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コンフェデ杯2013 / 2013年08月21日


ブラジルの物価水準


コンフェデ杯旅行記補遺(下)
6月18日(火) レシーフェ

★町の理容店で散髪
 レシーフェ滞在中に試合のない日が2日あった。1日目は世界遺産の町オリンダに観光に行き、翌日は町の理容店で散髪をした。
 目立たない小さな店だった。女性の理容師が4人、手持ち無沙汰にしていた。男性の床屋さんは一人だけ。ほかに客はいなくて入ったらすぐ始めてくれた。
 はさみとバリカンで刈り上げるだけ。注文どおりやってくれて約15分で終わり。ひげそりもシャンプーもない。
 代金は25リアル。約1250円である。
日本でもひげそり、シャンプーなしの1000円理髪店があちこちにある。ほぼ同じである。
 東京の1000円理髪店は、お客が引きも切らず、待たされることも多い。
 レシーフェの理髪店は、ぼくが出て行くまで、ほかのお客は来なかった。これで経営が成り立つのかと心配になった。

★メディアセンターの食堂
 コンフェデレーションズ・カップの試合のあるスタジアムにメディア・センターが設けられている。その中に食堂がある。
 どのスタジアムでも価格は同じだった。
 ビュッフェの食事が30レアル。約1500円。ペットボトルの水1本が6レアル。約300円。
 最初は「これは高い」と思った。東京でサラリーマンが昼食に1000円以上使うことはあまりない。600円から800円くらいがふつうだろう。
 しかし、食事については、これはブラジルのふつうの水準に近いことが、あとになって分かった。
 町の食堂で食べても20から30レアルくらいはかかる。好きなものをとって秤(はかり)に載せ、重さによって料金を払うポルキロというやり方の店でそれくらいである。
 メディアセンターの食堂は臨時の設備だから多少割高なのはやむをえないだろうと考えた。

★町では水は日本の半額
 しかしペットボトルの水の300円は法外である。
 日本のコンビニでは1本100円くらいである。
 観光地オリンダの丘の上では3レアル、約150円だった。
 丘を降りたところの売店では「水、105レアル」と張り紙がしてあった。
 水は重いから上へ持ち上げるのたいへんである。丘の上で高いのはしかたがない。
 町のスーパーでは1レアル程度のところが多かった。50円である。日本よりかなり安い。
 というわけで、町のふつうの店ではブラジルの物価がそう高いとは言えない。物によっては安い。食事はやや高めである。
 ただし、来年のワールドカップのときにはホテル代などは法外な値段になり、それに便乗して値上げされる物も出てくるかもしれない。


観光地オリンダの売店で買ったTシャツ。デザインも布質もいい。22レアル(約1100円)は割安。

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コンフェデ杯2013 / 2013年08月20日


ブラジル全土で開催の意味


コンフェデ杯旅行記補遺(上)
6月17日(月) レシーフェ - オリンダ

 6月から連載を続けた「コンフェデ杯旅行記」の日誌のなかに飛ばした日が2日あった。6月17日と18日である。その分を穴埋めしておく。連載の番号では(5)と(6)の間に入る部分である。

★オリンダ観光でくつろぐ
 ブラジル北東部の町レシーフェでスペイン対ウルグアイの試合を見た次の日、ライター仲間の大住良之さんに誘われて隣町のオリンダ観光に出かけた。観戦旅行に来ていた大住さんの友人2人といっしょで計4人だった。
 オリンダは世界遺産に登録されている美しい町である。旧市街のカルモ広場は小高い丘の上にある。丘の上から海岸線と新市街が見渡せる。
 17世紀に一時オランダに支配されていたことがあり、その初代知事がこの景色を見て「オー・リンダ」(おお、美しい)と感嘆したのが地名の由来だという。
 丘の下でタクシーを降り、古い教会などを見学しながら坂道を登った。
 南半球のブラジルでは6月は冬のはじめだが、北部の海岸部は日本の夏のように暑い。すっかり汗をかいたので観光客用の売店で着替えのTシャツを1枚買った。

