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コンフェデ杯2013 / 2013年07月17日


準決勝観戦を断念


コンフェデ杯旅行記(12)
6月25日(火) サンパウロ

★ホテルが取れない
 最初の予定ではサンパウロに2泊3日してベロオリゾンテに戻り、26日の準決勝を見ることにしていた。サンパウロ-ベロオリゾンテの飛行機便は予約していた。
 ところがベロオリゾンテのホテルがとれない。
 サンパウロの旅行社を通じて探してもらったところ1つだけパソコン上に出てきたが1泊2000レアル以上。日本円にして10万円余りだった。ちょっと手が出ない。
 26日の準決勝はブラジル対ウルグアイだった。地元ブラジルの試合だから混んでいるのだろうと思って、こちらはパスして、翌27日にフォルタレーザで行われるイタリア対スペインに直接行くことを考えた。
 ところがフォルタレーザのホテルも満室である。また飛行機便もとれない。
 「ブラジルにはイタリア系の市民も多いからね。各地から応援に行くのでしょう」ということだった。

★宿泊代は上がる一方
 こういう不手際が生じたのにはわけがある。
 大会後半の宿泊はわざと予約をしないで現地で探すことにしていたからである。来年のワールドカップのときに、どういう状況になるかを「実験」してみるつもりだった。
 これまでのワールドカップ取材旅行の経験では、ホテルの宿泊料金は大会前に予約すると非常に高い。
 多くの人は前年の12月に組み合わせが決まると観戦計画を立て6~7月のホテルを予約するだろうが、この時点での大会期間中のホテル代は法外である。
 しかし、2月くらいから、しだいに下がりはじめ、大会が始まるころには、まずふつうの料金になる。高すぎるために当て込んでいたほど申し込みがなく、ベッドが余ってくるからである。
 ところが今回は事情が違った。ホテルのベッド数不足で宿泊料は上がる一方だった。

★サンパウロ滞在を延長
 航空機の国内便はあらかじめ東京で手配してあった。ブラジルは広い国で飛行機以外に移動の手段がなさそうだったからである。
 ところが、ホテルが取れないために予定を変更することになり、予約していた便をキャンセルして新たにサンパウロ-リオデジャネイロの便を取った。
 この運賃も高い。「普通の2倍だ」という。
 「かりにホテルと飛行機が取れてもベラボーな値段だ。サンパウロ滞在を延ばして準決勝はテレビで見るのがいい」
 旅行社の商売気のない勧告に従って準決勝観戦は断念し、サンパウロに居座ることにした。
 サンパウロのホテルは、地元在住の高橋祐幸さんが自宅の近くに取ってくれていた。それを3泊延長した。
 サンパウロでは試合はないが「大会のためかサンパウロのホテル代もいつもより高くなっている」とのことだった。


サンパウロで宿泊した「ブルーツリー・プレミアム・モルンビ・ホテル」。高級住宅地のいいホテルだった。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月16日


パソコン故障で大誤算


コンフェデ杯旅行記(11)
6月24日(月) サンパウロ

★電気が来ていない
 サンパウロに来る前日、ベロオリゾンテのメディアセンターでパソコンが故障していることに気がついた。
 原稿を書いている途中に突然「あと7分」と表示が出た。蓄電池の残りの電気ではあと7分しか使えない、ということである。
 メディアセンターのコンセントにつなぎっぱなしで使っていたのだが電源からの電気がきていなかった。それでパソコン内の蓄電池の電気が消費されてしまったらしい。
 あわてて、いろいろ試しているうちに、残り7分も使いきってディスプレーは真っ暗になった。
 友人が自分のパソコンを使ってインターネットで調べてくれて、故障したパソコンのメーカーの代理店がサンパウロにあることが分かった。
 翌日にはサンパウロに行くことになっている。「サンパウロで修理してもらおう」と思ったのが大誤算だった。

