サッチャーのDVDを観た。
認知症になった人の心の風景を描いているシーンがたくさんあって、そういう側面からみると、それはそれで大変勉強になる。
しかし、やはり、イギリスの初の女性首相の物語としてみると、ある種の感動を覚える。
彼女は、貴族ではなく、食料品店の娘だ。
しかし、頭がよく努力家だったのだ。
しかも、女権拡張論者だったと思う。
日本でいえば大正末期の生まれだ。そういう女性が、大志を抱き、オックスフォード大学に入学し、化学を学び、そして、デニスという伴侶と出会い、法律を学び、政治家として世にデビューする、というライフコースは奇跡なのではないか、と思う。さまざまな出会いとチャンスに彩られていたのではないかと思う。
夫や子供より政治、一生、食器を洗う生活などいやだ、と、デニスにいうシーンがあった。結婚するときの話だが、大正末期生まれの女性はイギリスだって日本だって一生食器を洗う人生だったのに、そこから脱出した彼女はえらいと思う。
鉄の女といわれて、毀誉褒貶、戦争もして、男並みの政治的腕力を発揮する。
小さな政府、人頭税、彼女のやり方は強引だが、私は、ちなみに大きな政府が好きだが、しかし、彼女の決断力は学ぶべきところがある。
認知症になって、デニスはもう亡くなっているのに、話しかけるシーンがたびたび出てきて、それによって映画は展開する。
脚本も素晴らしいと思う。女性監督も素晴らしい。
結局、サッチャーはデニスに支えられていたのだなあ。子どもよりデニスが一番だったのだし、デニスもこの稀に見る才能の持ち主である妻の出世を喜びとしていたに違いない。それが彼の愛し方だったのだ。そして彼女もデニスに全面的に精神的に依存していた。
政権末期、側近に厳しい姿が描かれ、それによって人望が失われていくさまが描かれていた。
男性にしても、政権末期は人が離れていくのは仕方のないことだろう。
すでにすこし認知症の症状がでていたのか?それとも、自らの地位の政治力に浸って、新しい努力を怠ったのだろうか。
サッチャーが決断力のない男ども!となじるシーンがたびたび出てきた。そう、男は権力の座に居座っていて、新しいことをしないし責任を取らないものだ。腰抜けばかりだから、サッチャーみたいな敏腕女性管理職が彗星のごとく登場し、ばっさばっさと腰抜け男をなぎ倒すのは痛快だろうなあ。
認知症になった人の心の風景を描いているシーンがたくさんあって、そういう側面からみると、それはそれで大変勉強になる。
しかし、やはり、イギリスの初の女性首相の物語としてみると、ある種の感動を覚える。
彼女は、貴族ではなく、食料品店の娘だ。
しかし、頭がよく努力家だったのだ。
しかも、女権拡張論者だったと思う。
日本でいえば大正末期の生まれだ。そういう女性が、大志を抱き、オックスフォード大学に入学し、化学を学び、そして、デニスという伴侶と出会い、法律を学び、政治家として世にデビューする、というライフコースは奇跡なのではないか、と思う。さまざまな出会いとチャンスに彩られていたのではないかと思う。
夫や子供より政治、一生、食器を洗う生活などいやだ、と、デニスにいうシーンがあった。結婚するときの話だが、大正末期生まれの女性はイギリスだって日本だって一生食器を洗う人生だったのに、そこから脱出した彼女はえらいと思う。
鉄の女といわれて、毀誉褒貶、戦争もして、男並みの政治的腕力を発揮する。
小さな政府、人頭税、彼女のやり方は強引だが、私は、ちなみに大きな政府が好きだが、しかし、彼女の決断力は学ぶべきところがある。
認知症になって、デニスはもう亡くなっているのに、話しかけるシーンがたびたび出てきて、それによって映画は展開する。
脚本も素晴らしいと思う。女性監督も素晴らしい。
結局、サッチャーはデニスに支えられていたのだなあ。子どもよりデニスが一番だったのだし、デニスもこの稀に見る才能の持ち主である妻の出世を喜びとしていたに違いない。それが彼の愛し方だったのだ。そして彼女もデニスに全面的に精神的に依存していた。
政権末期、側近に厳しい姿が描かれ、それによって人望が失われていくさまが描かれていた。
男性にしても、政権末期は人が離れていくのは仕方のないことだろう。
すでにすこし認知症の症状がでていたのか?それとも、自らの地位の政治力に浸って、新しい努力を怠ったのだろうか。
サッチャーが決断力のない男ども!となじるシーンがたびたび出てきた。そう、男は権力の座に居座っていて、新しいことをしないし責任を取らないものだ。腰抜けばかりだから、サッチャーみたいな敏腕女性管理職が彗星のごとく登場し、ばっさばっさと腰抜け男をなぎ倒すのは痛快だろうなあ。