★W杯会場都市のTシャツ
 買ったあとで気がついたのだが、Tシャツに描かれているのは翌年のワールドカップの会場だった。
 黄色いシャツの前面にブラジル全土の地図が描かれている。そのなかに来年のワールドカップの試合会場になる12の都市が示されている。
 日本の約23倍の国土に12都市が分散している。
 南部の港町ポルトアレグレはウルグアイに近い。ワールドカップ開催時期の6月はかなり涼しいだろう。
 中部にはリオデジャネイロとサンパウロを中心に南にクリチーバ、やや北よりにベロオリゾンテとブラジリアがある。中部の内陸奥にはクイアバがある。
 リオはやや暑いが、そのほかの都市は気候温暖だという。
 東北部の海岸沿いに南から北へサルバドール、レシーフェ、ナタール、フォルタレーザが並んでいる。南半球だから北へ行くほど赤道に近づき冬の6月でもかなり暑い。

★ブラジル統合の象徴
 いちばん北の奥地はマナウスだ。世界最大の流域面積を持つアマゾンの真ん中にある都市である。ワールドカップがはじまるころは雨季の終わりで蒸し暑いだろう。
 南から北まで約3万km。会場によって気候もかなり違う。ここを転戦しながらワールドカップを戦うのはたいへんだろうと思った。
 サッカーが盛んで交通の便がいいのはリオとサンパウロを中心とする中南部だ。この地域だけでも十分にワールドカップを開くことができる。そのほうが運営には都合がいい。
 それをなぜ「アマゾンの奥まで手を広げて全国で」と疑問に思っていたが、オリンダで買ったTシャツで納得がいった。
 セレソンのユニフォームと同じ黄色のシャツに描いた地図の12都市にかぶせて「BRAZIL」と書いてある。
 「南も北もブラジルは一つだ」と連帯感を強めるのがワールドカップの全土開催なのである。


オリンダの丘から。左が大住良之さん。

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コンフェデ杯2013 / 2013年08月17日


スペイン神話は終わったか?


コンフェデ杯旅行記(20)
7月3日(月)ドバイ-成田

★準決勝、決勝で無得点
 大会を終わって帰国はリオデジャネイロからアラブ首長国連邦のドバイへ。ここで3時間半待ちの乗継である。
 ドバイ空港は世界有数の豪華施設だ。現地時間の深夜だったが高級品を並べたお店が、めいっぱい明るい照明を輝かせて並んでいる。レストランもいろいろある。
 買い物には興味がないので、シーフードの店のカウンターに腰掛けてジントニックで時間をつぶした。
 ほろ酔い加減の頭のなかをコンフェデレーションズ・カップの感想が駆けめぐる。
 「スペインの時代は終わったのか?」
 これが大きなテーマである。
 地元ブラジルと決勝を争ったのは予想通りだった。しかし3対0の完敗は惨めだった。
 準決勝はイタリアと延長で0対0の引き分け。決勝へ出られたのはPK戦の結果である。

★スペイン神話の崩壊
 スペインは21世紀に入って一つの時代を築いた。2010年ワールドカップ南アフリカ大会優勝をはさんで2008年と2012年のユーロも制した。
 中盤でときにはすばやく、ときにはゆっくり、パスをつないでボールをキープする。それが一つの特徴である。
 ボールの保有率が70%を超える試合も多い。ボールを保持していれば攻められることはないのだから失点は少ない。
 攻めは急がない。じっくりとパスをつないで相手の守りを翻弄し、チャンスをも見つけるとすばやく攻め込む。その判断の的確さも一つの特徴である。
 そういうスタイルを「理想のサッカー」だとあがめるスペイン信者も少なくない。
 しかし今回の準決勝と決勝で神話は崩壊した。
 イタリアを攻め崩すことができず、ブラジルには中盤でボールを奪われて攻め込まれた。

★限界が見え始めた
 コンフェデレーションズ・カップの結果だけで「スペイン神話は終わった」ということは、もちろんできない。
 スペインには不利な条件が多すぎた。
 準決勝は赤道に近いフォルトレーザで延長120分の苦しい試合をし、決勝まで中2日。リオデジャネイロまで飛行機で3時間半、3000キロの移動をした。
  シャビ・アロンソがケガのため参加できなかったためにスペインのサッカーが機能しなかっただという説もある。
 そうではあるが、スペインのサッカーの限界が見えはじめた感じもする。
 ブラジルもイタリアもスペイン攻略法をくふうして臨んでいた。来年は他の国もそれを学んで来るだろう。
 そういうことを考えながらドバイから飛行時間9時間。日本時間7月3日午後5時過ぎに成田空港に帰り着いた。
 正味20日と20時間の旅だった。


マラカナン・スタジアム。決勝戦前の閉幕ショー。

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コンフェデ杯2013 / 2013年08月15日


ブラジルは変わったか?


