2008年の教育への公財政支出は、GDP比3.3%でOECD31か国のうち最下位とのこと。
大震災前の数字である。平均5%で、2007年も最下位だったそうだ。
つまり、公教育にお金をかけていない国、日本、ということだ。なんというみじめな数字か。
小学校の平均学級規模も日本は28人と多く、平均21.4人を下回っているとのこと。ますますみじめになる。
教育こそ国造りの基本とし、手厚い義務教育を明治以来実現してきた我が国。
識字率はほぼ100%を誇ってきた。どんな田舎にいっても年寄でも読み書きができる国だ。
ある旅人が山深い村にいって民宿に泊まった。驚いたことにそこで風呂の薪をくべていた「老婆」が、『岩波新書』を読んでいた。そこに日本の義務教育のすばらしさを知ったというエッセイを読んだことがある。義務教育によって大切に育てられた子ども達、その人たちが真面目にはたらき、それが、これまでの日本成長を支えてきた。
それが今ではどうだ?
若者たちは岩波新書、『世界』どころが、新聞も読まないようになってしまった。
このところ、公教育への支出は削減されているのだ。この国際比較であきらかだ。
公教育への支出が減ると、教育は圧倒的に家庭の責任となり、余力のある家庭の子どもに教育費用が私的に投入されるから、経済的に厳しい家庭の子どもは結果として薄い教育にならざるを得ない。
子どもの能力に格差が生じ、それが若者全体に虚無感がひろがる原因になっているように思える。
OECDの国際比較調査では、ノルウエ―が7.3%で最高だったそうだ。北欧諸国が軒並み高水準だったとのこと。
ノルウエ―のオスロ空港だったか、ベルゲンの空港だったか、ふと、入った授乳室の壁一面になんとクリムトの黄金の『恍惚の母子像』の絵が飾ってあった。それを見て、この国の人々の育児や教育に対する思想、哲学、つまり、芸術性の高い最高の環境で子育てをする、その母を支えるという思想哲学を見たように思った。どんな子どもたちにも平等に最高の教育機会を提供しようという意気込みを感じた。
日本の空港の授乳室にはこういう思想哲学を感じることはない。全部調べたことはないけれど。
良い人材をつくるためには、コネや金に頼らなくてもきちんと能力に応じて評価され、社会に活躍できる環境を整えることが重要である。公教育の社会的役割は大きいのである。
OECD国際比較調査では、日本の小学校や中学校の先生の事務の時間が多過ぎるという結果もでている。学校の先生が教育に専念できない労働環境なんて、本末転倒である。毎日の教材作成と研究にのみ集中できるような環境を用意してやる必要があるだろう。
大震災前の数字である。平均5%で、2007年も最下位だったそうだ。
つまり、公教育にお金をかけていない国、日本、ということだ。なんというみじめな数字か。
小学校の平均学級規模も日本は28人と多く、平均21.4人を下回っているとのこと。ますますみじめになる。
教育こそ国造りの基本とし、手厚い義務教育を明治以来実現してきた我が国。
識字率はほぼ100%を誇ってきた。どんな田舎にいっても年寄でも読み書きができる国だ。
ある旅人が山深い村にいって民宿に泊まった。驚いたことにそこで風呂の薪をくべていた「老婆」が、『岩波新書』を読んでいた。そこに日本の義務教育のすばらしさを知ったというエッセイを読んだことがある。義務教育によって大切に育てられた子ども達、その人たちが真面目にはたらき、それが、これまでの日本成長を支えてきた。
それが今ではどうだ?
若者たちは岩波新書、『世界』どころが、新聞も読まないようになってしまった。
このところ、公教育への支出は削減されているのだ。この国際比較であきらかだ。
公教育への支出が減ると、教育は圧倒的に家庭の責任となり、余力のある家庭の子どもに教育費用が私的に投入されるから、経済的に厳しい家庭の子どもは結果として薄い教育にならざるを得ない。
子どもの能力に格差が生じ、それが若者全体に虚無感がひろがる原因になっているように思える。
OECDの国際比較調査では、ノルウエ―が7.3%で最高だったそうだ。北欧諸国が軒並み高水準だったとのこと。
ノルウエ―のオスロ空港だったか、ベルゲンの空港だったか、ふと、入った授乳室の壁一面になんとクリムトの黄金の『恍惚の母子像』の絵が飾ってあった。それを見て、この国の人々の育児や教育に対する思想、哲学、つまり、芸術性の高い最高の環境で子育てをする、その母を支えるという思想哲学を見たように思った。どんな子どもたちにも平等に最高の教育機会を提供しようという意気込みを感じた。
日本の空港の授乳室にはこういう思想哲学を感じることはない。全部調べたことはないけれど。
良い人材をつくるためには、コネや金に頼らなくてもきちんと能力に応じて評価され、社会に活躍できる環境を整えることが重要である。公教育の社会的役割は大きいのである。
OECD国際比較調査では、日本の小学校や中学校の先生の事務の時間が多過ぎるという結果もでている。学校の先生が教育に専念できない労働環境なんて、本末転倒である。毎日の教材作成と研究にのみ集中できるような環境を用意してやる必要があるだろう。