ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 






寿鋼材。中央区八丁堀3-18。左:1988(昭和63)年2月21日。右:2003(平成15)年3月15日

新大橋通りの本八丁堀交差点のすぐ北に、今も、戦前の建築と思われる看板建築の建物が2・3軒並んでいる。その「たん 助六」という居酒屋だと思うが、銅板張りの店がある角を入ってところで、やはり銅板張りの家やモルタルの看板建築が並んでいる。八丁堀は空襲でほぼ焼き払われたが、4丁目や3丁目の一部は被害を免れているというから、ここがその場所なのだろう。
1986年の住宅地図では、左写真の左から、東京鋼管商事、寿鋼材、角の3階建住居。右写真は反対方向から見たもの。 『わが町・八丁堀』というサイトの「【特集2】八丁堀の歴史(概況)>区史から見た変遷」には、鉄鋼業界について、「関東大震災以降、鉄鋼卸商集団が日本橋方面から移動してきて集団問屋街を形成した。戦後も復活し昭和33年(1958)ごろには東京の鉄鋼特約店の29%が八丁堀周辺に集中していた。/八丁堀を中心とする京橋には有力特約店が多く、大口取引が行われるほか、各種の取引もあり、需給関係や思惑売買によって市況に応じた市中価格が形成され、東京ではこれを「八丁堀相場」と呼んだ。……」とある。その中心はたぶん桜川両岸で、倉庫も構えていたと思われる。昭和30年では金属材料の卸売業は中央区に509店、そのうち八丁堀に87店である。


第一電気。八丁堀3-18。2003(平成15)年3月15日

1枚目の写真の奥の四つ角の先の家で、角の家がやはり1986年の住宅地図で第一電気となっている家。右写真は路地をさらに入ってすずらん通りに出る辺りから新大橋通りの方向を見ている。写真右の家は昭和27年頃の火保図に「訟々亭」と読める中華料理店だった家らしい。こちらの家並みは戦後の建築のように見える。

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