★代理店はあったが……
 蓄電池の電気で動いていたのだからパソコン本体や蓄電池の故障ではないだろう。電源とパソコンをつなぐコードと一体になっているACアダプターの故障だろう。シロート考えでそう診断した。そうであればコードを「部品」として買えばいい。そうそうタカをくくっていた。
 サンパウロについた日は日曜日だったので、翌日の月曜日にメーカーの代理店に連絡した。
 パソコンの機械の話は日本語で聞いてもよく分からないのに、ポルトガル語での相談だからぼく一人ではまったくお手上げである。サンパウロでお世話になった高橋祐幸さんに電話してもらったのである。
 ところがだ。
 「ブラジルで買ったものでなければ修理できない」という代理店の返事だった。

★グローバル化の隙間
 同じメーカーの同じ銘柄の商品でも、自国で販売しているものでなければ取り扱えないという。部品だけの販売もできないという。
 あとで知ったのだが、これはブラジルだけの話ではなく、どこの国でもそうらしい。
 故障したパソコンは台湾のメーカーのもので、東京で買ったものだった。
 高橋さんが日本語の通じる日系人経営のパソコン屋さんにも連れて行ってくださったが、やはり「部品はない」とのことだった。
 これは「グローバル化の隙間(すきま)とでも言うべき現象じゃないか」と考えた。
 世界中で同じ自動車が走り、同じテレビが映り、同じパソコンが使われているように見える。
 しかし、その中にも万国共通にできない小さい隙間が、いろいろあるのではないか? そう思った。


お世話になったサンパウロの高橋祐幸さん。ご自宅の書斎で。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月11日


サッカー王国でW杯反対デモ?


コンフェデ杯旅行記(10)
6月23日(日)
ベロオリゾンテ → サンパウロ
B組 
スペイン3対0ナイジェリア(フォルタレーザ)
ウルグアイ8対0タヒチ(レシーフェ)

★高橋祐幸さんに会う
 日本対メキシコの試合の翌朝、ベロオリゾンテからサンパウロに飛んだ。
 今回のコンフェデレーションズ・カップでは,サンパウロは会場ではない。しかし来年のワールドカップではサンパウロで開幕試合がある。来年はサンパウロを基地に各地の試合を見て回ろうと計画している。そこでコンフェデのグループリーグが終わって準決勝までの間にサンパウロの様子を偵察しておこうと考えたのである。
 サンパウロ市内のコンゴーニャス空港に高橋祐幸さんご夫妻が出迎えてくださった。高橋さんはブラジルに移り住んで53年、トヨタカップやJリーグ、川崎フロンターレなどに関係し、日本とブラジルのサッカー交流に尽力された方である。
 高橋さんが予約してくださったホテルで、朝食を取りながら、いろいろな、お話を伺った。

★サッカー反対ではない
 高橋さんは、ブラジル各地で起きているデモ騒ぎについて、まず説明してくださった。
 「コンフェデレーションズ・カップを標的にワールドカップ反対のデモが行われているように伝えられているかもしれないが、そうではない。もっと根が深い」
 サンパウロのバス、地下鉄運賃の値上げに反対してはじまったデモだが、またたくまに各地に広がって大規模な「反政府デモ」になっている。
 「ワールドカップやオリンピックのために莫大な税金をつぎ込んで福祉や教育のお金が削られている」という不満が爆発したといわれている。
 しかし人びとはサッカーに反対しているわけではない。
 彼らが怒りを向けているのは政治の腐敗である。

★拡大する政治家の汚職
 2014年ワールドカップと2016年リオデジャネイロ・オリンピックのための公共事業につぎ込まれている税金が、リベートとして政治家のポケットに入っている。
 スポーツの国際大会が大義名分となって、そういう汚職が拡大している。工事の遅れを取り戻すためと称して予算を追加し、そこから、さらにポケットに入れる。
 スポーツ界の利権もある。
 サンパウロに建設中の新スタジアムは、ワールドカップのあとはコリンチャンズのホームになる。コリンチャンズのサポーターは400万人と言われている。
 来年は選挙がある。400万人の票を得るために、すばらしい新スタジアムを提供する必要がある。
 政治家のほうにも言い分はあるだろうが、いずれにしても「サッカーを標的にデモが行われるなんて、ブラジルでは前代未聞だ」ということだった。


