだろう。

それにしても、原子力安全委員長などはまったく信用できないことが、今回の注水停止実は継続の事実が明らかになった段階で証明された。
現場に行きもせず、重大な決定ができるはずもないし、設計にたずさわっているわけではないような東大教授にはなにも決定する力はない。そんなことは、原発建設に携わった技術者でなければわからないのが本当のところだろう。TVに出演し、あれこれコメントしている東大教授たちは、かなり怪しいと私は思っている。原子力技術は幅広い技術の結集であるので、「原子力にお詳しい」と紹介されていても、原子炉は知らなかったり、内部の配管はまったく素人だったり、すべてわかって判断を下せる人は少ない。しかも、地震津波で破壊されている現場でなにが今起きているか情報が錯綜している3月11日以後の混乱のなかで判断は無理だろう。我々は東大教授、東大名誉教授の肩書に騙されてはいけない。東大教授を見分ける眼力を身に着けることが必要である。手探りのフクシマである。情報が錯綜し、分析には我々が思っている以上に時間がかかる。

原子力第一世代の技術者たちの今回のプロジェクト、見守りたい。多くの叡智を結集してフクシマをとにかく安定した状態にすること、それが最優先課題だ。

「言った、言わない」の政治茶番劇などを演じている「政治屋」を許すわけにはいかない。政治の世界だけの権力の争奪に血道をあげ、被災地、フクシマなど眼中にないような動き方をしている政治屋など許さない。

我々は成熟した市民として、3.11を機会にまともな政治の在り方、エネルギー政策のこれからを考えよう。
コメント (1)
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