コンフェデ杯旅行記(19)
7月2日(月) リオデジャネイロ - ドバイ

★機内のFIFAチャンネル
 コンフェデレーションズ・カップ決勝の翌々日になったばかりの深夜午前2時10分。リオデジャネイロ国際空港から帰国の途に。来たときのルートを逆にたどってアラブ首長国連邦のドバイ経由である。
 エミレーツ航空の機内テレビ番組の中に「FIFAチャンネル」がある。過去のワールドカップ記録映画などのなつかしい映像を探し出すことができる。
 リオ-ドバイ間の飛行は14時間余り。時間はたっぷりだからカチャカチャとリモコンを操作して次から次へと見て過ごした。
 若いころのペレをはじめ、ブラジルの選手のプレーもいろいろ出てくる。
 コンフェデレーションズ・カップで優勝したブラジルのプレーと比べて考えた。
 「ブラジルのサッカーは変わっただろうか?」

★ペレのテクニック
 もちろん数十年前と比べれば、現在のサッカーはずっときびしく速くなっている。それにともなってブラジルの選手も力強く、かつ機敏にプレーするようになっている。
 でも個人のテクニックの本質は変わっていないのではないか。
 ペレがデビューした1958年スウェーデン・ワールドカップのときの得点シーンを繰り返し見た。トリッキーなボール捌きで相手の裏側に抜けてシュートを決める。
 ものをいっているのは自由自在なボール・テクニックと相手の動きにすばやく応じる判断の速さである。
 あんな軽妙なプレーは現在のきびしいディフェンスのなかではできないのではないかとも考えてみた。
 しかし、ペナルティエリアのなかのプレーである。無理に止めようとすればペナルティキックをとられる。あのペレを1対1で防ぐのは現代でも難しいだろうと思った。

★中盤のスペイン対策
 中盤のプレーは大きく変わった。
 1970年代~80年代のブラジルの試合を、いまビデオで見ると中盤のプレーは、すこぶるのんびりしている。
 コンフェデレーションズ・カップの決勝戦。ブラジルの中盤は速く、きびしかった。
 スペインにボールをキープする暇を与えず厳しく詰める。こぼれたボールを、次のプレーヤーがすばやく狙う。ボールを奪ったら、すばやく展開する。
 ブラジルの勝因はこのような中盤のスペイン対策の成功だった。
 ペナルティエリアの中に持ち込んだら「現代のペレ」が必要だ。
 ネイマールが「現代のペレ」になり得るのだったら来年のワールドカップでブラジルが王座につく可能性は、かなり高いだろうと思った。
 ブラジルの社会は急速に変わりつつある。
 ブラジルのテクニックを育ててきたのはストリート・サッカーだった。しかし車の渋滞が日常化しているサンパウロの市街では道路でボールに戯れる子どもたちは見られない。
 経済発展に伴って拡大した中間層の関心はサッカー一辺倒ではなくなりつつある。
 だが、社会の変化の影響は、まだセレソンの供給源には及んでいないのではないか?


