3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

今、都政が面白いー豊洲、東京五輪を追求せよ

2016-10-10 17:46:43 | 現代社会論
都庁のせこい木っ端役人を徹底的に追求すべきである。
ついでに、ゼネコンも、あまり汁を吸いすぎである。
われわれの血税が大手ゼネコンに流れているのにがまんならない。

談合疑惑を解明してほしい。
東京は豊かな財源があるので、企業タカリの体質になる。

ゼネコンはもうけすぎ。
保育園や介護施設の充実、保育士や介護士の処遇待遇改善のための財源にまわすべきである。
清水建設の職員の給料より、保育士や介護士の給料を上げるべきである。
それが、東京都のやるべき仕事である。

東京都は何をやっているのか!
かつては、福祉に手厚い東京都だった。
都の職員も非常に民主的な革新都政の職員として高いプライドをもっていたのに、最近は責任逃れの隠蔽体質になっている。

都議会もリアルタイムで会議の模様がTVで流され、面白すぎる。どんどんやってほしい。

区議は身近だからそれなりに興味がわくが、都議会というのは何やってんだとおもっていたが、
こんなにも面白いのかと思ったのは私だけじゃないだろう。

都議もこれまで居眠りしていたようだが、にわかに活気づいている。

みなで監視しよう。
マスコミも一時のきまぐれになることなく、どんどんジャーナリズム精神を発揮し、どこまでも追求してほしいのである。



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恋愛力

2016-10-10 17:35:14 | 日記
年を重ねだんだん人生が深まっている。

青春時代は恋愛はいつも結婚と直結していたから、用心深かった。
結婚してしまえば、恋愛はご法度だから、なかなか難しいものである。

人生も後半にさしかかり、わが人生において恋愛力を最大に発揮したか考えると、いささか後悔している。

ドラマティックな恋愛もなく、月並みな人生に、少々物足りなさを感じる。

10代のころ、もっと恋をしておけばよかった。
20代のころ、結構がんばって恋愛力発揮していた時期もあったが、今振り返れば、大したものではなく、
想い出のひとかけらぐらいにしかない。

人生は一度きりだから、10代、20代のときに、胸を焦がすような情熱的な恋をすればよかったと思うのである。

何かの拍子に胸の痛みを覚える。
しかし、振り返れば、傷つくこともなく、相手を傷つけることもなく、大したことはなかったように思えてくる。

生きるか死ぬか、などという恋をすることはなかった。すればよかったと思う。仕事も放りだし、恋に走ればよかった。

今になってこんな後悔をしてもはじまらないが。
恋愛力発揮するチャンスも無く、人生の終盤にさしかかり寂しい限りである。


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父の思い出 もうすぐ命日だ

2016-10-10 15:10:39 | 日記
引き出しの奥から、ずっと前に父からもらったテレフォンカードが出てきた。
まだ、使っていないもの。

父は定年退職後、再就職をしたが、その職場のカードだ。
第二の職場も長く勤め、そこも80歳になって退職した。
満開の桜のそのカード、かつての持ち主はもうとっくにこの世から去って久しい。桜の美しさが、かえって悲しい気持ちにさせる。

父が亡くなって早6年、もうすぐ命日だ。

祖父母の死は遠いものだった。
しかし、父の死は衝撃だった。

父の専制君主ぶりに常に反発してきた。
子どものころは父を論破するために多くのエネルギーを費やした。

それでも、晩年、弱くなって、寝ている時間が長くなり、難聴になってコミュニケーションがとりにくくなって、少しかわいそうに思えてきた。
11月の暗い朝に亡くなったが、その知らせを兄から、実家に向かう駅で聞いた時は、震えた。

兄に比べ、私のほうをずいぶんかわいがってくれたなあ、などと思い出していたら、涙が出てきた。

頑固な父だったが、家族を見捨てることもなく、父親としての責任を果たしてくれたことを思うと感謝の気持ちがいまさらながら湧いてくる。
世の中には家族を捨てていなくなってしまう父親がいるというが、そういうこともなく、二人の子どもも高い学歴をつけてくれたし、結婚後もいろいろと援助をしてくれた。

亡くなる前の年に一緒にお墓参りをして、いつものソバ屋で鍋焼きうどんを食べた。
孫にとクリスマスケーキを買ってくれた。
もうずいぶん弱くなっていて、タクシーで駅まで送ったなあ。

最後は入院が必要だったのだが、入院することもなく、わがままを言って母をこまらせてはいたが、最後まで自分の生き方を貫いた。
一切の医療を拒否し、自宅で夜明けに亡くなった。

大正生まれの父らしい最後だった。
仲間はみな学徒動員で20歳前に戦死した。理系だった父は徴兵を免れたために長らえた。
20歳からの人生はお釣りの人生といっていた。
若くして亡くなった仲間たちを思うと、無駄な延命治療などいらないと思っていたのだろう。


私は、父の後、母を送り、夫の父、母と送り、四者四様の最後を見た。
人生というものがわかりかけてきたように思う。人生の輪郭。
いくつもの別れを経験しながら、人は自らの死に向かって歩み続けるのだろう。

もうすぐ父の命日
父の思い出に
Handel: Concerto grosso in B minor, Op.6, No.12 - 3. Larghetto,
をささげたい。







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