3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

大越キャスターの言明は間違っていると思う:NHKの実名報道

2013-01-25 16:35:04 | 現代社会論

「企業戦士」たちの死2013年01月23日 (水)
http://www.nhk.or.jp/nw9-okoshi-blog/100/144212.html

大越キャスターはまず、企業戦士ということばに違和感を示している。
筆者も企業戦士という言い方は好まない。しかし、企業に身を捧げ、家族を日本に残し仕事に専念する彼らは、やはり「マイホームパパ」ではなく、日本の経済を中枢で支える「企業戦士」である。それ以外の言葉を私は思いつかない。


「日本人7人の死亡が確認されたその日、菅官房長官は、日揮側との協議の結果として犠牲者たちの氏名を公表しなかった。だが私たちは、取材の結果、氏名が明らかになった犠牲者のうち、2人を実名で報道した。家族の了解のもと、その証言とともに、犠牲となった人の人となりや仕事に向き合った姿勢を伝えるためだ。余計なことを、と思う人もいるかもしれない。亡くなった人とその家族のプライバシーを侵害し、取材ラッシュによる第二の苦しみを強いるつもりかと。しかし、ぼくは自分たちの報道が間違っているとは思わない。亡くなった人にはその人なりの言い分があると考えるからだ。そして、その人がもはや声を発することができなくなった以上、家族に彼の思いや、残していったものを語ってもらうのは、決して間違っていないと信じている。」と書いている。

それはこの人の単なる思い込みではないのか、そう自分に言い聞かせ、あの取材は間違っていなかったといいたいのだ。「亡くなった人にはその人なりの言い分があると考えるから」と言っているが、考えたのは大越であり、本人やその家族の意向を反映しているとは言えないのだ。いつのまにか自分が代弁者であると思いあがっているのではないか。家族の了解をとったといっているが、どうとったのか、息子はそれをゆるすだろうか、すくなくとも、息子の妻は許さないと思うがどうか。「・・・信じている」といっているように「信じている」のはほかの誰でもない大越自身だ。

そして、実名報道について次のように述べる。

「ぼくたち記者は、この問題に否応なく向き合って来た。岡山で事件を担当していた新人の頃、大きなニュースとなった詐欺事件の初公判を取材した時のことだ。検察の冒頭陳述が終わり、裁判所を出ようとすると、被告の妻と思しき女性から腕をつかまれた。
「逮捕の時だって、起訴の時だって、散々ニュースになったじゃないですか。もうこれ以上、あの人を出すのをやめてください」。
ぼくは黙ってその女性の顔を見つめるしかなかった。結局、デスクと相談の上、この初公判のニュースも実名で放送した。その判断が100点満点だったと言い切る自信はない。しかし、事件の悪質さや、社会的な影響の大きさを考えた場合、その核心である人物のディテイル(詳細)を、安易に「ぼかす」ことはすべきでないと思うのだ。」

このケースは被告の妻であり、日揮社員は被告ではない。なんという誤認識かと思う。

大越はさらに次のように続ける。

「今度の人質事件の場合はどうか。亡くなった人たちに責められるところはない。むしろ、仕事への情熱と責任感を持って過酷な地に赴任した人たちであり、家族の中には、その誇らしい足跡や、遠い異国で散った無念を知って欲しいと思う人もいるはずだ。であればなおのこと、私たちは家族の同意を得て、実名で報道する努力を怠るべきではない。」

「・・・・無念を知って欲しいと思う人もいるはず」とそれは単なる想像でしかないだろう。


「アメリカでは、対テロ戦争で今に至るまで多くの兵士たちが命を落としてきた。その都度、政府は速やかにその人の名前と顔写真、亡くなった状況を公表し、追悼の言葉を捧げる。今回、亡くなった人質たちは、武器をとって戦う人たちではない。だが、総理自らが「企業戦士」という言葉を使うほど、その貢献に命がけの重みを見出すのなら、やはり彼らの死は原則として実名で公表されるべきだろう。テロの理不尽さを知り、犠牲者の無念にできるだけ近づこうとするのならなおのことだ。真実はディテールにこそ宿るのである。」

これもまた、勘違いである。
日揮の遺族は公表されたくないと言っているのだ。それは未来永劫ではないかもしれないが、とにかく、悲劇に遭遇して慟哭しているものに、取材をする神経はどうなのか。

本人の意思は確認できない。家族は公表を拒否している。なのに、わざわざ南三陸までいって、心のケアが必要なほど悲しんでいる年寄りにインタビューをし、大した内容でもないものを映像にして流す。私は見ていて苦しくなった。これはNHKの暴力であると思った。激しい憤りを覚えたのだ。
大越の弁解じみたこのコメントを読んで思わず、何もわかっていないし、これが天下のNHKのキャスターのレベルかと失望した次第である。

実名報道拒否という痛烈なマスメディアに対する拒否反応に対応できずにいる。
従来のやり方をとってしまって、ことの重大さにあとから気づき、多くのクレームが寄せられ、それでも間違っていなかったと念仏のように自分に言い聞かせているだけではないのか。

家族の取材拒否に苛立ち、手当たり次第に情報を集め、年取った南三陸の母親の居場所をつきとめ、まるめこみ「了解」をとって流した。その程度である。

朝日の記者に非難が集中しているらしいが、NHKも同罪である。

視聴者はみな、この事件でわがことのように思い悲嘆にくれる家族を思いやっている。実名拒否の家族の意向に皆、納得している。メディアは変わらなければならない。

日揮の悲劇、その理不尽さを世界に発信する、そういう役割を果たすべきときに、なにをやっているのだろうか。内向き日本のメディア。






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