サンパウロに建設中の新スタジアム。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月09日


日本の3連敗は実力どおり


コンフェデ杯旅行記(9)
6月22日(土)A組 
メキシコ2対1日本(ベロオリゾンテ)
ブラジル4対2イタリア(サルバドール)

★B級対決、メキシコにも黒星
 コンフェデレーションズ・カップの第3戦で、日本はメキシコにも敗れて3戦全敗に終わった。サポーターから見れば「ふがいない」ということになるが、客観的には「実力どおり」である。
 参加8チームのうちスペイン、イタリアの欧州勢とブラジル、ウルグアイの南米勢がAクラス。いずれも優勝をねらう力がある。
 アジア代表の日本、北中米代表のメキシコ、アフリカ代表のナイジェリアがBクラスである。Aクラスのチームを倒してベスト4入りしたいところだったが、日本とメキシコは、ともに第2戦までにブラジル、イタリアに敗れた。世界のトップクラスとの差はまだ大きい。
 第3戦は敗退したチーム同士の対戦になった。いわばB級対決である。日本はここでも敗れて「B級の下」という結果になった。これが実力である。
 
★エルナンデスが2点
 前半の日本は悪くなかった。
 遠藤のミドルシュートが、みごとにゴールを破ったように見えたがオフサイドをとられた。ザッケローニ監督は、試合後の記者会見で「あとでビデオを見てみたい」とくやしがった。これが先取点になっていれば、あるいは、その後の展開は違ったものになっていたかもしれない。
 そのほかにも、本田の攻め込みを起点に、いい形の攻めがあった。
 しかし、後半はメキシコのペースになった。
 9分に左からのクロスをエルナンデスがヘッドで決める。21分にも左コーナーキックをヘッドでつないで、またエルナンデスが決めた。
 2点を挙げたエルナンデスは、マンチェスター・ユナイテッドで香川のチームメートである。

★連戦を戦い抜く工夫を
 日本が1点を返したのは終了間近の41分。これは香川-遠藤-岡崎と渡ったいい速攻だった。
 日本は後半、クリアのボールが目立って短くなるなど、疲れがどっと出てきたように見えた。中東のドーハから続いている連戦の果てだから無理もない。
 しかし、中2日の試合が続いているこの大会では、どのチームも多かれ少なかれ疲れが溜まっているはずである。
 そういいう条件の大会を、どう乗り切っていくか。そういう工夫が必要である。運動量と気力でがんばるだけでは乗り切れない。
 イタリア戦では緩急のある試合運びがうまくいっているように見えたが、この試合では、これまでのアジア勢を相手にしてきた試合と同じような調子になっていた。
 本田のがんばりが空回りし、香川のよさを生かせなかった。
 3試合で9失点。守備の連係も今大会の問題点だった。


ベロオリゾンテのスタジアムから。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月06日


広がるデモと厳しい警備


コンフェデ杯旅行記(8)
6月21日(金) ベロオリゾンテ

★試合前日の記者会見
 試合の前日にスタジアムで両チームの公式記者会見がある。監督と選手一人が出席する。
 日本代表の第3戦、メキシコとの試合の前日はザッケローニ監督とともに遠藤保仁選手が出席した。長谷部誠主将が翌日の試合は出場停止になっているためである。
 最初の質問はブラジルの記者からだった。
 「ブラジルの国情と騒ぎについてどう思っているか?」
 ザッケローニ監督が答えた。
 「ブラジルには大会のために来て一時的に滞在しているだけなので詳しい事情は知らない。混乱があるとすれば残念なことだ」
 同じ質問が遠藤選手にも向けられた。
 「ぼくたちは厳重に守られた中で動いているので外の様子は分かりません。何の不安もなく快適に過ごしています」