リオデジャネイロのコパカバーナ海岸。砂浜のサッカーはいまでも盛ん。

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コンフェデ杯2013 / 2013年08月03日


ネイマールの背番号


コンフェデ杯旅行記(18)
7月1日(日) リオデジャネイロ

★10番のレプリカがない
 コンフェデレーションズ・カップが終わった翌日、日本へ帰る飛行機便は深夜、正確には翌2日の午前2時だった。昼間はたっぷり時間がある。
 午前中はコパカバーナ海岸の裏通りを散歩して、お土産屋さんを覗いてみた。お目当てはネイマールのレプリカ・ユニフォームである。
 ブラジルの優勝にネイマールは大きな役割を果たした。大会のMVPに選ばれたのは当然である。その活躍は日本へも伝わっているだろうから、ネイマールのユニフォームをお土産に買って帰れば喜ばれるだろうと考えたわけである。
 お土産屋さんのショウウインドーに、背中にネイマールの名前の入ったカナリヤ色のユニフォームが飾ってあった。
 ところが、どの店でも背番号が11である。
 コンフェデ杯ではネイマールの背番号は10だった。お土産としては10番のネイマールが欲しい。

★まだ11番だよ
 お土産屋のおやじに「10番はないのか?」と聞くと「ネイマールはまだ11番だよ」と冗談で答えた。
 若いネイマールは、ブラジル代表に選ばれたとき、背番号11だったらしい。
 今回は自分から「10番が欲しい」と言い出して10番をもらったと報道されている。
 ブラジルでは、伝統的に10番はスターの背番号である。
 ペレも、ジーコも10番だった。
 現在は、背番号は個人別に与えられているが、かつてはポジション別に決まっていた。
 10番はトップ下で攻めを組み立て、ゴールを狙うポジションだった。
 ポルトガル語をぺらぺら操って話したわけではない。
 だから、お土産屋のおやじの冗談が、どういうつもりだったのかは定かでない。

★大スターに並べるか?
 「ネイマールはまだ若僧だ。ペレやジーコと並べられるほどのスーパースターではないよ」
 そういう考えだったのかもしれない。
 「ネルマールのポジションは前線の左サイドだ。だから11番が本当なんだ」
 そういう戦術論だったのかもしれない。
 ともあれ、10番だったら10枚くらい買い込むつもりだったのを、控えめにして11番を3枚だけ購入した。
 夕方近くになって、ホテル前のテラスのレストランで、ひとりでゆっくり食事をした。
 ワインを飲みながら海岸を眺めていると、子どもの物売りがやってきた。
 柵で区切ってあるレストランの外から、黄色のユニフォームを広げて見せて売りつけようとする。
 背中にネイマールと入っていて背番号は10である。
 「うーむ、バッタ物のほうが仕事は早い」と感心した。


決勝戦。マラカナン・スタジアム前。台の上から群集を整理。

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コンフェデ杯2013 / 2013年08月02日


ブラジル、王座回復への第一歩


コンフェデ杯旅行記(17)
6月30日(日)リオデジャネイロ
3位決定戦(サルバドール)
ウルグアイ2対2(延長PK)イタリア
決勝(リオデジャネイロ マラカナン)
ブラジル3対0スペイン

★欧州対南米、夢の対決
 決勝戦は「夢の対決」になった。
 世界チャンピオンにサッカー王国が挑む。いまの世界で望み得る最高のカードである。
 マラカナン・スタジアムは75,531人の観衆で埋まった。黄色一色である。
 試合前の国歌演奏でブラジルの選手たちが大声で歌っているのが、記者席のテレビの画面に大映しになった。
 1970年代から80年代にかけて、かつての黄金時代のブラジルは名だたるスターを並べて王者らしい余裕のある雰囲気だったが、今回のブラジルは若々しく気合が入っている。
 結果はブラジルの快勝だった。3対0と得点が一方的だっただけでなく、試合内容もブラジルのペースだった。
 地元のサポーターにとっては、理想の展開であり、理想の結果だっただろう。ただし客観的に見ればスペインが力を出せなかったのは物足りない。

★ブラジル・ペースの展開
 キックオフ直後の2分にブラジルが先取点を挙げた。立ち上がりの虚をついたフレドの速攻だった。これがスペインのペースを狂わせた。いつものようにボールをキープして、じっくり得点機をうかがう余裕がない。それでも前半のボール保持率は55%対45%で上回っていたのだが、決定的な場面は作れなかった。
 ブラジルは前半終了直前の44分にネイマールのシュートで2点目。
 スペインは準決勝で延長戦を戦ったあと中2日。ブラジルは地元の利があるうえに中3日。体調の違いが前半の試合ぶりでも見て取れた。この2点差は決定的だった。
 後半立ち上がりの2分にフレドが3点目。
 あとは個人技のあるブラジルが余裕を持ってボールを回した。試合終了時のボール保持率はスペイン52%、ブラジル48%だった。

