新潟カウンセリング研修センター

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分からなさが声に

2016-10-08 07:08:34 | 私の声
今や、分からなさに触れたな?と感じられたなら、迷わず声になれるようになってきている。分からなさが感じられる私自身に、誇れるのだ。分からなさは、なかなか前に出にくいようになっているようだ。退きやすいとも言える。声にすることの怖さも、人との関わりからいつしか獲得してきたのであろう。声にするのが怖かったんだ!このことばに、顕かにさせていただいた後、私は変化した。不可思議としか言いようがない。今は、声にすることは私自身の成長へのプロセスに、必須だとこれまでの道程で確信できたのである。その実感は、怖さを超えられるようになれたのだ。声にするとは、吾自身が表れるということになる。表れたことばに、自他の評価で聞くできごとが生じてくる。けがをしたり後悔したり喜んだり・・・。ところが、ことばは人間が一喜一憂しているようなレベルにはないということだ。吾の評価に一喜一憂しているところが声になり、そこに気付かせていただければ、新しい世界に誕生させていただける。ひとところに留まっていると、活き活きにならないばかりか、死んでしまう。呼吸はしていても、精神はね。ことばに畏敬の念を抱くようになったのは、聞いてくださる人間(カウンセラー)に値遇えたからだった。奇跡としか言いようがない。