★厳重な警護体制
 6月15日の開幕試合の日にブラジリアのスタジアムの外で目撃したデモは各地に広がっているらしい。騒ぎは新聞やテレビで報道されている。
 しかしスタジアムや練習グラウンドの周りは機動隊や騎馬警官や装甲車で囲まれている。チームの宿舎にもパトカーが張り付いている。 だからチーム関係者は、遠藤選手の言うように「外のことは分からない」に違いない。
 報道関係者のために指定されているホテルにもパトカーが張り付いている。多くの記者やカメラマンはメディア・ホテルから出るバスでスタジアムへ往復する。
 ただし、メディア・バスは30分あるいは1時間ごとのシャトル便だから時間帯によっては、デモの影響で交通渋滞に巻き込まれることがある。
 これは迷惑だが、試合に熱狂した群集によってバスが進まなくなることは、サッカーでは他の国でもよくある。

★福祉予算削減に反対
 デモ騒ぎは大会の始まる少し前にリオデジャネイロとサンパウロで始まったという。
 大会を前にバスと地下鉄の運賃値上げが発表された。これに対し「ワールドカップやオリンピックに大金を浪費しながら市民の足を値上げするのか」とデモがはじまった。
 値上げは撤回されたがデモはやまなかった。
 問題はバス運賃やスポーツの大会を離れ、老齢年金、医療予算、教育予算の削減反対に広がった。
 記者会見でのブラジル記者の質問は「こういう騒ぎが外国からの参加者に悪い印象を与え、来年のワールドカップ開催に影響するのではないか?」と心配してのことらしい。
 開催中止にはならないだろうが、規制に囲まれた大会はブラジルらしくない。多少の混乱はあっても明るい熱狂的なワールドカップにしてほしいものだと思った。


ベロオリゾンテのスタジアム周辺をパトロールする警官。

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コンフェデ杯2013 / 2013年07月05日


地方都市間の移動と宿泊


コンフェデ杯旅行記(7)
6月20日(木)
レシーフェ→ベロオリゾンテ

(お断り)
 大会の半ばになってパソコンが故障し原稿を送れなくなった。やむなく帰国してから続きを掲載することになった。ご心配をいただいた方にお詫び申し上げる。タイミングは遅れるが順番に続きを掲載していきたい。

★「超後期高齢者」優先
 日本対イタリアの試合の翌日、レシーフェからベロオリゾンンテに移動した。
 レシーフェの空港も大混雑だった。チェックインの長い行列に並んでいたら係員が来て「どうぞこちらへ」と別の窓口へ案内してくれた。
 4日前にブラジリア空港では大会関係者のADカードを首からぶら下げていたら優先窓口に連れて行ってくれた。
 しかし今回は、カードは鞄の中である。
 「どうして?」と思ったら「老人、障害者など優先」と掲示があった。係員が行列の中から「超後期高齢者」を見分けて選び出してくれたらしい。
 日本では電車で「優先席」の前に立っていても、若者から席を譲られることはめったにない。優先チェックインはありがたかったが、ちょっと悔しい気もした。

★ブラジリアで乗り継ぎ
 レシーフェからベロオリゾンテへの直行便が取れなかったので首都ブラジリアで乗り継ぎだった。
 ブラジルは広い国である。国内での移動の多くは飛行機に頼ることになる。しかし地方都市から地方都市へ直行の国内便はそう多くはない。直行便が取れないとブラジリア、サンパウロなど主要都市での乗り継ぎになる。
 地方都市ではホテルの数も、それほど多くない。
 その地方都市に6万人を収容するスタジアムをワールドカップの会場として改築している。
 ブラジル以外の試合には、それほどお客さんは集まらないだろうと思っていたが、そうではなかった。
 「ブラジルは移民の国だ。イタリアの試合にはイタリア系のサポーターが全国から集まる」という話だった。
 そういうわけで、飛行機便も宿泊設備も少ない地方都市に多くの観衆が押し寄せることになる。