★スペイン時代の終わり?
 ブラジルのフェリペ・スコラーリ監督は「団結と精神力の勝利だ。国民の期待は重圧だったが、選手たちはそれを力に変えた」と語った。
 カカなどのスター選手をはずし若い選手を起用した。批判もあったが、それを跳ね返して優勝した。
 「新しいブラジル」で世界の王座を取り戻せるか? それがブラジルの課題である。その第一歩になったのだろうか?
 記者席では日本の記者がひとかたまりになっている。ぼくの近くの席にヨーロッパのサッカーに詳しいベテランのフリーランスのライターが二人いた。
 スペインの敗色が濃くなるにつれて、失望と落胆が二人の顔色や態度に明らかに出てきた。
 2000年台に急速に台頭したスペインの新しいスタイルやシステムに期待していたのだろう。
 「スペインの時代」は終わるのか?
 その不安が現実になりつつあるのだろうか?


決勝戦の試合前。


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コンフェデ杯2013 / 2013年07月30日


来年の「ビバ!ハウス」探し


コンフェデ杯旅行記(16)
6月29日(土)
サンパウロ-リオデジャネイロ

★サンパウロを基地に
 今回のコンフェデレーションズ・カップでは、サンパウロでの試合はない。それでもサンパウロに立ち寄ったのは、来年のワールドカップのときに、ここに「ビバ!ハウス」を設けようと考えたからである。
 2006年のドイツ・ワールドカップのときはフランクフルトのペンションに大会期間中3部屋6ベッドを借りた。
 2010年の南アフリカ大会のときはプレトリアの大邸宅を借り切って多いときは20人以上が泊まった。
 日本からの航空便が到着する空港に近い町にビバ!サッカー仲間の「観戦基地」を設けたのである。それを「ビバ!ハウス」と称した。
 2014年のブラジル大会では、サンパウロを基地にしてはどうか?
 そう考えて、1年前に「下見」に行ったわけである。

★「ビバ!ハウス」の利点
 日本から到着したら「ビバ!ハウス」に荷物を置いて、そこから試合のある町に向かう。そうすれば開催国内を移動するのに大きな荷物を持ち歩く必要がない。
 行く先の試合地の町にホテルが取れなくても基地に戻ってくることができる。
 夜の試合が終わった後、夜行列車や夜行バスで基地の町に戻ってくる。そのつど予約したホテルだと普通は午後にならないとチェックインできない。しかしビバ!ハウスなら早朝でもベッドが確保されている。
 大会期間中は普通のホテルは法外な値段である。ビバ!ハウスで共同生活をして、できるだけ宿泊費を節約する。
 以上が「ビバ!ハウス」の利点である。
 ドイツでは鉄道で、南アフリカでは主として借り上げた車で移動した。しかし来年のブラジルは広い国に会場が散在している。移動は国内線の飛行機が多くなるだろう。

★飛行機とバスでリオへ
 サンパウロには郊外の国際空港のほかに、市内に国内線用の空港がある。マナウスやフォルタレーゼなど北部の都市に試合を見に行く場合は、ここから国内線の航空機に乗るのが便利だろう。
 中南部のリオデジャネイロ、ベロオリゾンテ、クリチーバには長距離バスで5~8時間である。高級なクラスのバスは飛行機より快適だという。バスターミナルは、サンパウロ市内の中心部近くにある。
 来年のワールドカップでサンパウロでは開幕試合、準決勝を含む6試合が行われる。
 そう考えて、サンパウロで「ビバ!ハウス」の候補地を探したあと、決勝戦の行われるリオデジャネイロに飛行機で移動した。
 前日いっしょにスタジアムめぐりをした仲間のミツは深夜バスでリオに向かった。これも下見である。


リオデジャネイロのコパカバーナ海岸で。砂の彫刻。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月26日


