 
三井倉庫。中央区日本橋箱崎町19。1986(昭和61)年3月9日
日本橋川が隅田川に出る河口の袂、箱崎町にあったビル型の三井倉庫。撮影時の住宅地図では「三井倉庫㈱・㈱フェニックス」となっている。影になっている隅田川側には解体工事用のものと思える足場が組まれている。
今思えば興味深い建物で、もっと写真を撮っておけばよかったが、当時のぼくは知識もなくて見過ごしていた。この永代橋からの写真が唯一のものだ。 『中央区図書館』の「地域資料」で、「箱崎町」や「三井倉庫」を検索すると何点かこの倉庫の写真が見られる。
『帝都復興せり!』(松葉一清著、平凡社、1988年)によると、「東神倉庫、竣工年=昭和3年、設計=同社」。東神倉庫㈱というのは三井倉庫㈱が1909(明治42)年に創設されたときの名称で、1942(昭和17)年まで使われた。
写真左の豊海橋の後ろに写っているビルは三井倉庫別館。これは今もそのままだ。写真右の隅田川大橋の左に見える4棟の切妻屋根の倉庫は三井倉庫のA1~A4倉庫。
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なんどかIBM箱崎には仕事関係で行ったことがあります。これはまた大変貴重な写真ですね。
私は日本橋箱崎町で育ちました。
画像の一角は小さな頃にずっと遊んでいた所です。
豊海橋を渡って三井倉庫の所で道がクイっと左に曲がるのですが、
その辺りの三井倉庫敷地内に大きなエアコン室外機みたいなものがあって、
そこでミミズが沢山とれました。
そのミミズを釣りのエサにしたりしましたよ。
今でもこの地域は完全に生活圏内なので、
色々コメントしていこうと思います。
三井倉庫があった時代は、伊藤さんの近所の方で銭湯に行く人は多かったと思うのですが、どこの銭湯に行っていましたか? 地図を眺めても箱崎町に銭湯が見当たらないのですが?
箱崎町ですが、元々の北新堀地区出身で、
後に箱崎町になったエリア育ちです。
銭湯についてですが、
私が生まれた時にはお風呂があったので、
全く通った経験はありませんが、
箱崎町21のセブンスターマンション第二が、
昔銭湯だったと思います。
日本湯がなくなると蠣殻町の木村湯が近かったかもしれませんね。
自宅に風呂がない時代でした。家商売をしていた親父たちがよく言っていた(地べたに札束敷いたところに
風呂なんかできるか。と。)
日本湯の向かって左が露木酒店(同級生の家)と
中華料理 博楽だったと思います
追伸:日本湯無きあとは、木村湯です
世界湯はチト遠いいです
露木酒店はセブンスターマンションで今も営業中のようですね。地図では「露木商店」なので、酒店とは知りませんでした。店舗はないようななので、どこかに倉庫をもって配達しているのでしょうか。その隣の中華料理店は古い地図では「博龍」ですがどうでしょう? 弊ブログの『証券日報社/日本橋箱崎町』の写真に建物の半分だけですが写っています。1969(昭和44)年の地図では「博竜」の隣が「ティールームくれない」となっています。写真の白い壁の家でしょうか。
前回投稿の中華料理 博楽と記しましたが、箱崎2丁目の永楽と勘違いしました。当時 コークスで調理してました。チャーハンとハンバーグが秀逸でした。
三井倉庫の写真に出ている橋は豊海橋かな?このたもと(左側)にあった回漕店の会社が NHK番組 ポンポン大将 桂小金治主演の舞台でした。橋の向こう側はだるま船のたまり場で水上生活の方々が数多く住んでいらした。
だるま船の水上生活者は箱崎川でも見られましたね。東京五輪を機に消滅したのでしょうか?