★市内の交通も渋滞
 乗り継ぎ便が遅れたこともあってベロオリゾンテへの到着は夕方、遅くになった。
 空港から市内までバスで1時間以上かかった。ガイドブックには「40分」と書いてあったが市内に入ってからラッシュアワーの渋滞に巻き込まれた。
 さらに市内のバスターミナルからホテルまでのタクシーが、なかなか捕まらなかった。
 ふつうバスターミナルなどではタクシーのほうが行列をして客待ちしているものだが、ここではお客さんのほうが大きなスーツケースを抱えて行列していた。
 ホテルに着いたのが夜の9時。1日がかりの移動だった。
 来年のワールドカップでは、地方都市の試合への移動と宿泊はあらかじめ、しっかり研究して置く必要がある。


ベロオリゾンテのスタジアム

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コンフェデ杯2013 / 2013年06月22日


史上最高のプレーで敗戦


コンフェデ旅行記(6)
6月19日(水)
<A組>イタリア4対3日本(レシーフェ) 
      ブラジル2対0メキシコ(フォルタレーザ)

★強豪イタリアを翻弄
 「日本サッカー史上最高の試合だ」
 レシーフェ・スタジアムのメーンスタンド最上段、天井桟敷の記者席から、はるか下のフィールドを見下ろしながら、そう思った。
 少なくとも前半40分までのプレーぶりはそうだった。
 日本が主導権を握って試合を進め、中盤でボールをキープし、すばやいパスをまわしてイタリアをきりきり舞いさせていた。
 21分の先制点はPKだが、相手のミスを見逃さずに攻め込み、岡崎の速いドリブルがイタリアのゴールキーパーの反則を招いた結果だった。
 33分には香川がゴール前で浮き球を受けて振り返りざまのシュートを決めた。みごとな個人技だった。
 そのあと、中盤でボールをまわしてイタリアを翻弄した。
 スタンドから「オーレ! オーレ!」の掛け声が湧いた。

★メキシコ五輪を上回る?
 このまま進めば「日本サッカー史上最高の試合になる」と思った。
 1968年メキシコ・オリンピックの三位決定戦が日本代表の史上最高の試合だと考えているが、それを上回る勝利になるのではないか?
 メキシコの三位決定戦は銅メダルという歴史的な結果をともなった。このレシーフェでの試合はまだグループリーグである。しかし1968年当時のオリンピックはアマチュアの大会だった。コンフェデレーションズ・カップは世界最高のプロレベルの選手権である。
 ここでイタリアを破れば、結果としても、試合内容からいっても、45年前の銅メダルを上回る価値がある。
 そんな「甘い夢」を見ながら日本のプレーに酔っていた。

★未来を照らすプレーぶり
 日本の選手たちは、ドーハのワールドカップ予選最終戦からの転戦で疲労が濃いはずである。4日前にはブラジルに完敗してショックを受けている。その疲労とショックを乗り越えて強敵に果敢にチャレンジしていることに感動した。
 積極的にシュートを試みた前向きのプレーぶりも良かった。
 岡崎と香川が個人の特長を生かしてプレーしてゴールを生んだのは収穫だった。
 本田と香川の連係が成熟しつつあることを見せた場面もあった。
 イタリアの猛反撃にゴールの奪い合いになったが、最後まで強豪と互角にぶつかり合ったのは、いい経験になった。
 日本代表の未来を明るく照らした試合ぶりだった。
 それでも、結果はイタリアの逆転勝ちだった。
 なぜ、勝ちきれなかったのか? そのことは改めて考えてみよう。


レシーフェのスタジアム

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コンフェデ杯2013 / 2013年06月21日


真のサポーターは混雑に耐える


コンフェデ旅行記(5)
6月16日
<A組>イタリア2対1メキシコ(リオデジャネイロ)
<B組>スペイン2対1ウルグアイ(レシーフェ)

