3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

安藤和津さんがお母様の介護をしてうつ病に

2018-11-27 18:39:02 | 女性の地位
安藤和津のことは奥田瑛二と結婚したあたりから知った。奥田瑛二といえば、桃井かおりとの映画「もう頰づえはつかない」をみて、ちゃらんぽらんの男の役として印象にのこっている。

安藤和津は犬養毅の孫だそうで、父親は犬養毅の三男の健、で、その健にはいわゆる妾がいて、柳橋の芸者、そこに生まれたのが安藤和津さんなのだそうだ。
渋沢栄一とか後藤新平とか、とにかく、戦前期の政治家や実業家は多くが妾を囲っていて、それを妻もみとめていたというできすぎた妻(正室)たちで、いまでは到底受け入れられない文化である。

それはそうとして、その安藤和津は母親が脳腫瘍になり、その介護の一切を引き受け、といってもひとりでやっていたのではないと思うが、家政婦さんはいなかったのだろうかとかいろいろ考えるが、とにかく、全面的に母の介護を引き受け、介護鬱になってしまったという。
そして、母を看取った後、介護から解放され、自由になったとたんにまたもや鬱になったそうだ。
常によい娘を演じ続け、その呪縛から解き放たれてなお、娘役割が内面化してまったく解放されることがなかったらしい。
そして、いま、介護鬱が徐々に回復していてそのきっかけは、孫のオムツを変えることだったそうだ。
とことん、娘役割の次は母役割に浸っているのだろうか。

彼女の生き方を批判するつもりはないけれど、娘として親の介護をやりつくしましたというようなそれがまるでとても良いことのようなトーンで語られるのはいかがなものか。
マスコミもマスコミでこれだから、日本の娘、嫁は介護をやることを美談として捉え続け、その呪縛で鬱になってそれもまた美談として捕らえられるような風潮があり、本当にどうかと思うのである。

彼女が、娘として鬱になってまでも母親の介護を担ったことが問題だと思う。
それは親孝行ではない、と思うのである。

私が病気の母親の立場だったら、脳腫瘍の母を仕事を制限してまでも介護する必要はなく、近くの有料老人ホームに預け、毎日見舞いをして、そして仕事を続けるような人生選択をしてくれたほうが、うれしいとおもうのだが、どうだろうか。
長い介護生活、人生のもっとも仕事に打ち込める中年の時期を介護のみで費やしてほしくないと母親の立場だったら思うのではないか。少なくとも私が母親だったら娘にそういう。

親子の関係、とくに母子の関係は特別だからなんともいえないが、遠くの老人ホームではなく、近くの高額ホームなら、その財力はあるのだろうから、別にとことん親の介護に専念する必要はなかったと思う。
自分の人生の多くをかけて親を介護すると言う選択はよかったとはまったく持って思えないのである。私が彼女の友人だったら、決して勧めはしないだろう。

だから彼女の本が売れて、美談として持ち上げられるのは、危険としか思えないのである。多くの女性たちが介護と親孝行を内面化すると思うからである。その呪縛を解くためにどれだけの時間と労力をかけてきたのかと思うからである。介護保険にしても介護役割を担う女性たちをその呪縛から解き放つために成立したはずだからである。



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