三つのスタジアムを観光


コンフェデ杯旅行記(15)
6月28日(金) サンパウロ

★豪華なモルンビ
 サンパウロ滞在6日目。サンパウロ市内のスタジアムを見て回った。ビバ!サッカー仲間のミツと、ミツがたまたま知り合った留学生の澤永くんと3人。タクシーで。
 最初はモルンビ・スタジアム。7万501人収容。モルンビは高級住宅のある地域である。そこにある裕福なクラブのスタジアムだけに設備も豪華だ。
 1階部分にフィールドが見渡せるガラス張りの大きな部屋がずらりと並んでいる。各部屋に飲食のできるバーの設備などがある。それぞれの部屋を企業などが借り切っているようだった。
 フィールドの周りに簡単な陸上競技のトラックがある。おじさん、おばさん、子どもたちがジョギングをしていた。
 このスタジアムはサンパウロFCの所有である。サッカーの試合をするだけでなく、会員の健康づくりにも利用されているのだろう。

★サッカー博物館
 タクシーを拾って次はバカエンブー・スタジアムへ。
 1940年にできた古いスタジアムで3万7180人収容とモルンビより規模は小さい。サンパウロ市の所有だがコリンチャンズの本拠地として使われている。コリンチャンズ所有のスタジアムもあるのだがスタンドが小さいので、試合はここを借りて行っている。
 併設されているサッカー博物館が売り物だ。
 入場料5レアル(約250円)。
 ワールドカップやブラジル代表のプレー、スタジアムの応援風景を映像と音響で再現したコーナーなど工夫を凝らした展示がある。
 ペレやジーコなど名選手のプレーや名場面の映像なども、いろいろ見ることができる。1958年のワールドカップ・スウェーデン大会でペレがデビューしたときの有名な得点シーンが繰り返し使われていた。

★ワールドカップ競技場
 最後はワールドカップ・スタジアムへ。
 来年の開幕試合の会場である。
 市の中心部から地下鉄3号線に乗った。
 電車は途中から地上に出て終点がコリンチャンズ・イタクイエラである。高台に建設中のスタジアムが駅から見える。
 工事の遅れをFIFAが警告したと伝えられている。予定の12月完工は無理なようだが、スタンドの骨組みはできているので6月の開幕には間に合うだろう。
 駅の周辺、スタジアムの周辺は今のところは何もない。
 道路も建設中である。
 工事は開幕に間に合うにしても、使い慣れていないままワールドカップを迎えるのだから、大観衆をさばききれないで大混乱になるのではないかと心配になった。
 ワールドカップの後は、コリンチャンズの本拠地になる。
 「巨額の税金を使って大スタジアムを建設し、特定のクラブに提供するのはけしからん」という声もあるらしい。


モルンビ・スタジアムでジョギングする人びと。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月24日


欧州対決、スペイン苦戦


コンフェデ杯旅行記(14)
6月27日(木) サンパウロ(テレビ観戦)
準決勝(フォルタレーゼ)
スペイン 0対0(延長 PK) イタリア

★ボール保持率、ほぼ互角
 南米対決の準決勝の翌日、もう一つの準決勝は欧州対決だった。
 欧州チャンピオンはスペインだが、コンフェデレーションズ・カップへはワールドカップ優勝国として出場権を得ているので、イタリアが欧州2位で地域連盟代表になった。
 前年の欧州選手権決勝ではスペインが4対0で完勝している。
 というわけで、スペイン優位と見るのが順当なところだったが結果は大苦戦だった。0対0で延長、引き分け。PK戦で決勝に進出した。
 スペインの攻勢は立ち上がりの10分だけ。その後は互角の攻め合い、守り合いである。
 スペインは多くの試合で70%前後のボール保持率を記録しているが、この試合では54%。ほぼ互角である。
 イタリア・ペースの試合だったと言っていい。

★勝負駆け引きの巧さ
 この試合のポイントは、イタリアの試合運びだったのではないかと思う。
 ボールを奪ったとき逆襲のチャンスだと見れば縦へ大きく蹴って速攻を狙う。
 相手の守りが厚いと見れば後ろでボールを回しながら勝負どころを探る。
 緩急のあるテンポと勝負の駆け引きの巧さがよかった。
 スペインは中盤のシャビが押さえれ、イニエスタだけが空回りしていた。ペースを失って守りに追われボールを蹴りだすのが精いっぱいという場面もあった。
 それでもイタリアの鋭い攻めを防ぎきった。
 不利な展開になっても、しぶとくしのぐ試合ができる。
 そういう勝負の駆け引きの巧さは、日本のサッカーには欠けている。