★レシーフェへ移動
 開幕試合で日本が敗れた翌朝、次の日本の試合地レシーフェへ移動した。
 ブラジリアの空港のロビーは大混雑である。前夜の4万人のサポーターの一部なのだろう。 
 チェックインを待つ数百人の行列の最後に並んだ。
 ぼくの前にいる人物が大会の役員らしく首からADカードをぶら下げている。
 すると空港の係員らしい人がきて「こちらへ」と直接カウンターへ案内した。
 「なるほど、大会関係者には優先窓口があるんだ」と気が付いて、バッグにしまい込んでいたカードを取り出してぶら下げ、あとに続いた。
 おかげで「乗り遅れるんじゃないか」といらいらしないですんだ。

★真のサポーター
 ブラジルのサポーターは、ぎゅうぎゅう詰めのバスや地下鉄でスタジアムに行く。貧しいけれど自前で大きな旗や横幕を作る。雨の中でも立ちっぱなしで声をからす。しばしば自分たちのチームがふがいなく負ける。
 そういう苦難に耐えてこそ真のサポーターである。
 旅行中に読んでいる『サッカー狂の社会学』という本にそう書いてあった。1970年代の話だが、いまでもその伝統が続いているのだろうか?
 だから狭い空港ロビーの大混雑の中で、じっと我慢して行列しているのだろうか?
 カードをぶら下げて優先窓口に行くような人物はファンの風上に置けないのではないかと反省した。

★3年前と変わらぬスペイン
 約2時間半の飛行でレシーフェに到着。
 メディア用の指定ホテルは、美しい砂浜の海水浴場に沿って立ち並ぶリゾートホテルの一つだった。
 午後4時からリオデジャネイロで行われている試合をメディアセンターのテレビで見る。  
 イタリアがバロッテリの力ずくの押し込みゴールでメキシコから決勝点をあげた。バロッテリは大喜びでシャツを脱いで上半身裸になりイエローカードを受けた。
 午後7時からA組のスペイン対ウルグアイを見る。
 スペインは3年前のワールドカップで優勝したときと顔ぶれも試合ぶりも、ほとんど変わっていない。
 中盤でパスをつないでキープしチャンスを見つけたときに鋭く攻める。このバルセロナ流で決勝に進み、地元のブラジルと対戦することになると、たいへんな盛り上がりになりそうだ。


レシーフェの海水浴場に面したメディア用指定ホテル。
ブルーツリー・レシーフェ・タワー。

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コンフェデ杯2013 / 2013年06月20日


世界との違いを認めよう


コンフェデ旅行記(4)
6月15日
<A組>ブラジル 3対0 日本
(ブラジリア・ナショナルスタジアム)

★敗因はいろいろあるが…
 日本は第1戦でブラジルに敗れた。
 相手のブラジルはサッカー王国でしかも地元での公式戦である。サポーターの声援も一方的に多かった。
 日本はワールドカップ予選のイラク戦を終えてドーハから転戦してきた。遠征の疲れで体調が十分でなかった。
 立ち上がり早々の3分に失点した。出鼻をくじかれたのが痛かった。
 岡崎をワン・トップに使った。このザッケローニ監督のプランが狂った。
 というように、敗因はいろいろ挙げられている。
 しかし、つまるところはサッカー全体のレベルの差である。日本のサッカーはまだ世界のトップレベルには遠い。
 そのことを見つめないで、体調や作戦の誤算だけに敗因を求めても未来へはつながらない。

★日本の善戦を評価
 ザッケローニ監督は「日本の課題は選手のパーソナリティーだ」と述べた。開始早々の3分に失点したために萎縮して「持っている良さ」を出しきれなかったという意味である。
 ぼくの受けた印象は、ちょっと違う。
 立ち上がりにリードされても、くじけずにがんばり、前半は追加点を許さずに持ちこたえた。ここで積極的に反撃に出たら、その裏をつかれて前半のうちに3対0くらいになっていただろう。日本の選手たちの冷静な判断と粘り強さを評価したい。日本の善戦だったと思う。
 痛かったのは後半3分の2点目である。ブラジルを相手に2点をリードされては逆転の望みは薄くなった。しかしその後も追加点は許さず抵抗し続けた。
 後半、追加時間にとられた3点目は「力尽きた」という感じだった。