★ブラジル有利の日程
 試合地のフォルトレーザはブラジルの北東部。赤道直下に近い。熱帯性の気候で海岸の都市だから蒸し暑い。この日は午後4時からの試合で気温30度だということだった。
 そのなかで激しい攻め合い守り合いの延長戦。120分余の死闘すえにPK戦である。
 PK戦では双方が6人目まできちんと決め、先攻のイタリアの7人目が上方へ大きくはずした。
 スペインが幸運をつかんだが決勝戦まで中2日である。
 決勝の相手のブラジルは前日に比較的気候のいいベロオリゾンテで試合をして勝ち、決勝戦まで中3日だ。
 「ブラジルの優勝だろうな」
 サンパウロのホテルでテレビを見ていてそう思った.
 この大会は、ブラジルでは大手テレビ局のグローボがSPORTVという専門チャネルで中継した。夜と翌日には再放送をする。だから何度も見ることができた。


サンパウロ、モルンビ・スタジアム入り口の展示。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月23日


南米対決、ブラジル快勝


コンフェデ杯旅行記(13)
6月26日(水) サンパウロ(テレビ観戦)
準決勝 ブラジル 2対1 ウルグアイ
(ベロオリゾンテ)

★レベルの高いベスト4
 コンフェデレーションズ・カップの準決勝は1試合が南米対決、もう1試合が欧州対決となった。
 この大会は世界各地域の連盟(コンフェデレーション)の代表による選手権のはずである。同じ地域同士の対戦はその趣旨にはそぐわない。
 しかし、欧州と南米は世界のAクラス、アジアとアフリカはBクラスで、その間には明らかなレベルの差がある。ベスト4がAクラスだけになったので、準決勝以降の試合のレベルはぐんと高くなった。
 決勝戦は南米対欧州になる。準決勝はいわば南米代表と欧州代表を決めるための「予選」のような形になった。これも興味深い。
 ウルグアイは南米チャンピオンとしての出場、ブラジルは開催国としての出場で、この好カードが実現した。

★ベテランと若手がかみ合う
 終わってみればブラジルの順当な勝利のように思えるが、そう簡単な試合ではなかった。
 前半13分にウルグアイがPKを得た。それをブラジルのジュリオ・セザールが横っ飛びに叩き出した。
 ブラジルのフェリペ監督は、この大会で若手を多く招集している。しかし、ゴールキーパーは33歳のベテランを起用した。それが当たった。
 前半41分、ブラジルの先制点を生み出したのは21歳のネイマールだった。後方からのボールにあわせて抜け出し、胸で落としてシュート。ゴールキーパーがはじいたところを29歳のフレジが決めた。若手とベテランが、うまく組み合わされている。
 後半3分にウルグアイが同点に追いつく。ブラジルはボール支配率64%と優勢に攻めていたが、ウルグアイは、反則覚悟の激しい守りで食い止める。

★ブラジルの時代は続く
 ブラジルの決勝点は後半41分。延長戦になりかねないところだった。コーナーキックをネルシーニョが蹴り、パウリーニョのヘディングに合わせた。
 決勝点を決めたパウリーニョは24歳だ。ブラジルはどの年代にもテクニックがあり、勝負強さのあるプレーヤーを生み出している。「ブラジルの時代は終わった」という見方は間違っている。
 この試合はサンパウロのホテルのテレビで見た。試合地のベロオリゾンテのホテルが取れないため現地に行くのを断念したからである。
 好勝負だったので「現地で見るべきだったな」と、いささか後悔した。
 でも、ブラジルのテレビ中継はいい。アナウンサーがボールの渡った先のプレーヤーの名前を次つぎに言ってくれる。解説者の余分なおしゃべりはない。


ビルの谷間の小さなサッカーコート。サンパウロで。


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