★場外では騒ぎも
 日本とブラジルの違いを二つ考えた。
 一つは、1対1での力の差である。守りでは内田も長友も個人的には対抗できたとはいえなかった。攻めでは、まともに勝負できていたのは香川だけだった。
 もう一つは、個人の判断の「ひらめき」である。一つ一つの場面で、どういうプレーを選択すべきかの判断がブラジルの選手は的確ですばやい。
 こういう違いが、どこから生まれて来たのかを社会や文化との関連で考えてみたい。
 試合開始の前にスタジアムの周辺を回ってみた。
 多くの人びとが、きちんと列を作って整然と入場していたのは意外だった。
 だが、ある一つの広場を機動隊やパトカーや騎馬警官が取り囲んでいた。催涙弾を投げ込んだ爆音が聞こえ白煙が見えた。逮捕者が出たとのことだった。
 この国のサッカーを知るには一筋縄ではいかない。


スタジアム周辺を規制する騎馬警官隊。100騎以上いた。


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コンフェデ杯2013 / 2013年06月19日


手続きにもお国柄が出る


コンフェデ旅行記(3)
6月14日 ブラジリア

★歩いてスタジアムへ
 大会取材に現地に入って、まずしなければならないことはアクレディテーションである。首からぶらさげるADカードを作ってもらう。これがないと動きがとれない。
 前夜遅くリオデジャネイロ経由でブラジリアに到着。翌朝スタジアムの隣に開設されているはずのアクレディテーション・センターへ行こうとした。ところが「スタジアム周辺は厳しく交通規制されているから近寄れない」とホテルの前のタクシーに乗車拒否された。
 やむなくホテルのフロントに相談した。
 「ご案内します」とボーイ(といってもおじさん)が付いてきてくれた。
 タクシーの運転手を説得してくれるのかと思ったら、そうではない。バスの停留所へでも案内してくれるのかと思ったがそうでもない。どんどん歩き続けて約20分でスタジアムに着いた。
 快晴微風。緑の公園を通りぬけ、いい運動だった。

★アクレディテーション
 手続きは、最近はどの国際大会でも同じである。
 最初の窓口でパスポートを見せる。
 数ヵ月前にFIFAにネットで取材登録をして承認されている。それをコンピューターで照合して本人であることを確認するだけである。
 次に、ずらりと並んでいるカメラの一つの前で顔写真を撮る。
 そのあと引渡し窓口の前で待っていると呼び出されて顔写真つきのカードを渡される。
 流れ作業になっているのだが、開幕前日は大勢の関係者が到着するから混雑する。
 大勢のボランティアがつきっきりで面倒を見てくれる。
 事情不案内で、ポルトガル語の分らない人が多いのだから、これは助かる。

★穏やかな開幕前夜。
 カードを受け取るために待っている大勢の記者や関係者といっしょに、その世話をしているボランティアの人たちも窓口の前にたむろして談笑している。
 そのために、出来上がったカードを渡すための呼び出しのアナウンスが聞き取りにくい。しかし、呼び出し係はべつに気にしていない。
 「ブラジルの人たちは乱雑を楽しむんだ」と勝手に結論した。
 3年前にドイツで行なわれた女子ワールドカップでも同じやり方だったが、このときは窓口の前に並べてある椅子に座って待つように指示された。みな整然と待っていた。
 「ドイツ人は規律正しいのが好きなんだ」と、これは常識的な結論である。
 スタジアム周辺は穏やかだった。交通規制が行なわれている様子はなかった。町にも騒いでいる人はいなかった。


案内してくれたホテルの従業員(左)と。
メディアセンター入り口で。

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